また怖いと思いましたか?
こちらでアンケートも行っています
http://q.hatena.ne.jp/1409323261
1903年に大阪・天王寺で開かれた第5回内国勧業博覧会の「学術人類館」
の事件を思い出します。
私の記憶(ものの本で読んだもの)では、人の剥製が展示されていたということでしたが、その記述は見当たりません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6
http://www.elle.co.jp/catwalk/fw2013
ファッションショー。
服ではなく人間の展示に見える。
基本的に存在感のあるモデルに助けられてファッションを主張しているんですね。
市中の人間に合わせて服を作っているのではない。
だから、ファッションではなく人間(モデル)の存在が主張を強くしてしまうのだと思います。
コレクションのファッションが使えないのは今さらですけど・・。
ユニクロ「LifeWear」の2014年秋冬コレクション ‐ “リアル・マネキン”のスタイリング提案
http://s.fashion-press.net/news/11010
実は こんなイベントもあったのですが
マネキン人形ではなく
人間マネキンだそうです
1903年に大阪・天王寺で開かれた第5回内国勧業博覧会の「学術人類館」
の事件を思い出します。
私の記憶(ものの本で読んだもの)では、人の剥製が展示されていたということでしたが、その記述は見当たりません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6
基本的に「美術館」なるところでは「生物」を展示するというのは「禁止されている」筈です。コレクションにおいては「水分」は抜く、他、状態が維持できるものである必要があるようです。
哲学的になってしまいますが、
「生きていること」と「死んでいること」がどう違うのか、これは非常に難しいものがありますね。
美術館で人間を見せるというのは多くはパフォーマンスというカテゴリーになるかとは思いますが、そちらでは
ボイスがコヨーテと1週間コミュニケーションを試みるという話が有名ですね。
(実際には4日目くらいに病院に搬送されたと記憶しています)
http://www.artbook-eureka.com/?pid=40750691
戦後ドイツのカリスマおもしろおじさんヨーゼフ・ボイスが1974年にアメリカで行った、伝説的(?)パフォーマンスの記録です。
ボイスは1週間、フェルト、新聞、干し草の用意された画廊にてコヨーテと、1対1のコミュニケーションに臨みます。
ステッキが怪しい格好で近づいたり、コヨーテにフェルトを食い破られたり、寝床を交換してみたり…
でも最後には、コヨーテとなんかいい感じになっている気が!
ちなみにこのパフォーマンスのタイトルは『コヨーテ -私はアメリカが好き、アメリカも私が好き』。
これにインスパイアされたものが
1999年NTTインターコミュニケーション・センターで開催された「共生する・進化するロボット」展でヤノベケンジがロボットと共生する模様をワークショップ会場で公開していました(会場と観客は隔離されていました)こちらは1週間やり通しました。
http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic029/html/186.html
美術館で
人間を見せるのは
パフォーマンス と
インスタレーション と
あるようです
やなぎみわ に
ついて検索して
そう思いました
今は 演劇の演出も行っています
ドゥエイン・ハンソン展を思い出します。
リアル過ぎるアート ドゥエイン・ハンソン(Duane Hanson)展 ベルギー/ブリュッセル特派員ブログ | 地球の歩き方
本物の人間そっくりの彫刻です。昔、日本での展覧会に行ったことがあります。
間近で見てもまったくつくりものに見えません。
ところどころ生身の人間が作品になりすましてポーズをとっているのと
区別がつかないほどでした。
生々しすぎてちょっと薄気味悪かったです。
人体の不思議展も見たことがありますが、標本にポーズを取らせてたりするのが
悪趣味で、行くんじゃなかったと後悔しました。
生きている人間の展示のつもりでしたが
私にとっては、「人間が展示されたイベント」と聞いて真っ先に思い浮かぶのがこれだったのです。
ご質問の趣旨にそわなくてすみません。
基本的に「美術館」なるところでは「生物」を展示するというのは「禁止されている」筈です。コレクションにおいては「水分」は抜く、他、状態が維持できるものである必要があるようです。
2014/09/14 00:44:00哲学的になってしまいますが、
「生きていること」と「死んでいること」がどう違うのか、これは非常に難しいものがありますね。
美術館で人間を見せるというのは多くはパフォーマンスというカテゴリーになるかとは思いますが、そちらでは
ボイスがコヨーテと1週間コミュニケーションを試みるという話が有名ですね。
(実際には4日目くらいに病院に搬送されたと記憶しています)
http://www.artbook-eureka.com/?pid=40750691
戦後ドイツのカリスマおもしろおじさんヨーゼフ・ボイスが1974年にアメリカで行った、伝説的(?)パフォーマンスの記録です。
ボイスは1週間、フェルト、新聞、干し草の用意された画廊にてコヨーテと、1対1のコミュニケーションに臨みます。
ステッキが怪しい格好で近づいたり、コヨーテにフェルトを食い破られたり、寝床を交換してみたり…
でも最後には、コヨーテとなんかいい感じになっている気が!
ちなみにこのパフォーマンスのタイトルは『コヨーテ -私はアメリカが好き、アメリカも私が好き』。
これにインスパイアされたものが
1999年NTTインターコミュニケーション・センターで開催された「共生する・進化するロボット」展でヤノベケンジがロボットと共生する模様をワークショップ会場で公開していました(会場と観客は隔離されていました)こちらは1週間やり通しました。
http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic029/html/186.html
美術館で
2014/09/15 22:46:20人間を見せるのは
パフォーマンス と
インスタレーション と
あるようです
やなぎみわ に
ついて検索して
そう思いました
今は 演劇の演出も行っています