壬申の乱について質問です。

調べてもどうも分からないので教えて下さい。

大友皇子(弘文天皇)は、なぜ大海人王子を攻める必要があったのでしょうか。
大海人王子は好戦的であったわけもなく、そもそも天皇になる意思はないと宣言して出家した者ですよね。放っておいたら害になる者でしょうか?

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  • 登録:2014/08/27 15:48:24
  • 終了:2014/08/28 10:11:58

ベストアンサー

id:jwrekitan No.3

椶櫚回答回数167ベストアンサー獲得回数672014/08/28 00:44:41

ポイント200pt

Wikipediaの記述から推察する限りでは、蘇我安麻呂が

「有意ひて言へ(こころえてお話なさいませ)」と大海人皇子に忠告した。この安麻呂の一言により、大海人皇子は天智天皇の譲位を断り、吉野に脱出することが出来たという。

とあり、もしそのまま天皇に即位していたとするならば、命を狙われる危険性があったため、出家という名目で一旦都を離れ、体勢を立て直したという見方が可能であるように思われます。なお、

翌年、天武天皇元年(672年)6月22日に、大海人皇子は挙兵を決意して…

ともあり、大海人皇子の挙兵という事実はあるのか、それとも大友皇子が反抗の意思のない相手を攻撃したという事実があるのか、の論点を整理すれば、おのずと答えが出るような気もします。さらに、壬申の乱の記事においても

皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものである。

とも書いてありますし、むしろあらゆる記述が攻めたのは大海人皇子の側であるかのように解説しているようにも感じますけれども。

id:rushuout

>出家という名目で一旦都を離れ、体勢を立て直した
そう考えればとても分かりやすいですね!
つまり即位の意思を『隠して』一旦暗殺から逃れたという事ですね。
>攻めたのは大海人皇子の側
反旗なので攻め困れてからの攻撃だとは思いますが、いやいやなかなか、
精神面では先に仕掛けたのは大海人皇子の方と言えるかもしれませんね…。

区切りをつけて場面場面でご説明いただき、とても分かりやすかったです。
ご回答ありがとうございました。

2014/08/28 09:49:28

その他の回答(2件)

id:rafting No.1

ラフティング回答回数2648ベストアンサー獲得回数1762014/08/27 19:19:04

ポイント100pt

権力者は神輿を担ぐ者たちの利害関係によっても動かざるを得ないケースはままあると思います。

また、やらなければやられる場合もどこかで気持ちが変わることもあろうかと思います。

id:rushuout

>動かざるを得ないケース
>やらなければやられる場合
なるほど、反逆の恐れのある物は先に…というニュアンスなのですね。
ご回答ありがとうございました。よくわかりました。

2014/08/28 09:35:34
id:miharaseihyou No.2

miharaseihyou回答回数4453ベストアンサー獲得回数5462014/08/27 19:30:33

ポイント100pt

何故出家したのか?と考えれば、答えが出ると思います。
当時は長子による世襲が確立していない時代でした。
相続争いで戦乱になることは珍しくなかった。
また、大和朝廷そのものが武断的な性格を持っていた時代でもありました。
国の規模も大和秋津島全域ではなかった。
豪族の合議制だったことも内乱が起こりやすい原因でした。
壬申の乱だけでなく、大化の改新も事実上の内乱です。

id:rushuout

>長子による世襲が確立していない時代
そうですね!ちょっと頭の霧が晴れました。
これを前提に考えなくてはいけないし、
それに加え「大和朝廷そのものが武断的な性格」と言うことで
なるほどと納得するところがありました。
よく分かりました。ご回答ありがとうございました。

2014/08/28 09:40:45
id:jwrekitan No.3

椶櫚回答回数167ベストアンサー獲得回数672014/08/28 00:44:41ここでベストアンサー

ポイント200pt

Wikipediaの記述から推察する限りでは、蘇我安麻呂が

「有意ひて言へ(こころえてお話なさいませ)」と大海人皇子に忠告した。この安麻呂の一言により、大海人皇子は天智天皇の譲位を断り、吉野に脱出することが出来たという。

とあり、もしそのまま天皇に即位していたとするならば、命を狙われる危険性があったため、出家という名目で一旦都を離れ、体勢を立て直したという見方が可能であるように思われます。なお、

翌年、天武天皇元年(672年)6月22日に、大海人皇子は挙兵を決意して…

ともあり、大海人皇子の挙兵という事実はあるのか、それとも大友皇子が反抗の意思のない相手を攻撃したという事実があるのか、の論点を整理すれば、おのずと答えが出るような気もします。さらに、壬申の乱の記事においても

皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものである。

とも書いてありますし、むしろあらゆる記述が攻めたのは大海人皇子の側であるかのように解説しているようにも感じますけれども。

id:rushuout

>出家という名目で一旦都を離れ、体勢を立て直した
そう考えればとても分かりやすいですね!
つまり即位の意思を『隠して』一旦暗殺から逃れたという事ですね。
>攻めたのは大海人皇子の側
反旗なので攻め困れてからの攻撃だとは思いますが、いやいやなかなか、
精神面では先に仕掛けたのは大海人皇子の方と言えるかもしれませんね…。

区切りをつけて場面場面でご説明いただき、とても分かりやすかったです。
ご回答ありがとうございました。

2014/08/28 09:49:28
id:rushuout

皆様のご回答で大体を整理する事ができました。
つまり、こう考えれば良いのでしょうか。

大海人王子は王位を手放す意思はなかった。
ただ、一度引く事で丸腰状態での暗殺の危険を回避、体勢を立て直した。
大友皇子は当然、大海人王子に退く意思がない事は承知であり、
攻め込まれる前に叩きに出た。
またまた大海人王子もそれを読んでおり、
先に叩かせる事であたかも応戦するようにみせて逆賊でない事を強調、
戦力を大きなものにし、大友皇子を叩いた。
(分かりやすく言うと石田光成のように「大義」を盾に戦力を作った?)

本当のところはもちろん誰にも分かりませんが、
上辺だけの資料を読みうんうん唸っていても
時代の色や背景を知らないとちょっと分からなかったですね(笑
聞かなくてもその心情的なものを説明してくれる小説やドラマを見すぎでしょうか…反省です。
ただ、皆様にお聞きした事で自分の中で合点がいったというか…
納得が出来ました。

分かりやすいご説明、どうもありがとうございました。
皆さん違う視点、切り口からですし優劣などもってのほかですが
あえてベストアンサーとするならと言うことで、
区切りをつけてご説明いただいた椶櫚さんに。

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