Q2.夏目 漱石は、なぜ英語で小説を書かなかったのか?
Q3.樋口 一葉は、なぜフランス文学に学ばなかったのか?
さらば、ニホンゴ ~ 母語を捨てる人々 ~
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20160217
Ex libris Web Library;公用英語ご三家
<PRE>
三木谷 浩史 楽天 19650311 神戸 /[19970207-] ゴールデンイーグルズ
http://matome.naver.jp/odai/2141440783274501401
20141027 松濤に楽天御殿が完成
柳井 正 ユニクロ 19490207 山口 /[1984‥‥-] ファーストリテイリング
http://dot.asahi.com/wa/2013083000009.html
20130906 中国という市場を捨てたらグローバル展開はできない
八郷 隆弘 ホンダ 19590519 神奈川 /[201506‥-] 本田技研工業
http://www.itdcw.com/archives/news/0224396362015.html
20150224 日本本田汽车(7267.T)周一意外宣布,社长伊东孝绅将在6月底卸任
</PRE>
A1.
日本に住んでいて軍医という日本向けの仕事をしていたから、ドイツ語で書いて見せる、という需要が本人にも受け手にもなかっただけでしょう。
実際、ドイツにいた時には、森鴎外は本名の森林太郎名で「Allgemeine Zeitung」1886年12月29日号に「日本の実情」と題したドイツ語の文章を、1887年2月1日には「日本の実情・再論」と題したドイツ語の文章を掲載していますので、「ドイツ語の著作を遺さなかった」は、厳密には誤りです。
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/92_03_06.pdf
A1.
日本に住んでいて軍医という日本向けの仕事をしていたから、ドイツ語で書いて見せる、という需要が本人にも受け手にもなかっただけでしょう。
実際、ドイツにいた時には、森鴎外は本名の森林太郎名で「Allgemeine Zeitung」1886年12月29日号に「日本の実情」と題したドイツ語の文章を、1887年2月1日には「日本の実情・再論」と題したドイツ語の文章を掲載していますので、「ドイツ語の著作を遺さなかった」は、厳密には誤りです。
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/92_03_06.pdf
深掘り感謝 ~ うたかたの追記 ~
久方ぶりのズバリ快答に敬意を表します。
>厳密には誤りです< さらに厳密には、全集に収録されていないので
「書いた」「公表した」したとしても「遺した」とは認めがたいのです。
一葉は二十四歳で晩年ですが、鴎外にとって二十四歳の「若書き」を
全集から割愛し、二十八歳の《うたかたの記 1890‥‥ しがらみ草紙》
を処女三部作とみるのが妥当でしょう。
もちろん今回の質問の趣旨は「遺した」より「ドイツ語で発表した」
ことに力点があるので、二度も寄稿したことに感銘を受けました。
Age of genius’s proper ~ 処女作の適齢期 ~
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19631122
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19460818
http://q.hatena.ne.jp/1242725720(20090519 18:35:22)
http://kenkyuyoroku.blog84.fc2.com/blog-entry-996.html
── 《鴎外全集 全38巻 19711122-19750628 岩波書店》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J97JOC
わたしの自伝に、高校文芸部の俊才二人の作品を無断転載したところ、
仏文教授は難色を示し、おなじ仏文出身のTVプロデューサーは自信作
だった、と謝意を伝えてきました。(鴎外も微苦笑するはずです)
A2.
英語教師 夏目漱石 (新潮選書)という本に、夏目漱石と英語との関わりが多く書かれていますが、そこから類推すると
「日本で第一人者から3年英文学を学んだが、英文学はわからずじまいだった」
「留学先のロンドンでは主に先方の訛りがわからず会話に苦労した」
「教育では文章よりも会話を重視した」
あたりがその理由のみえる一端ではないかと思われます。
ロンドン留学のあたりからの夏目漱石の日本語著作は言文一致体が高い評価を得ています。夏目漱石は英語全体の能力は高かったが、現地の言葉には疎かった。そもそも英文学はいまいち理解できない。これでは英語での言文一致体小説は書けません。
A3.
樋口一葉の生涯にフランスが関わることはありませんでした。
高等小学校退学後、和田重雄、中村歌子に師事しますがこれは和歌方面です。
樋口一葉が小説を書くきっかけとして影響を与えたと言われる三宅花圃にもフランスとのつながりはありません。
親友の伊藤夏子が通ったのはアメリカ北部バプテストの設立した駿台英和女学校。
恋人同士と噂されたこともある半井桃水が勉強した外国語は英語。
フランスとのつながりがない以上、フランス文学に学ぶ以前に、フランスに興味を持つこともかなわなかったでしょう。
深掘り感謝 ~ うたかたの追記 ~
久方ぶりのズバリ快答に敬意を表します。
>厳密には誤りです< さらに厳密には、全集に収録されていないので
「書いた」「公表した」したとしても「遺した」とは認めがたいのです。
一葉は二十四歳で晩年ですが、鴎外にとって二十四歳の「若書き」を
全集から割愛し、二十八歳の《うたかたの記 1890‥‥ しがらみ草紙》
を処女三部作とみるのが妥当でしょう。
もちろん今回の質問の趣旨は「遺した」より「ドイツ語で発表した」
ことに力点があるので、二度も寄稿したことに感銘を受けました。
Age of genius’s proper ~ 処女作の適齢期 ~
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19631122
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19460818
http://q.hatena.ne.jp/1242725720(20090519 18:35:22)
http://kenkyuyoroku.blog84.fc2.com/blog-entry-996.html
── 《鴎外全集 全38巻 19711122-19750628 岩波書店》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J97JOC
わたしの自伝に、高校文芸部の俊才二人の作品を無断転載したところ、
仏文教授は難色を示し、おなじ仏文出身のTVプロデューサーは自信作
だった、と謝意を伝えてきました。(鴎外も微苦笑するはずです)