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「五代友厚」についてテレビで紹介ありましたが、大阪に貢献した財界人ということです。画面に映った、お墓を見ると、正五位勲四等(?)だったかと思います。財界人としては、東の渋沢栄一氏が、『正二位勲一等子爵』になったのに、差が大きいと思いました。

五代友厚氏は、明治維新の中心の薩摩藩出身で、政府高官にも知己が多いですね。さらに、明治政府に仕えていた時期もあるので、その点でも、渋沢氏とも同じ。
五代氏が、栄典で少し冷遇されていたのではないのか、なにか理由があるのではないか、と邪推しました。明治政府に知己が多いので、逆にいろんなことがあったのでしょうか。どんな理由が考えれれるでしょう。事情通の方、よろしくお願いします。

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  • 登録:2017/01/14 21:20:54
  • 終了:2017/01/21 21:25:03

回答(1件)

匿名回答2号 No.1

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2017/01/15 01:06:10

五代の方が早死にしたこと、渋沢の方が官僚としての期間が長かったことも影響しているでしょうね。

匿名質問者

ありがとうございました。早死したこと、官僚としての期間が差の原因ということにおちつくのかもしれませんね。
爵位について申せば、華族の爵位制度が始まって以降は、薩摩と長州ですと、完全に長州の優位でしたから、井上馨の信任の厚かった渋沢氏は、財界人に爵位を与えるなら、当然、思い起こされる人材であり、有利だったのだろうと思います。五代は、薩摩と近かったようですが、長州系とは接点がなかったのでしょうか、そこが気になり、心残りです。

2017/01/15 15:25:57
  • 匿名回答1号
    匿名回答1号 2017/01/14 22:32:50
    渋沢栄一は日銀初代頭取ですね。
    一商工会の代表者とは比べるまでもないと思いますが。
  • 匿名回答1号
    匿名回答1号 2017/01/14 22:40:49
    ちと違った、第一銀行(1873年~)頭取だそうだ。
    Wikipediaには日銀は1882年開業とある。

    1.渋沢栄一という人
    https://kids.gakken.co.jp/rekishi/first/vol007/index.html
  • 匿名質問者
    匿名質問者 2017/01/15 15:21:45
    ありがとうございます。

    渋沢栄一氏は、第一国立銀行の頭取であるだけでなく、さまざまな企業の設立に関わっていますね。そういう点では、五代も同じだと思います。ただ、渋沢氏の方が多かったかもしれない。また、三井家などとも近く、財界の保守本流と近いということも言えますね。古河財閥、浅野財閥の成立にも、支援しているかと。

    また、長州藩の井上馨と近く、彼のもとで、財務官僚を長く勤めました。

    他方、五代氏は、長州系の藩閥と近いのではなくて、薩摩藩系です。それに、親しかった大久保利通は藩閥色の薄い人ですから。
  • 匿名回答1号
    匿名回答1号 2017/01/17 23:24:26
    https://ja.wikipedia.org/wiki/五代友厚
    死没 明治18年(1885年)9月25日(満49歳没)
    五代がなぜ他に比べあまり有名でないかは財閥を作らなかったことが影響していると言われている。
    大正3年(1914年) - 大正天皇が演習のため大阪行幸の際、特旨を以て正五位を追贈される。

    授位は死後30年ほど経ってからの事のようなので、
    少なくとも冷遇というのは違うと思いますね。
    三井と近しい関係にあった点については五代も大差ないはずです。


    https://ja.wikipedia.org/wiki/渋沢栄一
    渋沢が三井高福・岩崎弥太郎・安田善次郎・住友友純・古河市兵衛・大倉喜八郎などといった他の明治の財閥創始者と大きく異なる点は、「渋沢財閥」を作らなかったことにある。
    他の財閥当主が軒並み男爵どまりなのに対し、渋沢一人は子爵を授かっているのも、そうした公共への奉仕が早くから評価されていたためである。

    http://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/shokai.html
    1931年 昭和6年 91(歳) 11月10日正二位に叙せられる。11月11日永眠。

    渋沢の授位は死の前日ですので一応生前ですね。
    ノーベル平和賞の候補にもなったとあります。

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