匿名質問者
匿名質問者匿名質問者とは「匿名質問」を利用して質問した質問者。
「匿名質問」では、ユーザー名を公開せずに匿名の質問ができます。
詳しくはこちら

桜田門外の変で、大老が暗殺されたあと、彦根藩では、大老の側近だった人が粛清されたそうですが、長野主膳氏、宇津木氏のほかでは誰がいるのでしょうか。

また、どういう理屈(罪状で)、処分されたのでしょうか。表面上の理屈、それと、実際の理由が知りたいです(実際の理由といってもいろいろな推測が成り立つでしょうけれど、一般に言われている理由には、いくつかあるんだと思います。)。

 *:二人とも、斬首であり、そもそも厳しすぎるように思います。
   橋本佐内などが斬首だったので、
   本音として、理屈はともかく、それに合わる必要があったのでしょうか。
   などと推測しております。

回答の条件
  • 1人5回まで
  • 13歳以上
  • 登録:2015/06/06 10:13:17
  • 終了:2015/06/13 10:15:03

回答(1件)

匿名回答1号 No.1

匿名回答1号「匿名質問」を利用した質問に回答すると「匿名回答○号」と匿名で表示されます。
「匿名質問」では、ユーザー名を公開せずに匿名の質問ができます。
詳しくはこちら
2015/06/06 11:46:50

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E9%87%8E%E4%B8%BB%E8%86%B3
安政7年(1860年)、直弼が桜田門外の変で暗殺された後も彦根藩の藩政に参与したが、直弼の跡を継いだ藩主・直憲からは疎まれ、家老・岡本半介に直弼時代の功績や厚遇などを嫉視されて対立する。そして文久2年(1862年)、文久の改革で井伊家が問罪されると、半介の進言を聞き入れた直憲によって斬首・打ち捨ての刑に処された。享年48。打ち捨ての刑にともない葬礼は禁止されたが、明治期になって直弼が顕彰されると、彦根の天寧寺に墓所が建立された。

主膳や宇津木景福がこの時期に粛清されたのは、島津久光の率兵上京による幕政刷新、井伊政権精算の圧力に自主的に対応したためである。10万石減封、藩祖井伊直政以来の「京都守護」の地位剥奪など追罰は免れえなかったが、長野らに直弼の「失政」の全責任を負わせた結果、彦根藩では他藩のような内訌は起きず、王政復古後の政局に巧みに対応し、いち早く新政府軍に加わることができた。

匿名質問者

どうもありがとうございました。
長野主膳と宇津木六之丞のお二方だけが粛清されたのですね。
この二人の部下として動いた人もいたのではないかと思いますが、この二人だけが粛清されたのは、どういうことなのか、この辺について、述べたものがあれば、と思いました。
また、他に、掃部頭の側近として動いた人はいなかった、ということも意外に思います。やはり、この二人だけに絞って粛清対象としたのは、なぜなのか、大変気になりました。

  表に出せない、そういう話かもしれないですね。

2015/06/07 16:32:16

コメントはまだありません

この質問への反応(ブックマークコメント)

「あの人に答えてほしい」「この質問はあの人が答えられそう」というときに、回答リクエストを送ってみてましょう。

これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について

絞り込み :
はてなココの「ともだち」を表示します。
回答リクエストを送信したユーザーはいません