匿名質問者
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九段線の出てきた件(下記の③)について、教えて下さい。

下記の①②は中華民国と理解しております。
さて、③は、中華人民共和国のようですが、どういう経緯でしょう?
 ⇒ 中華人民共和国は、
   いったん、11段線を引き継いだことを宣言した、
   というわけではなくて、
   9段線を示したのでしょうか。
   中華人民共和国政府としては、
   金門島での戦闘などで、実際には大忙しだったと思います。

 ⇒ 中華民国は、どうなったでしょう。
   形式的にみれば、
    依然として、11段線を主張している
   という状況でしょうか?
   (馬政権と蔡政権では実際には違うかもしれませんけれど)   

①②③とは次のとおり・・・
   ①1930年
     中華民国政府が発行した地図。
     そこに、南シナ海の島嶼の領有権が示されていた。
   ②1947年
     「中国の権威が及ぶ範囲の限界」として、
     南シナ海に11の区画線からなる「11段線」を引いた。
   ③1953年
     区画線を2本、削除し、現在の九段線の形にした。

回答の条件
  • 1人5回まで
  • 13歳以上
  • 登録:2016/07/12 23:51:21
  • 終了:2016/07/19 23:55:03
匿名質問者

質問者から

匿名質問者2016/07/15 00:56:14

上記の質問本文では③を取り上げてます。どうぞよろしくお願いします。


次に①②の件なのですが、①の時期は、国民政府(蒋介石政権=南京)が北伐を完了した直後ですね。日本は、東アジアの軍事強国として存在していたはずですが、この状況のなかで、中華民国政府は、地図を発行したということですね。特に、対外的に宣言するとか、そういうことはせず、政府が地図だけ発行したということでしょうか?
政府機関が地図を発行したとは、中国国内で、市販されたということを言っているのでしょうか?。
 (中国の深謀遠慮には驚かされます。いずれ日本が弱体化すれば、
  その時に、生かすというのでしょう。
  まぁ、それはそれとして)
日本は、中華民国政府発行の地図には、気が付かなかったのでしょうか? もしも気が付けば、何か言いそうだと思いますけれど(戦後の日本政府なら何も言わないかもしれませんが)。
また、その後、国民政府から汪兆銘が脱出して新政権を作りますが、この汪兆銘政権は、この地図の立場を踏襲していたんでしょうか?
大東亜会議ではどういう扱いになったんだろうか、あえて触れなかったのか?(汪兆銘政権は、大東亜会議では中国の正統政権として参加)。

回答(0件)

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  • 匿名回答1号
    匿名回答1号 2016/07/13 18:34:53
    大日本帝国の大陸進出と似たようなモンだから、理屈は後付け。
    本来、中国は東アジア最大の侵略国家だった。
    中華帝国の伝統を襲いだ侵略路線なんだから、細かい理由付けをまともに考えるべきではない。
    中国の言い分は、中国にとって必要だから侵略するって事に尽きる。
    大日本帝国が満州はニッポンの生命線って言い張ったのと同じ。

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