我々は自分の知らないことや知っていることと反対のことを提示されると、反論あるいは否定したくなります。「アポロの月着陸があったか、なかったか」、「放射性物質による食品汚染が体に悪い、悪くない」など、どちらかが正しくて、どちらかが間違っている命題であっても、「いったいどっちが正しいのか、じっくり考えよう」という態度が生まれません。どうしてでしょうか。仮説を提示してください。(回答は、仮説をお願いします。)あるいは、反論の罠(議論を深めないで反論、無視する罠)を乗り越えて、知識を深める・検証するためのアイデアを示してください。(回答は、アイデアや提案をお願いします。)

回答の条件
  • 1人1回まで
  • 13歳以上
  • 登録:2015/03/12 17:08:32
  • 終了:2015/03/19 17:10:04

回答(10件)

id:rafting No.1

ラフティング回答回数2652ベストアンサー獲得回数1762015/03/12 17:49:15

ポイント10pt

反論されると、説得や説明をしがちですが、実は「そのまま受け入れる」という行為が一番効果的なのです。

相手の反論を柔らかく受け入れるので、これをクッション話法といいます。

まずは、相手の反論や反対を受け入れ(クッション話法)、そしてあなたが次に話す言葉の接続詞としてイエスアンド話法があるのです。

具体的な接続詞としては、「実は」、「そして」、「したがいまして」です。

例題でみてみましょう。例 Aさん「おたくのネット回線は他社に比べると高いですよ。」Bさん「はい。確かに他社さんに比べると高くなっております。しかし、年間のランニングコストをとても安く抑えることができるのです。」

いかがでしょうか。何だかAさんの話しはBさんに受け入れてもらえなかった感じがしませんか?それでは接続詞を変えてみましょう。

例 Aさん「おたくのネット回線は他社に比べると高いですよ。」Bさん「はい。確かに他社さんに比べると高くなっております。実は、年間のランニングコストをとても安く抑えることができるのです。」

いかがでしょうか。文法上、少し違和感を感じるかもしれませんが、実際に話してみると意外と気にならないものです。
http://www.standby7.net/11.html

id:Lhankor_Mhy No.2

Lhankor_Mhy回答回数779ベストアンサー獲得回数2312015/03/12 18:23:59

ポイント10pt

 長いですよ。
 
 コミュニケーションの問題についてどちらの責任などとするのはあまりよい考え方ではないですが、送信側が工夫することによって回避できるトラブルもあるかと思います。
 少し話がずれるかもしれませんが、サイエンスコミュニケーションの問題とよく似ているように思います。
 

(仮説)

 確証バイアスによるバックファイア効果かと思います。

 3つめの、そして間違いなく最も強力なバックファイアー効果は、人々の世界観や文化的アイデンティティの感覚とを結びつい話題で起きる。いくつかの認知のプロセスで、人々は無意識にバイアスのかかった方法で情報を処理することがある。自分たちの見方に強固に固執している場合、対抗議論に直面すると、その見方を強化してしまうことがある。
 この効果に寄与する一つの認知プロセスは、人々が自分たちの見方を支持する情報を選択的に探し出す、確証バイアスである。ある実験では、被験者たちは、銃規制や差別撤廃措置のようなホットボタンな問題についての情報を提示された。各情報は情報源が書かれていて、その情報が賛成か反対か(たとえば全米ライフル協会 vs 銃規制運動)明確にわかるようになっていた。両者を公平に提示したにもかかわらず、被験者たちは自分が元々持っている見方に合う情報源を選択した。この研究で、公平な形で情報を提示されても、人々は既に正しいと考えている情報に傾くことで、元々持っている見方を強化する。自分たちの見方を強く持っている人々の間で二極化が強く起きることがわかった。
 もし、選択の要素を取り除いて、誰かに世界観に反する論を提示したら、どうなるだろうか? この場合、前面に出てくる認知プロセスは、反証バイアスすなわち、確証バイアスの裏面である。この場合、人々は非常に多くの時間を費やして、対抗議論に積極的に反論を考える。

忘却からの帰還 創造論/ID論 [旧サイト] - バックファイアー効果

 

(アイデアや提案)

いわゆる「欠如モデル」というものが解決のヒントになるかと思います。

 誤情報についてのよくある誤解は、誤情報の影響の除去は、人々の頭に情報を詰め込めばいいというものだ。このアプローチは、大衆の誤解が知識不足によるものであると仮定し、その解決策はサイエンスコミュニケーションにおける、より多くの情報だというものである。これは「情報の欠如モデル」として知られている。しかし、このモデルは間違っている。ハードディスクにデータをダウンロードするように、人々は情報を処理しているわけではない。

忘却からの帰還 創造論/ID論 [旧サイト] - バックファイアー効果

 科学技術社会論・科学コミュニケーションと呼ばれる学問分野がありますが、そこでは「知識の欠如を埋めれば、人々は抵抗感を示していた科学技術を受け入れる」という科学者がやりがちなパターンを「欠如モデル」と言います。
「知識」未満のフワッとした話をしながら、「とにかく大丈夫」と言い続ければ理解を得られるだろうという態度があったのは、「欠如モデル」のものすごくダメなパターンだったと言えます。  当然「適切な反応」などにはつながらない、逆効果でした。

【最終回】もはやメディアの「両論併記」型は、百害あって一利なし!|俗流フクシマ論批判|開沼博|cakes(ケイクス)

 人々は自分たちにとって重要だという価値に基づいて行動うるので、自分たちにとって良いことだと感じるときについて短文を書かせることで、自己肯定は実現可能である。そうすると、人々は自分たちの世界観を脅かすかもいれないメッセージを、自己肯定なしにメッセージを受けた人々より、受容しやすくなる。興味深いことに、自己肯定効果は、自己価値の感覚でイデオロギーが中心となっている人々に最も強く出る。

 情報を受け入れやすくするもうひとつの方法は、個人の世界観をより脅かさない形のフレーミングを行うことである。たとえば、共和党支持者は「税金」としてより「カーボンオフセット」として同額を課金する方を受け入れやすい。このような言葉使いは、民主党支持者や無党派にはあまり効かない。というのは「税金」という単語が民主党支持者や無党派の世界観を脅かしていないからだ。

忘却からの帰還 創造論/ID論 [旧サイト] - バックファイアー効果

 つまり、送信側が「ただ正しい情報を伝える」だけだと、欠如モデルの欠点であるバックファイア効果を呼び起こしかねないということです。
 私は「と学会」について、ニセ科学や陰謀論の存在を世に知らせた功績を高く評価しています。しかし一方でバックファイア効果により「帰ってこれない場所」まで行ってしまったトンデモさんも数多くいると思われ、これは「と学会」の罪だろうなあ、と思っています。
 
 さて、欠如モデルを理解し、バックファイア効果を呼ばないようにと注意していくと陥りがちなものに、相対主義があります。

 知識・良識がある人が、知識・良識があるからこそ、色々なバランスを気にしすぎて、歯切れ悪く「それぞれの判断を尊重して判断・行動していくべきだと思います」という場合もあります。
 いずれにせよ、「こういう人もいれば、逆の人もいる」「それぞれの判断を尊重して」というのは便利な言い回しです。
 これは相対主義的なもの言いだと言ってよいでしょう。「Aという考えも、Bという考えも、Cという考えも尊重されるべき」というのが相対主義です。  逆に、絶対主義は「Aという考えのみが尊重されるべき。BやCの考えは許容されない」というものです。
 「それぞれの判断を尊重して」というのは前者です。
 そして、これからは、「科学的な前提にもとづく限定的な相対主義」に移行すべきです。
 「限定的な相対主義」というのは、絶対主義のようにほかの可能性をはじめから排除するようなことはしないが、明確にわかってきていることは前提におきながら議論の精査をすることです。
 なんの精査もせずに「Aという考えも、Bという考えも、Cという考えも尊重されるべき」と言い続ける時期ではありません。

【最終回】もはやメディアの「両論併記」型は、百害あって一利なし!|俗流フクシマ論批判|開沼博|cakes(ケイクス)

 味噌の味の話をしてる時に、「やはり八丁味噌が一番だ」などという相手の世界観を壊す事を恐れて「味噌もクソも一緒」みたいな結論をしても仕方がありません。とりあえず前提として「どうやら、味噌とクソは別物と考えてよさそうだ」という、ある程度土台と出来るような蓋然性が高い前提をひとつひとつ積み上げていく、そういう作業が必要になるのではないでしょうか。

id:takejin No.3

たけじん回答回数1475ベストアンサー獲得回数1902015/03/12 20:48:26

ポイント10pt

人の話を聞いてないから。
です。
提示した証拠を認めない、という時点で「どちらが本当か検討していないなこいつ」になるわけです。以降そのような努力は無駄とわかる。
したがって、歩み寄る余地はなくなり、相互の主張する陣地へ相互に引きずり込む方法しか提示できなくなります。
「レーザ反射板」を鼻から認めていない、という点で、歩み寄る余地がなくなっていることに気付かないのか、気づこうとしないのか、あえて避けるのか。どちらの態度に問題があるのか「冷静に判断していただきたい」

id:NAPORIN No.4

なぽりん回答回数4698ベストアンサー獲得回数8612015/03/13 12:01:30

ポイント10pt

「「アポロの月着陸があったか、なかったか」、「放射性物質による食品汚染が体に悪い、悪くない」など、どちらかが正しくて、どちらかが間違っている命題であっても、「いったいどっちが正しいのか、じっくり考えよう」という態度が生まれません。どうしてでしょうか。」
 
今までアポロ質問をくりかえしてらっしゃいましたが、私はスルーしてきました(ご質問の前提にあるような反論も否定もしませんでしたよね、そういう人ほかにもいっぱいいます)。
自分にわかる問題はなるべく答えるようにしている私が、どうしてアポロに回答しなかったかというと、
なぽりんの中でも世間でも一応の解決がついているところにあらためてひっかかり治すことをしんらいさんがお望みなんだなと思えたからです。そういう場合は「説得」「折伏」などしたくない。いくらでも悩めばよろしい、ただし私には関係がないだけ。
「たしか証拠はアレとアレがあったしここにいけばもっと詳しいことを知ることができる。
じゃあ今のところそこまで考えておけば自分が社会生活を送るには十分だろう。」
と私は思っています。
もしいちいち「反論」「否定」をしていれば3歳児~30歳児の「なぜなぜ攻撃」につきあっているうちに自分の人生が終わってしまいます。私の学生時代=「じっくり考える」時間は終わったのです。今は私の「生産する時間」です。反論だとか否定だとかいうことじゃないんです。いわば無視、放置、構わないだけです。
 
人間は、一人で万能ではありません。
ネットも万能ではありません。
文化というものは、人間の知見の集合体を指して言うわけですが、
それは一人で開拓しなくてよいものです。
私たちはのべ何百億人と生きてきた人間たちのつみかさねた知見の塊の一番外側の最前線に立ってるだけなのですから。
 
もうすこし言うと、どんな大学の研究者でもそのつみかさねをほんの数百億分の1くらい外側にひろげて人生を終えてしまいます。一人でサイエンスに載るような論文の数報、githabの数百件もエントリできればその人は「よく働いた人生だった」と自賛できるでしょう。
わたしにはとてもそんなすばらしい研究はできません。でも専門家の研究の成果は尊重していますし教育を受けているのである程度、真偽は判断できます。
 
ですのでアポロの件も原子力の件も、情報を正しく扱う研究者+政府にまかせて検証済みとして日常を営んでいます。不安を煽られるための情報を摂取する時間は無駄です。(とはいえ汚染水放流、同性愛反対デモあたりは予断を許しませんので従来の日常ニュースとおなじ程度にチラ見してはいますが)
検査済みですから安心して日本のお米もお魚も食べてますしそのせいで110歳くらいになればどうやったって死ぬしかないでしょう。私には不都合はありません。

id:deep_one No.5

deep_one回答回数86ベストアンサー獲得回数62015/03/13 13:02:32

ポイント10pt

連続する質問の流れをみるに、「議論しよう」ではなく「否定しよう」としているからでしょう。

インパクトを与えるために「通常正解とされることの否定から入る」という手法はありますが、その手法をとっているなら「過剰な反応がある」事は想定すべきです。

そもそも「通常正解とされている事柄」について「正解であるとする根拠」は誰からでもいくらでも出てくるので、圧倒的な反論を受けることになるのは自明です。

id:adlib No.6

adlib回答回数1903ベストアンサー獲得回数1132015/03/13 14:32:48

ポイント10pt

 
 もしや緒論 ~ 仮説:比喩≒未経験:既経験≒若人:老人 ~
 
…… 老人は、自分の経験こそが一般論だと思いこみ(帰納法)、若者
は、一般論をもとに他人の言動を評価する(演繹法)傾向があります。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7326218.html(No.4 20120226)
 
 わたしは、自分の経験こそが一般論だと思いこみ(帰納法)、息子は
漫画やSFや映画をもとに、論評する(演繹法)傾向があります。
 父と子の意見が合わない要因を、次のように分析してみましょう。
 
 父は、アポロ月面到達(19690720)をテレビ中継で観た記憶があり、
息子は当時二歳未満でした。実際に観た世代が疑いを抱き、観なかった
世代が疑わないとすれば、どのように説明できるでしょうか。
 
 そこで「もしや」という概念が登場します。もしかして虚偽だったら、
と疑うのは、その場その時に居合わせた者ならではの実感です。
 歴史的事実として記録される以前の、目撃証人としての特権です。
 
 しかるに鳥は、生れて初めて見たものを「親鳥」と信じるそうです。
 カルガモの母子が、何者をも恐れず、列をなして直進する習性があり、
タンチョウは、餌をくれた人間を「異性」と信じて求愛するように。
 
…… 多数決は、地動説も、進化論も、遺伝の法則も生みださない。
https://twitter.com/awalibrary/status/575683855002288128
 我理例 ~ それでも地球は動く ~
 

id:gm91 No.7

GM91回答回数1007ベストアンサー獲得回数882015/03/15 11:06:48

ポイント10pt

>どうしてでしょうか。

「我々は自分の知らないことや知っていることと反対のことを提示されると、反論あるいは否定したくなる」
というような偏見を持つから、だと思います。

意見には、賛成と反対で2分できることって実は少ないと思いますし、完全に正しい意見、というものも存在しません。
(だって皆、自分の主観でしか判断できないのですから)

>知識を深める・検証するためのアイデア

・自分が知りたい事
・自分が理解している事
を明示した上で、自分の意見と理由を述べること。です。

あとは、「理解」と「同意」を混同しないこと、ですね。

id:ONOYUGO No.8

ONOYUGO回答回数6ベストアンサー獲得回数02015/03/18 12:33:21

ポイント10pt

質問の核である「いったいどっちが正しいのか、じっくり考えようという態度が生まれません。どうしてでしょうか。」についてのみ簡単に。

仮説1.考えるのが面倒くさいから。どちらかの考えに偏った方がラクだし自分も混乱しないから。

仮説2.どれだけ考えても何が正しいのかが最後までハッキリしないから。原発なんてその最たる例。ほかには牛乳必要・不要説、ワクチン必要・不要論もかれこれ何10年も論争が続いています。

仮説3.そもそもそういう人たちに「じっくり考える」という選択肢が存在しないから。原発問題に出くわしたら「賛成」か「反対」しか選択肢がなく、「じゃあ本当にどれだけ実害があるものなのかじっくり調べてみる」という選択肢自体が彼らには思い浮かびようがないから。

id:pente40 No.9

pente40回答回数218ベストアンサー獲得回数212015/03/18 17:52:37

ポイント10pt

こんな教育現場を聞いたことがあります。

小学校でのディベート教育の一環なのですが、ある議題に対して賛成か反対かを最初に問います。
そして賛成とした人は反対派として。
反対とした人は賛成派として、お互いに議論してあいてをいかに納得させる事ができるかと言うものでした。

そうする事によって自分がなぜ最初にそう考えたのか、また、自分と考えの違う人は何故そう考えたのかが思い込みを減らして考える事ができるそうです。

なかなか人の考えを受け入れるのはお互いに難しいですよね。

id:j4mika No.10

j4mika回答回数166ベストアンサー獲得回数252015/03/18 19:23:02

ポイント10pt

神学論争なども良く聞きますね。


いくつかケースが考えられそうですが思いつくところを。

・自分で答えがどちらか分からず、相手と反対のことを書けば議論になります。そうすると、議論がうまれ正しい答えに近づけるかもと言う期待。ただ、議論をしても答えなど無いのでじっくり考えるという方向には行かないし、行くことが出来ない。最後は思い込みで喋るしかない。

・数学のように白黒ハッキリしていれば、議論をすれば必ず最後は結論に到達し議論に答えが出ます。ただ、実際には統計や確率など複雑な事になると、考えることが苦痛という人も多く、兎に角、自信の思い込んでいる答えを繰り返す人。

・答えの存在しない事、もしくは検証の出来ないことについて、両者共に結論は「答えがない」と内心でているわけです。(今までたくさん議論や調べたという経験があるかもしれません。)、答えがないという結論が明白である以上、個人の思い込みで話しをするしかないですし、じっくり考える事は無意味ですので、議論する気にすらならない。


議論を深めるアイデアについて

本質とはかけ離れた重箱の隅をつつくような反論は無視して(例えば、人格攻撃や漢字が違う等)、議論の本質に着目して話を誘導するとより答えに近づけるかもしれません。

また、相手の知らない、検証可能な情報を提示して興味を引くというのもひとつかもしれません。例えば、アポロについてですが、実際に様々な疑惑ありテレビでその点を検証していました。馬鹿らしいと思ってみないつもりでしたが、見ていると、過去の疑惑点を取り上げ、実際に真空の状態を用意するなどして大がかりな実験をしていました。今まで、そこまで実際に実験をして検証した話は聞いたことが無く実に説得力がありました。これを見ていて思ったのが、あとで自分がやっても同じ結果になると思えるような(検証可能とも感じられる)データというのは、議論をする気になる良い材料だと感じました。

  • id:taro-r
    「我々は自分の知らないことや知っていることと反対のことを提示されると、反論あるいは否定したくなります。」というところに,まずそうだっけ?って思うのですが,これに反論すると,また「否定したくなります」と言われてしまう罠なので,スルーします。
  • id:takejin
    反論の前に、根拠を聞くけど。
    根拠のない命題に、議論の余地はありませんから。
  • id:kori3110
    回答とはちょっとずれるので、こっちに書きますが、
    んー。結局のところアポロについてはもうどうでもよくなってしまったのでしょうか?

    それはそれとして、命題を提示する時に、注意すべきことの一つに、
    「たてた命題が適切かどうか」ということがあります。

    >「放射性物質による食品汚染が体に悪い、悪くない」
    という命題は、「悪い・悪くない」どちらでもありません。
    なぜなら、放射性物質の人体に与える影響は当然ながら量に左右されるからです。
    そうでないと、われわれはおちおちバナナも食えません(バナナは天然の放射性物質を多く含む代表的食品です)。
    これは、次の命題が大変馬鹿馬鹿しいのと同じです。
    「塩の食品への添加は体に良いか、悪いか」

    特に科学の問題において、正しい問いを考えることは大変に大事なことです。
    誤った前提からはどれだけ思考や議論を重ねても必要な結論は得られないのです。

    もちろん、宗教の教義として、「放射性物質による食品汚染が体に悪い、悪くない」を定める、
    という事であれば一向に構いません。
    ただし、科学的に問題がない量を摂取している人に、自分の信じる教義と違うからと言って説得を試みたりしなければ、ですけど。
  • id:ShinRai
    質問をしっぱなしで、急に忙しくなってしまい、放置したことをお詫び申し上げるとともに、ご回答くださった皆様に感謝申し上げます。

    けっこう面白い、有意義な意見が出たと思います。

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