民主主義とイスラム教は対峙します。
ハッキリ言えば両者は敵対する概念です。
民主主義を推進するならイスラム教を弾圧して壊滅させるか無害化するべきです。
最低でも宗教を人の心を司る範囲に限定して、政治とは隔離するべきです。
日本では一向宗の弾圧など過去の歴史にありますが、当時の一向宗は現在のイスラム教過激派のようなもので、民衆に寄生して様々な弊害があった。
現在のイスラム教過激派も同様の害毒を喧伝していると思います。
中東諸国における権威主義体制の頑健性―体制変動への経路依存性アプローチによる考察―
6~9ページあたりをよく読んでください。
図4のゲームだと、「指導者層」にはpがどのような値であっても「政治的自由化」が支配戦略になる。これは経済改革に伴って政治的自由化が余儀なくされた状況をモデル化している。
「敵対派閥」が「指導者層」と協力して権威主義体制を維持するか、野党勢力と協力して「民主化を画策」するかは民主化の成功確率pに依存する。この場合、p>(c-d)/(a-d)ならば、ナッシュ均衡となる戦略の組は「政治的自由化-民主化を画策」となり、p≦(c-d)/(a-d)ならば「政治的自由化-協力」となる。
コメント(3件)
新政府が民主的な手法で市民によって選ばれたのは確かである。
どうすればいいのかの主体が、新政府なのか外国からの支援なのかが不明。
外国からの支援の場合、求められてもいない支援は内政干渉にあたる。
独裁政権の反省とは何かが不明。
不明なものには対策など立てられるはずもなく、
まずは明確な反省点を掘り起こすべき。
民主主義こそ最善の政治体制であるという証明はされていない。
エジプトの場合、倒された独裁政権はアメリカに支持されていた。
もちろん日本も例外ではなく、他人の失敗だと笑ってばかりはいられない。
このあたりの矛盾をどう説明するのか。そもそも民主主義とは何なのか。
認識の甘さを痛感しました。
たとえ目的通りに運用されていないとしても、平等な社会を目指すものです。
一方、数多ある宗教はヒエラルキーの社会の構築を目的とします。
神を頂点とする身分制社会が大前提です。
イスラム国が奴隷制度を復活させたのも、神の王国を築くためです。
最大多数である奴隷は王国の礎を支える人柱となるでしょう。
例の唾棄すべきオウムとイスラム国の掲げる理想は大同小異なのです。
そういう意味では中世に十字軍を派遣したカトリックも同じようなものです。
些細な教義の違いがあっても、目指すところは同じなのです。