現在のところ、死んだ人と意思疎通できる手段がない以上、死後に何があるかは誰にもわかりませんよね。
宗教家や霊能者の中にはわかるという人もいますが、それが正しいか客観的に検証する手段もありません。六道輪廻もアカシックレコードも天国も地獄も、霊魂の有無も含めて、すべて仮説でしかないのです。
「宗教臭くて信じられない」というけれど、こういう領域では、どのような意見も宗教と同じです。
そして、一概に、宗教=胡散臭い、インチキ、信じられない、というのも偏見かと思います。
人類の歴史を振り返っても、だいたい文明が芽生えると同時に何等かの宗教は発生するものですし、宗教が人にとって必要でなければそうはならないでしょう。
たぶん、人智の及ばないことに関して信じるべき仮説がなければ人は不安になってしまうものなんだと思います。今の質問者さんがそうであるように。
よくできた仮説を作り、それを信じることによって、人智の及ぶリアルな人生をよりよく生きられるようにという知恵が本来の宗教だと思います。
たとえば「よいことをすれば天国に、悪いことをすれば地獄に」みたいな素朴な発想は洋の東西を問わず信じられてきましたが、善人が報われにくい世の中で、せめて死後には幸せになれると信じることで、社会の秩序を保つ効能はあったと思います。
結論としては、自分にとって一番しっくりくる信じやすい仮説を見つけて、それが正しい、と思うのが一番良いのではないでしょうか。
あと、どんな仮説も、信じてる人にとっては心のよりどころですので、批判したり否定したら戦争になります。その人はそういう世界に住んでいるのですから、嘘を言っているわけではないです。
また、インターネットには、妄想に取りつかれているような人もいますので、投稿された他の人の意見をうのみにするのも危険です。
人は死んだらやがて意識も無くなり、腐るなり燃えるなりして自然に還ると思います。
今日はこれまでにしておきます。また明日色々お聞かせください。それではお休みなさい。
その存在について議論する事にはとても興味があります。
ただこれも無いと思いますし、仮にあったとしてもアクセス出来なければ意味が無いと思います。
おやすみなさい。
死生天結 ~ 迷信はすべての理屈に勝つ ~
つい百年ほど前は、ヒトのこころは心臓にあると信じられていた。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19151028
外科の夜明け ~ エリザベスの心臓 ~
いまや、こころは脳にあり、脳波の停止が死を意味すると考えられる。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19920613
六月十三日の死と愛 ~ 心臓死より脳死を優先する ~
斬首後「可能な限り瞬きを続ける」と宣言し、実際に瞬きを試みた。
http://q.hatena.ne.jp/1260718808#c166251(20091216 04:17:56)
死後のウィンク ~ ラヴォアジェの約束 ~
信じることは、疑うことに比べると、はるかに容易である。
http://q.hatena.ne.jp/1377389666#a1211900(No.3 20130825 18:47:07)
無心論 ~ 心臓に心あらず、脳内に魂あらず ~
リンクをありがとうございます。あとでゆっくり見てみます。
人は死んだら、夢を見ないで、眠ってる状態が永遠に続くと思います。
ミイラにならない限りは、死体は火葬場で焼かれたりして消えて
意識が永久に無くなるだけと思います。
ありがとうございます。アカシックレコードや六道輪廻をどう思いますか?。
死んで見たインドのおっさんの話。
人は死んでも肉体がなくなるだけ。
彼は正直な人だという。
http://www.sriramanamaharshi.org/ja/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B7/%E7%9C%9F%E6%88%91%E5%AE%9F%E7%8F%BE/
魂というイメージとは少し違いますが、そのようなものです。
色々教えてくれてありがとうございます。
現在のところ、死んだ人と意思疎通できる手段がない以上、死後に何があるかは誰にもわかりませんよね。
宗教家や霊能者の中にはわかるという人もいますが、それが正しいか客観的に検証する手段もありません。六道輪廻もアカシックレコードも天国も地獄も、霊魂の有無も含めて、すべて仮説でしかないのです。
「宗教臭くて信じられない」というけれど、こういう領域では、どのような意見も宗教と同じです。
そして、一概に、宗教=胡散臭い、インチキ、信じられない、というのも偏見かと思います。
人類の歴史を振り返っても、だいたい文明が芽生えると同時に何等かの宗教は発生するものですし、宗教が人にとって必要でなければそうはならないでしょう。
たぶん、人智の及ばないことに関して信じるべき仮説がなければ人は不安になってしまうものなんだと思います。今の質問者さんがそうであるように。
よくできた仮説を作り、それを信じることによって、人智の及ぶリアルな人生をよりよく生きられるようにという知恵が本来の宗教だと思います。
たとえば「よいことをすれば天国に、悪いことをすれば地獄に」みたいな素朴な発想は洋の東西を問わず信じられてきましたが、善人が報われにくい世の中で、せめて死後には幸せになれると信じることで、社会の秩序を保つ効能はあったと思います。
結論としては、自分にとって一番しっくりくる信じやすい仮説を見つけて、それが正しい、と思うのが一番良いのではないでしょうか。
あと、どんな仮説も、信じてる人にとっては心のよりどころですので、批判したり否定したら戦争になります。その人はそういう世界に住んでいるのですから、嘘を言っているわけではないです。
また、インターネットには、妄想に取りつかれているような人もいますので、投稿された他の人の意見をうのみにするのも危険です。
そういう人もいるんだなあ、と思います。
他人に「どう思いますか」って聞いても、それが正しいかどうかは限りませんし、もし、それを全部正しい意見と思えば、不安にもなるでしょう。言ってる事はそれぞれ違って、矛盾だらけですから。
インターネットには、極端な人もいますし、悪い人もいます。不安がつらいのであれば、しばらくインターネットを休んで、家族や信頼できる友人、あるいはお医者さんに相談されるのが良いのではないでしょうか。
ありがとうございます。7号さんや皆さんのおっしゃる通りです。これからはネットは控えるようにします。私は相手がどんな支離滅裂な事をいっても(例えばいま挙げてるokwaveの質問を見て貰えばわかります)それが本当の事なんじゃないかと思ってしまったりして。こんなんじゃいけませんね。
うちの宗教では「六道輪廻」は生きている間の心の状態のことをいいます。
自殺についての話だとすると、「あなたの心はいま地獄界にあってその心で世界を見ています。まずそれを改善することです」という話になります。
たいてい「心が地獄界にあるから自殺することが解決だと考える。餓鬼界にあるのならもっと幸福が欲しいと考えるし、畜生界にあるなら単純な欲求に基づいて生きるので死のうとは思わない。修羅界にあるなら争ってでも生きようとする。」みたいな話になると思います。
ありがとうございます。
そういう人もいるんだなあ、と思います。
2015/11/25 12:11:00他人に「どう思いますか」って聞いても、それが正しいかどうかは限りませんし、もし、それを全部正しい意見と思えば、不安にもなるでしょう。言ってる事はそれぞれ違って、矛盾だらけですから。
インターネットには、極端な人もいますし、悪い人もいます。不安がつらいのであれば、しばらくインターネットを休んで、家族や信頼できる友人、あるいはお医者さんに相談されるのが良いのではないでしょうか。
ありがとうございます。7号さんや皆さんのおっしゃる通りです。これからはネットは控えるようにします。私は相手がどんな支離滅裂な事をいっても(例えばいま挙げてるokwaveの質問を見て貰えばわかります)それが本当の事なんじゃないかと思ってしまったりして。こんなんじゃいけませんね。
2015/11/25 15:24:23