http://www.bible.or.jp/know/know18.html「ヘボンとS.R.ブラウンは、翌1872(明治5)年に「新約聖書馬可傳」(マルコ)、「同約翰傳」(ヨハネ)を、1873(明治6)年に「同馬太傳」(マタイ)を、木版刷りで出版した。」ヘボンとS.R.ブラウンですね。
なかなか悩ましい質問なので回答を控えてたんだけど、それより古い神天聖書, 1823-1824(wikipedia:聖書翻訳)っていうのもあるようなので元が日本語なのか中国語なのかっていう問題もあれば
キリシタン時代の1613年頃までには京都で新約聖書全体がイエズス会の手によって出版されたことが確認されているが、この「キリシタン版日本語訳新約聖書」は現存していない。
聖書という言葉がいつ頃から使われていたのかという問題もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E8%A8%B3%E8%81%96%E6%9B%B8#/media/File:MEIJI-MOTOYAKU_Titlepage.png聖書という言葉が使われていない明治時代の聖書も存在するし
と思ったけど良く見たら米国聖書会社って縦書きで書いてあったすまん
中国語版の神天聖書をそのまま持ってきたのかもしれませんね。日本と中国の違いも分からない宣教師も多かったようですし、出版よりも先に翻訳中に「聖書」で通ったのかもしれませんが、それは日本に関心のある宣教師の間でのことでしょうね。当時は植民地主義時代で、キリスト教の布教には特別の意味があったが、布教に必須のアイテムとしてその国の言葉に翻訳されたバイブルが必要だったようです。
回答ありがとうございました。中国語版での「聖書」については考え至りませんでした。
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中国語版の神天聖書をそのまま持ってきたのかもしれませんね。
2017/01/14 00:26:08日本と中国の違いも分からない宣教師も多かったようですし、出版よりも先に翻訳中に「聖書」で通ったのかもしれませんが、それは日本に関心のある宣教師の間でのことでしょうね。
当時は植民地主義時代で、キリスト教の布教には特別の意味があったが、布教に必須のアイテムとしてその国の言葉に翻訳されたバイブルが必要だったようです。
回答ありがとうございました。
2017/02/15 09:31:27中国語版での「聖書」については考え至りませんでした。