盲学校の仕組みなどを少し考えればわかることですが、
全盲者を地域ごとに常に固めて存在させることには社会的な利点がありません。
火災や事故などいざというときのために、
つねひごろから健常者と混在しているほうが安全だからです。
(逆にオリンピック選手など一芸に秀でたひとを特区に常に固めておくかというと
やはりそうでもありません。合宿のような場合だけです。)
結局、福祉(肌が触れる距離で健康を見守り合う)の最小単位は婚姻で作られる家族です。
家族をつくり、家族が助け合える状況があって、
次に仕事でお金をだしてくれるお客さん、
最後に義理もない他人の順番です。
人間は弱いものなので、
オトナになったからといって自分のことだけで精一杯で
家族・顧客・他人まで手がまわらない(そのために専業主婦・主夫を必要とする)人も多いのです。
それと、家族や社会とのつながりを自力でつくっていこうとするのが人間なので、
それを断ち切って隔離し、狭い人間関係の中だけで満足しろと強制するのは
南アフリカのアパルトヘイトやナチスのユダヤ人差別と同じ、
差別政策になります。
相手に障害があるからという理由で
見下すのでもわざとらしく持ち上げて甘やかしまくるのでもなく、
ちょうど必要なだけの手助けと絆を提供することが人権というものでは。
ありがとうございます!
2015/11/26 00:05:34真摯にご回答頂きとても嬉しいです。自分のイメージしていたものとしては、あまり詳しくはありませんが、盲学校などが既にそうなのかもしれないですね。
コメントにも書きましたが、人間社会は目が見える人間に都合が良いように設計されていますが、全盲の人にとっては、色などはなくても良く、感触や音、温度などを中心とした感覚的な環境、習慣としてもフリーハグが当たり前といった、全く違った概念の社会作りが必要なように感じます。
自分は親が福祉関係の仕事をしていた関係で、子供の頃から手足のない人、目の見えない人(自分の知っている全盲の人は按摩をしていました)などの家を度々訪問していて、特に差別意識は持っていないのですが、健常者のために作られたシステムに馴染む事がベストとも感じられず、そういった特区があれば、もっと行動範囲が広がって楽しいだろうな、と。確信ではないのですが、漠然とそう思ったので質問をさせて頂きました。
様々な問題点のご指摘、とても参考になりました。ありがとうございます。