神の存在を否定する方。何故否定するのか教えていただきたいです。

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  • 登録:2015/08/10 21:46:14
  • 終了:2015/09/09 21:50:04

回答(29件)

id:KimuraShinichi No.1

KimuraShinichi回答回数1ベストアンサー獲得回数02015/08/11 00:01:12

どの神をでしょう。全部の神をでしょうか。一部の神をでしょうか。

id:taka3desu

一部の神です。まぁ、全部の神でも良いのですが、、、

2015/08/11 09:19:26
id:KimuraShinichi

「神の存在を否定する」という攻撃的な立場ではありませんが「神の存在を積極的には肯定しない」立場ではあります。

taka3desuさんが書かれたように、神を「第一原因」と定義してしまうと、そもそも世の中で「神」と呼ばれる多くの神々が排除されてしまうようにも思いますが、それはまあよしとしましょう。

仮に神を「第一原因」と定義してしまうと、神という概念が複雑で微妙な概念であればあるほど、その複雑で微妙な概念自体を「第一原因」とする態度は非合理なものに思えます。

また、もしも「神というものは超自然的な存在である」とすると、定義により自然界には存在しないはずのものではないのでしょうか。

神の存在を積極的に否定しようとも思いませんが、誰がどう見ても神は存在するという確からしい根拠も見あたらないようです。

であれば、かつてラプラスが言ったように「神という仮説は不要」と考えるのが慎ましい態度かと思います。

2015/08/12 01:13:03
id:chochoper No.2

chochoper回答回数1ベストアンサー獲得回数02015/08/11 01:49:02

無いものの証明はできないです。
肯定すると言うのならばその根拠を教えてほしいですね

id:taka3desu

神というものの定義ができていませんでした。
すいません。一応、一人の神ということでお願いします!

id:taknt No.3

きゃづみぃ回答回数13539ベストアンサー獲得回数11982015/08/11 11:50:34

神の定義があいまい。

一人というのは 人間ですか?
神を知らないがゆえに 神とは何か きちんと説明できない。

もし、神は 空気だと定義すれば、誰も神の存在は 否定しないでしょう。

id:takejin No.4

たけじん回答回数1472ベストアンサー獲得回数1892015/08/11 12:11:10スマートフォンから投稿

肯定する理由が無いからです。

存在証明してくれたら、議論に加わって上げます。

だから、否定さえしてませんが。

id:Sampo No.5

Sampo回答回数556ベストアンサー獲得回数1042015/08/11 12:20:23

神の存在を認めてしまうことは、人類の知性の敗北だからですよ。

神に限らず超自然的存在を認めるのってとても魅力的なんです。原因のよくわからないことは全部それらのせい、神の御業だったり悪魔の仕業だったり妖精のいたずらだったりで説明できてしまうので。

でも、そんなのじゃなくこの世の現象はこの世の範囲内でなにか理由があるはずだと追い求めることで人類は少しずつ自然と宇宙の仕組みを解き明かしてきましたし、今も知見を進めつつあります。

神の存在を肯定して、新たな知見は求めなくなった人類、まあそういう世界もありですが、私はそんな停滞した人類はイヤなので、まだ神を肯定しません。

id:taka3desu

例えば、あなたはケニアという国に行ったことがないとしましょう。
(行ったことのある方、ごめんなさい。)
それでもあなたはケニアという国が存在することを信じますか?信じませんか?
信じるという方、なぜ信じるのですか?行ったこともないのに。
もしかしたら、今住んでいる場所から3時間も船に乗ればつく場所かもしれません。それでも、あなたはケニアという国がアフリカのどこかにあると信じますか?
基本的に、我々の知っているものは99パーセント実体験ではなく、情報からの知識です。その知識の中に神という存在があってなんら不思議ではないはずです。問題は神という存在を感じる人が少ないのが問題なのです。
ケニアという国が存在することを信じるのと、神という存在が存在することを信じるのと、なにか違いがありますか?
(もしかしたら、変な日本語になっているかもしれません。そしたらごめんなさい!)
じゃ、神という存在をしっかり定義したいと思います。
神とは、あらゆるものの第一原因である。
これを定義とします。

id:Sampo No.6

Sampo回答回数556ベストアンサー獲得回数1042015/08/11 12:53:55

大変申し上げにくいのですがtaka3desu様はすでに建設的な対話の姿勢を失っておられます。
当初の意図が「説得(神は存在すると認めよ)」であったことはうすうす見えてはいたものの、あくまで「質問(神の不存在の理由は?)」の体裁をとって始められた対話です。

であるなら、条件を変えながらなんとか「神は存在する」と認めさせようと誘導するのは対話相手に対する不誠実さです。質問をした以上、傾聴する姿勢を忘れないでください。名目上あなたは、「神が存在しない理由」を理解したがっているのです。

宗教家に傾聴を説かないといけないなんて情けないですよ、もう。

あと、ケニアの存在を認めるかどうかとかそのレベルの議論は、はてな界隈の人はだいたい中学生か高校生ぐらいのときには通過してるんで、これもちょっと相手を馬鹿にしています。

id:frontline No.7

backyarD回答回数12ベストアンサー獲得回数42015/08/11 13:03:52

否定もしてませんけど、肯定する材料もないので存在を認識できない、ってところですかね。

「神とは、あらゆるものの第一原因である。」という定義を受ければなおさら。
1つでも例外があれば神でないというシビアな条件の存在を肯定するのは容易ではありません。
かりにそこまでシビアで無いにしても、「ケニアの存在」のたとえ話でいうならば、
「ケニアが存在する」と信じられそうな情報や根拠の数、質と、
「神が存在する」と信じられそうな情報や根拠の数、質を比べると、ケニアの存在の方が信じられます。

そんな感じでしいて否定理由として挙げるならば「相対的に、存在を信じづらい」が理由ですかね。

もしかして、絶対的に存在を信じざるをえないような出来事に遭遇したら一瞬でひっくり返るかもしれませんが。

id:ublftbo No.8

TAKESAN回答回数4ベストアンサー獲得回数12015/08/11 13:36:05

神の存在を否定の文をどのように捉えるかで変わってきます。

これが、不存在の肯定を指すならば、厳密にそれを言い切る事は出来ない、となるでしょう。論理的に何かの不存在を証明するのは(数学的な議論ではともかく)困難だからです。

神の存在を否定というのを、神の存在を積極的に支持する事は出来ないという程度の意味合いに解釈するならば、もう少し具体的な議論に持っていけます。ただその場合、なる概念をいかように定義するかが問題だと思います。
それがヒトの経験を外れた超越的な何かだとすれば、その存在を実証する事はヒトには叶わないので、神の存在を支持は出来ない、と言えるでしょう。あるいは、唯物論的世界観などを持っていると、観念的な概念であろう神の存在を、その世界観に整合的に組み込む事は出来ないように思われます。

もし、神を、何らかの経験的な証拠によって存在が支持出来る概念だと考えると、果たしてヒトが経験的に確認出来る存在をと呼んで良いのか、といった議論になるでしょうし、先に書いたような、経験によって何かを厳密に証明する事は可能か、といった問題も出てきます。

この辺り、古来、数多の人々によって問われてきた、神とは何か、あるいは、そもそも存在とは何か、といった所にまつわる、哲学や神学上の難問とつながるように思われます。存在とは何か、という事については、パルメニデス辺りが明確に意識して議論した有名な哲学者でしょうか。

--------

ここまでは前置きとして。

私は無神論者ですが、それは、唯物論的な世界観を持っているからです。そういう世界観であるが故に、神のような概念が存在すると肯定する事が出来ません。そして、そのような世界観を持つベースとなったのは、自然科学的な知識です。自然現象の解明のための物質的・機械論的自然観を、そのまま世界全体を捉えるための思想的な基盤としています。

けれどこれとて、そう信じているという、いわば信念であって、それ自体を実証する事は所詮不可能なものです。唯物論的な世界でありながら意識というものが存在するように思えるはなぜか、といったような難問については、別にいいや、と諦めていたりします。
ですから、論理的厳密に言えば神なる概念の存在は不可知であるが、経験的(個人の経験という意味では無く、経験科学の知識の集積という意)にはそのような概念を肯定的に受け取る理由は無いという立場であると言えます。どっちにしろ判らん、でも自分の世界の捉え方だと、存在するとは言えないな、といった感じですね。

他1件のコメントを見る
id:ublftbo

▼ 引  用 ▼
神がいなければ説明できない何か奇跡のような出来事、くらい
▲ 引用終了 ▲
たぶんこれは、哲学的にも科学的にも、「くらい」で片付けられない概念ではないかなと思います。まず、そのような経験とは一体何なのか、という事を考えるべきかと。

もちろん形式的には、神が存在しなければ経験出来ない事があるとして、もしそれを経験したならば、神は在る、と言えるでしょうけれども、そもそも、単なる形式論理的な範囲の問題では無いのではないか、というのがここでの主張ですし。
仰る仮定の「神がいなければ」という文を検討するには、まず「神の意味内容」が明らかでないといけないようにも思います。

経験云々の話としては。
たとえば、目の前にいきなり人間が出現したとして、それを説明するのに、必ずしも「神の御業」的な概念を用いざるを得ないという事は無く、「実は世界はそういう事が可能なように出来ていた」と認識を修正するのも可能な訳ですね。
そういう意味でもやっぱり「信念」なのですね。

主題である神というのを、人格的なものと捉えるか、あるいは汎神論的なものや理神論的なものと考えるかによっても議論は異なってくるでしょう。やはり神の定義をどのようにするか、からですね。

2015/08/15 23:03:52
id:AsakuraTourou

あ、そういうことでしたのね。
世界を認識するときに信念がフィルタするんだもの、その後のルートで議論できるはずがないってのは確かなのです。

二つのルートの違いは、世界を認識する方式が理論的なものか、観念的なものか。
理論的な見方をする人は普通いつまでも理論的な認識をするし、逆も同じです。

対立しているのは、神はいる、いないというよりも理論的な認識と観念的な認識といった方がいいかも。

そう思えば、観念的な存在「神」を理論的に証明するという試み自体が自虐的に思えてきます。
理論的に議論するには、まず神を定義しなくてはいけない。
定義するということは、理論で認識できる状態に観念をコンバートすること。
…まるで水に溶ける油を開発してる気分ね!(笑)

そのすり合わせが出来ないからこそ、科学が登場して数世紀経った今でもこんな議論があるのかもしれない…と思うのですよ。

2015/08/16 00:47:43
id:Yuily No.9

Yuily回答回数1ベストアンサー獲得回数02015/08/11 15:08:22

神の存在を前提としないと合理的に説明できないモノがあるようには思えないので。

id:supamarikogyarakusi No.10

無名なひと回答回数3ベストアンサー獲得回数02015/08/11 15:51:24

面白そうな質問でしたので、割り込ませていただきます。
私は、「神の存在を否定する」とは言えませんが、「神の存在を信じません」その理由は、「神は、存在する。」と伝えられてもその決定的な根拠と実感が存在しないためです。
神は信じること(信仰)で存在するのであり、神の存在は空想にあると思います。神とは身近であるように感じますがあまりに強い存在であるため、実感することが難しいです。よって信じがたい存在になります。また、神の存在を信じることにより、自分は神によって翻弄されていると捉えることができてしまうからです。仮に神が実在し森羅万象を作り出したとしても、その理由を知りたくもありません。それを知って好いこともあるでしょうが、私は、自分の描いた世界を実現したいし今の世界で生きていきたいです。
今の環境で自分という存在を充分に認識できます。それ以上を求めないしその機会は来ないと思っています。

そして、追記のケニアの存在についてですが、自分が直接関わったことのない未知の世界ではあります。しかし、実際に足を踏み入れなくてもわかる、完全に否定できない証拠が存在します。完全に否定ができなければ実在しないと言い切れませんが、完全に肯定することもできません。ケニアも、今認識する世界も、本当は偽である可能性もわずかながら存在すると言えると思いますが、情報が多く信頼性の高い伝達方法で利益になるのであればあるほど信じやすいものになります。しかし、神を信じたところで、何をする必要があるのか不明です。それよりも、自分の世界を広げていきたいと思います。
つまり、神の存在を信じる必要がないため、私は神の存在を信じません。

id:NAPORIN No.11

なぽりん回答回数4685ベストアンサー獲得回数8572015/08/11 20:26:00

神様は感情を受け止めるものの名前だとおもっています。
(仏様は感情を自己の努力で排除しようとするものの名前だとおもっています。)
 
自分の不幸(たとえば震災などの被災や、治らない病気)に原因を捜しても、
これだけ発展した科学の力でもどうしようもなく
「おまえがわるい」と指さす先がどこにもなくなって悲しみにくれるとき、
神を指さすことでようやく諦めがつく、そのために作られた概念だとおもっています。
(それが質問者さんのいう「あらゆることの第一原因」の意味ではないかとおもいます)
逆に喜びではしゃいで他人に迷惑を掛けそうなときも、
神に向かって無難な形ではしゃぐ限りにおいて
だれか他の個人へのストーカーとか驕り昂ぶることなどにならずにすむ。
 
ただ、この世では神のほかに政治(=みんなの助け合いの力)というものが
みんなの苦しみを受け止めようとする力をもっています。
政治はみんなで出し合った税金をどうやって使ったら
国民みんなを(もしかしたらさらに外国の人も)
救っていけるかを、科学(経済学・法学・外交学・歴史学・医学)などを駆使して、
なんとか理知的な考え方でやっています。
 
政治と神が一体化している分野があります。たとえばイスラム教です。
そこでは昔はもめごとを解決することに役立った宗教法が
今はもめごとの原因になることがあります。
たとえば神のせいで女性に参政権や教育が与えられないとか、
神のせいで自分の命を捨ててたいした恨みもない外国人を
攻撃をしたほうがよいと解釈されることがある、
神が昔指示したから輸血ができない、
神が昔指示したから栄養があっても豚・牛が食べられず、
豚ゼラチンやアルコールを含む医療用具もつかえないなど。
 
そういうことをみていると、科学からかけはなれることになった神の古い指示は
そろそろ打ち消したほうがよくはないかとおもいます。
(新しい法律でそのとおりにしているイスラム教国もあります)
政治や外交のほうが現代人を能く救えるのではないかとおもいます。
 
たとえばこの人力検索はグーグル検索という、
ネット回線があればだれでも使える神業を駆使して
人の疑問の解決を助けるサイトです。
 
単に人の悩み事に役立ちたいという思いで、
ポイント換金ができなくなったいまでも答える人が残っていますが、
そこに宗教心は(私のみるかぎり)介在しません。
宗教心に近いものがあるとすればこのサイトのガイドラインを遵守しようという心です。
 
人の行動にいちいち神という概念を介在させなくてすむほど
政治や経済が人を幸せにしてきたのだから、
神を信じている人にもとめられる、すべての認知に神を介在させる行為は
否定されていると見えてもしかたないとおもっています。
 
結論を一言でいうと、みんな幸せだから神を看過という形で否定するのだとおもいます。

id:grape2 No.12

grape2回答回数22ベストアンサー獲得回数22015/08/11 20:34:07

単なる確認ですが・・・。

質問者さん(taka3desuさん)の言う「神」ですが、
「有神論」的な神、
「人格神」的な神、
「一神教」的な神、
そのような意味で「神」という言葉を使っていますよね?

そして、「『汎神論』的な意味での神ではない」ですよね?

有神論
https://kotobank.jp/word/%E6%9C%89%E7%A5%9E%E8%AB%96-144759

人格神
https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E6%A0%BC%E7%A5%9E-81386

汎神論
https://kotobank.jp/word/%E6%B1%8E%E7%A5%9E%E8%AB%96-118146

id:taddy_frog No.13

サディア・ラボン回答回数817ベストアンサー獲得回数832015/08/11 21:09:29

殆どオカルトですけど、
神様はいると思います。

最初の生命は、
どうやって生まれたのかというと、
有機物の塊りが、たまたま細胞を形作って、動くようになるのは、
確率的に、有り得ないです。

ガラクタを窓から落としたら、
窓の下で、部品が上手く重なって、
新品の車になるのと、同じです。

最初の生命が発生するよりも、
死んだ動物が生き返るほうが、簡単だと思うのに、

動物が生き返る事件は、
起こらないです。

id:j4mika No.14

j4mika回答回数160ベストアンサー獲得回数222015/08/11 22:13:58

>それでもあなたはケニアという国が存在することを信じますか?信じませんか?
同様に神も信じられますか?とのことですが、

ケニアについては、GoogleMap、知人が行ってきた、テレビでその国へ行った人の体験談が流れている、JTBの旅行のツアーで紹介されている、辞書、外務省のHPに載っているから、ある強く信じることが出来ます。


経験上GoogleMapを使ってロシアとフランス、カナダを旅行したのですが、虚偽の情報ではなく、写真の通りでした。この会社がケニアを表示しているなら、嘘と言うことはないでしょう。
知人についても、彼の体験談が過去の実績より信用に足と思うからです。テレビについてもたまに嘘がありますが、大方本当です。JTBに至っては今まで何度も利用し、行き先が存在しなかったと言うことはなく、恐らくケニアも本当にあるでしょう。辞書や外務省についても、過去の経験上嘘は稀でほぼ確実に存在するでしょう。
そして、これら全て伝聞ですが、過去信用できる話しを行っていますので、多分、ケニアについても嘘は言っていないでしょう。更に、これら全てが協調し、私に嘘の情報を伝えているとは想像できないからです。勿論、100%とは言いませんが、ほぼ確実にあると確信できます。

しかし、神については、まず、あるなしで議論があるところで、信頼性は50%まで急降下します。そして、例えば、神が住んでいる国が見つかったなどとしても、GoogleMapには存在しないし、外務省のHPでも国交があるとは書いてないです。また、全能であれば、私が会いたいというメッセージを願っても現れませんし、いないと考える方が妥当でしょう。

ケニア同様100%はあり得ませんが、とりあえず、居ない物として判断しております。

id:adlib No.15

adlib回答回数1894ベストアンサー獲得回数1112015/08/11 23:04:48

 
 ウンザリズム ~ 聞きっぱなし vs 答えっぱなし ~
 
…… 漱石は居留守を使っていたとき、しつこい客に女中が困っている
と、いきなり玄関に顔を出し、「いない者はいないのだ! 私がいうの
だから、たしかだ」と客に怒鳴ったそうだ。── 朝日新聞『天声人語』
http://blog.goo.ne.jp/isobekai/e/895f580b63e2b5ed2ffd1725bf05677f
 
 駐日ケニア大使館や駐ケニア日本大使館には、両国民が勤めています。
 ケニア出身で、もっとも著名な人物は、米大統領バラク・オバマです。
 バチカン公国に教皇は実在しますが、「神」の姿を見た者はいません。
 
 地球上に存在する物質は、すべて《元素周期表》に載っています。
 固体か気体か液体か、その比重とともに分類されています。
 歴史上に実在した人物は、数々の《世界人名事典》に記録されます。
 
 しかし「神」と称する者が、いつどこで生れたのか、誰も語りません。
…… 生物には親がなければならぬ!(スパランツァーニ)。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710228 細菌学史
 
http://q.hatena.ne.jp/1176906807(20070418 23:33:30)
 神は存在するか? ↓存在すれど実在せず
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19391127
 

id:cook593 No.16

cook593回答回数1ベストアンサー獲得回数02015/08/11 23:23:22

神の存在のたとえとしてケニアを持ってくるのは筋が悪いと思います。

より適切なたとえは「友情」「愛」「真実」「仁」「人権」等の、目に見えなくて、科学が進んでも測定できないものです。

唯物論的な説明(眼に見えないものは存在しない)や、オッカムの剃刀的な説明(世界を説明するために必要ないものは存在しない)で神を否定すると、その人にとっては、愛も友情も真実も人権も世界から消えます。どれも目に見えないし、世界を説明するために必要なのは自然科学の概念だけです。自然科学の概念しか世界には存在しない、という理解はありえるでしょうが、私は、唯物論的な説明やオッカムの剃刀的な説明が不適切な対象が存在する、という立場を取りたいです。神もそのカテゴリーに入ります。

id:minumteh No.17

minumteh回答回数119ベストアンサー獲得回数172015/08/11 23:36:42

神様がいてくれると思うとすぐ神様の力を頼りたくなるから、
そんなよわい自分を戒めるために(笑)。

id:itigo-daihuku No.18

itigo-daihuku回答回数1ベストアンサー獲得回数02015/08/12 00:06:56

個人的な意見ですが…
その人にとって、神はいない方が色々と都合がいいからです

神がいるかいないかは証明できません。
見方を変えれば、いても良いし、いなくても良い。どっちでも良いのです。

少し脱線します。
ケニアの話が有りましたが、そもそも今いるこの場所は現実なのでしょうか?
あなたはそこに本当に実在していますか?
ケニアにいって五感で自然を感じたとしても、実は高度に文明発達したホログラムの中にいるだけのかもしれません。または、夢の中だった、というのも面白いですね。

ココにいる自分自身は夢の中なのか、現実なのか?
これも証明することできません。
そんな何が信じればいいのかわからない世界に
私たちは生きています。

神が信じるか、信じないか。これは
両親、家族、友達が正真正銘の人間だと信じるか、信じないか。という問いに近い気がします。

質問者の両親は本当に人間でしょうか?
実は血と臓器が入っているだけで、感情を持たない機械人形ではないでしょうか?
この問いに、私たちは他の人間が機械人形なのか感情をもった人間なのか違いを判別することはできません。

でも、私たちは両親、家族、友達を感情を持った人間だと「信じています」。
何故、そんな全く確証もないことを信じているのかというと、そちらのほうが都合が良いからです。
というよりも、機械人形であると考えても、得することは殆どありません。

世の中には神がいたほうが都合がいいことがたくさんあります。
逆にいないと、道徳やマナー、ルールなど色々説明が面倒です。
神がいれば一発で解決してくれます。

私は現在、神がいなくても特に不自由を感じてないので
いてもいなくてもどっちでも良い派なのですが、神がいたほうが色々と都合が良くなるのであれば信じようかと思っています。

※自分の中の神は数学でいうマイナスや虚数みたいなもので、現実世界には3つのリンゴはあっても、-3つのリンゴは存在しません。ですがマイナスという概念があると色々と都合よく計算できます。
虚数も昔はなかったですけど、あったほうが色々と都合よく説明できるので使われています。
自分の中の神ってそんな感じです。神に誓って。

id:yhiasn No.19

yhiasn回答回数26ベストアンサー獲得回数02015/08/12 14:06:45

>何故否定するのか

神の存在の是非はさておいて、何故否定する動機が生まれるのか。

私達の社会は物事を解析して、その原因と結果を明らかにし、それを応用することで技術を発展させてきました。
その流れを継承する人ならば、神を否定する方向性を持つようになるのではないでしょうか。


有神論でも人格神でも一神教でも一緒ですが、
人は自分では判断できないものを神のせいとして処理してきました。

何故雷なんてものが起きるのか⇒神様が放ってる矢なんだよあれは。
何故人生を善く生きなければならないのか?⇒来世で神様がアドバンテージをくれるんじゃない?
命が偶然できたなんて信じられない⇒やっぱり神様がいるとしか考えられない

これらのうち雷に関しては、雲の中にある静電気が雲同士や大地との間で放電している現象であることを判明させているように、
神にひもづけて処理してきていた未知の世界を既知にして進んできたのが私達の社会です。
つまり、神の領域をちっちゃくなるように削ってきた恩恵を受けているのですね。

また、原因の原因の原因の原因の原因・・・・を探していけば論理的な無限遠にある第一原因まで人はまだまだ到達できず、そういう意味で神は居続けるのですが、人間というのはそれを追究して無くしていくことを性とされた生物なのだと思います。

もちろん上記の話はすべてのひとの話ではなく、
クエーカー教徒のようにそれらの恩恵を自分のいいと思うバランスで止めるひとたちもいます。


余談ですが、21世紀の技術社会においておそらく無神論的な人びとであっても、自然界の素晴らしい仕組みや、時折みる素晴らしい景色を神の御業だと心をときめかしたり、ネットでみたスゴワザを見て「神ならネットのなかで見た」などと思わず表現してしまう人間ってのはなかなか楽しい存在だと思って気に入っています。

id:yhiasn

あ、そうだ。ケニアの話は、ありゃ見たこともないモノをどうやって信じるか話ですね。神にたいしてではなく来世とかにつかったほうが面白いたとえだったような気がします。
神ってのは単に「見たこともないモノ」ってだけでなく、それ以上に人間の歴史のなかで意味を担ってきてしまっているのでちょっと比較条件が悪い気がします。

2015/08/12 14:14:46
id:j4mika

神についてですが、人間の歴史の中では僅か2000年程度しかなく、それ以前はアニミズムなどでしたし、比較的新しい概念だと思います。新しく生まれた概念が正しいか否かが問題ですし、比較条件としてそこまで間違っているとは思いませんよ。ピラミッドが作られた頃信じられていた神は基本的には現人神ですし。

2015/08/12 19:17:19
id:dlove No.20

うみかぜ回答回数1ベストアンサー獲得回数02015/08/12 18:26:24

神が本当にいるのなら、この世で苦しむ人は存在しません
悲惨な人を見ると「神も仏もあるもんか」って思います。

id:968438333207711@facebook No.21

Asai Arito回答回数1ベストアンサー獲得回数02015/08/12 21:02:13

神の存在を否定するものではないのですが、
この命題は「神」および「存在」の言葉の定義の話に帰結することが大半です。

質問をかえて、「愛」は存在するか?
としたらどうでしょうか?愛の存在を否定する人はそんなにいないと思います。

神が、手足が生えていて、動きまわる人間のようなものだと考えて、否定している人がいるとすれば、それは認識不足でしょう。

イスラムでは神は完全に概念化されており偶像にすらならず、キリスト教でも、キリストは預言者であり、神の姿はあらゆるほとんどの宗教画でも描かれていないものです。(多神教の場合は、姿形が描かれるものが多いですが)。原始宗教では、木や岩や山という自然への畏怖として神という概念が生まれており、手足があったり喋ったりするような存在ではそもそもありません。

もう一つ、2012年の調査で世界の約85%の人が何らかの宗教を信仰していますが、無宗教と答えたのが約15%=11億人相当。そのうち6割が中国人で、日本人も半数以上が無宗教で割合では中国人の次に多かったらしいです。多くの人が存在するって思っているのだから存在するだろうと思ってもよいのでは。

id:ironsky No.22

G.Skill回答回数1ベストアンサー獲得回数02015/08/12 21:37:36

もし神がいるのならばこんな腐った世の中にはしないんじゃないだろうかと思う。もし神がそういう存在ならばどちらにしろ神を全否定する。

id:hathi No.23

hathi回答回数205ベストアンサー獲得回数462015/08/13 09:20:36

多数のコメントが寄せられていて、その中には既に書かれていることかもしれませんが、寄せられたコメントを読みもしないで、私はコメントをします。

❶ 神という存在をしっかり定義したいと思います。神とは、あらゆるものの第一原因である。 これを定義とします。
① あらゆるものに共通する第一原因どいうものを想定する必要性がないと思う場合は、神の存在を認めることもないと思います。 現状をありのままにみたり考えたり、現状や過去で出現したことや変化に関しても、わかる範囲、あるいは、仮にわかった気分になる範囲で原因を策定すれば、ほとんどのことでも困ることはないです。 科学的なことでさえも、心情的なことでも、政治経済など社会生活でも、それで十分です。 第一原因という概念を考え出すことは無理ではないですが、第一原因があるかあったハズと考えるのに十分な理由は存在しないです。

❷ 例えば、あなたはケニアという国に行ったことがないとしましょう。 それでもあなたはケニアという国が存在することを信じますか?信じませんか? 信じるという方、なぜ信じるのですか?行ったこともないのに。 もしかしたら、今住んでいる場所から3時間も船に乗ればつく場所かもしれません。それでも、あなたはケニアという国がアフリカのどこかにあると信じますか?
② 「何かがある・あった・起きた・なくなった」などを《信じる》というのは、そのように理解納得した方が好都合であると思っていることに背景があります。私には三つ目の目があるとか、実は頭が空洞であるとか思うよりも、目は2つ、心臓の中には血液が流れている、脳には大脳などが詰まっている、人造の部品は入れ歯を使っているだけで、私はサーボーグでも宇宙人でも超人でもないと理解納得した方が好都合であると感じているからに過ぎません。 エベレストが実在すること、ケニアがアフリカにあること、ケニアにはアザラシやシロクマやパンダは自然繁殖してないないと信じて居ることが、逆方向に信じているよりも、圧倒的に好都合です。 地球が丸くて太陽の周りを公転し、太陽は東から昇ると思っていた方が好都合だから、毎日太陽は東から昇り西に沈む、海の水は地球の反対側でも地面にくっついていて海面は大きく見れば球形の表面に張り付いているようなものだと信じている方が好都合だからです。

❸ 基本的に、我々の知っているものは99パーセント実体験ではなく、情報からの知識です。その知識の中に神という存在があってなんら不思議ではないはずです。
③ 神があるという情報もあるけれど、神はないとか、神は死んだとかの情報もあります。 神が今も存在する、唯一神が存在するとした方が好都合な事情は、私の回りにはほとんどないです。
 
❹ 問題は神という存在を感じる人が少ないのが問題なのです。
④ 神という存在を感じる人が少ないくても、なんら問題はないです。
 
❺ ケニアという国が存在することを信じるのと、神という存在が存在することを信じるのと、なにか違いがありますか?
⑤ ケニアという国が存在することを信じないとビザをとるという行為やケニア大使館を訪問する、ケニアの人口や政治を考えることも出来なくなります。それが不都合を起こすこともあります。 神という存在が存在することを信じなくても、結婚式やミサを行うこと、教会を建設することに不都合は生じません。 神像や聖書を生産販売することも、神の存在を信じなくても可能です。

id:hamlet-r No.24

hamlet-r回答回数2ベストアンサー獲得回数02015/08/14 00:24:13

仏教徒なので、全知全能の創造主としての神は居ないと考えています。
全ては生死を超えて、縁起のままに流転すると云うことなので。

id:dot_snail No.25

dot_snail回答回数2ベストアンサー獲得回数02015/08/14 08:25:02

ちょっと前に人が殺しちゃったからなあ、、、いなくなったよ。また生まれるかもしれんけど。

id:MATUBOKKURI No.26

MATUBOKKURI回答回数1ベストアンサー獲得回数02015/08/14 23:09:43

まずは、肯定しないのと否定するを混同する人が多いよね。
そして神という概念自体、人間が作ったものだと思う。

id:pekoyano No.27

いさ回答回数1ベストアンサー獲得回数02015/08/15 22:44:04

人が定義できるものは、既に神ではあり得ません。
神は、体験した人にしか、肯定も否定もできません。
知らないものを肯定することも否定することも、できるはずはありません。

id:nmori No.28

morinatsu回答回数72ベストアンサー獲得回数82015/08/15 23:50:09

質問者さんが神とおっしゃっているのは、天罰と称して数々の天変地異を起こしてきた存在のことでしょうか。
 
質問者さんが神の連絡先をご存じでも、そのことは秘密にしておかれるのが良いと思います。
質問者さんを拷問にかけてでもその居場所を知りたいと考えだす者がいるかもしれません。
人々がわざわざ考えまいとしている理不尽、怒りを呼び起こすことは得策でないと考えます。

id:KENKENPA No.29

けいT回答回数26ベストアンサー獲得回数12015/08/16 00:45:33スマートフォンから投稿

名前が神様ではなくても、その様な者はいるでしょうね。
時々、ベッドに入って目をつぶりながら宇宙の始まりってなんだろうとか思う時がありすごく不安になることがあります。
全てにおいて必ず始まりがあると思うのですが、宇宙に始まりなどなくずっと昔から無限だったのかもしれませんしもし始まりがあったのならば必ず終わりがきます。終わりが来たら無になるのでしょうか。もし、人が死んでも新しく生まれ変われるとしても産んでくれる人がいなかったら永遠に五感がなくなり、ずっと夢もなく起きる事もない眠りのようは感覚になるのんでしょうね。宇宙がどうやって始まりを迎えたのか、無の所から生まれようがあるのか。もしも無の中に1mmの「何か」があってその「何か」に何が起き宇宙となり、そこで地球が生まれて生命が宿りやがて私達になったと。そうすると私達の神様とは1mmの「何か」となります。今のは仮定ですが、私達の神様とはテレビでよく見る姿ではないかもしれません。また、神様はもう居ません。

id:taka3desu

大変長らくお待たせしました。定義やなどがしっかりしない中、様々な意見をいただきありがとうございます!
自分は別に人間の知性を馬鹿にしたり、ましてや全て「神」の言葉で片付け、終わらせようとしている訳ではありません。ただ、この世界があまり数理的にうまくつくられているので、、、
様々な偉人たちが神の存在を認めているので、今の御時世ではどうなっているのか知りたかっただけです。
皆さんの意見を聞きましたが、結局皆さんの意見では自分に満足のいく答えは出していただけませんでした。それでも時間を割いてコメントして下さったことに感謝します。ありがとう。

  • id:takejin
    定義ってわかります?
    あらゆるもの、第一原因、が未定義です。
  • id:takejin
    あらゆるものは、あらゆるものを包含してます。この時点で背理法が使えてしまう。
  • id:Sampo
    > この世界があまり数理的にうまくつくられている

    どの程度の数学知識をもとに「数理的に」とおっしゃっているのかが今ひとつ読み取れませんが、数理の美しさはこの世とまったく無関係で、数学的に真と証明された命題はこの宇宙が存在しなくても真です。つまり数理の美しさは造物主を想定する理由にはなりません。

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