たとえば、「He play tennis.」と言っても、何の問題もなく通じそうですが。
学校の英語では、文法上、表現上間違えていても通じる、という事を優先すべきだと思うのですが、皆様はどう思いますか?皆様の考えを聞かせてください。
こんばんわ。
そりゃね、まあ三単現のSなんぞなくたって通じますよ。
文法に不慣れなうちは多少の間違いは仕方がないでしょう。
相手だって母国語じゃない言語を話す苦労はわかってくれます。
多少の文法ミスは大目に見てくれるでしょう。
でもね「He play tennis.」とゆう発言で、「何の問題もなく通じてる」と思う人がいたらただのバカですよ。
たしかにこの文を聞いても英語話者は「he」についての情報はきちんと受け取るでしょう。
でもこの発言をした人についてはどうでしょうか。「何の問題もなく」発言を受け取ってもらってると思いますか?
日本語だってそうなんですが、こうゆう細かい文法をちゃんと使えるというのは発言者の性格とか教養とか育ちの現れなんですね。
例えば「言う」を「ゆう」って書く人とか「は」や「を」を「わ」とか「お」って書かれた文章を見てどう思うかって話なんですよ。やあ、こんばんわ。
海外の日本語学校で、通じるのが一番大事とか言って、スラング交じりの日本語を教える人がいてそれが正しいと思いますか?
果たして、文法のおかしな日本語で本当に伝えたいことが過不足なく伝わっていると思いますか?
本人の意図しないことが混ざって伝わっていると思いませんか?
三単現のSの抜けた英語をしゃべる人っていうのは、英語の基本中の基本の文法すらもないがしろにして、正しさというものを気にかけることのないいい加減な人という印象を与えかねないものです。
通じればいい?本当にあなたの伝えたいことはきちんと伝わっていますか?
「学校の英語では、文法上、表現上間違えていても通じる、という事を優先すべき」というのは何を根拠にそう考えてらっしゃるのでしょうか。
学校では、少なくとも、まず文法上正しいことを教えるべきではないですか?
そのうえで、例えば英会話の授業では三単現のSが抜けていても気にせずまず話せということでしたら賛成です。
文法ミスは基本的に指摘するべきだとは思います。そうしないと気づきませんから。
ただ日本の教育現場では指摘の仕方がよくないかもしれませんね。
間違ってもいいからとにかく英語を使え、というのと正しくはこうだよというのをうまく両輪にして教えることができるといいですね。
「英語でのコミュニケーション能力を身に付ける」のが目的であれば、ご指摘の通り文法上の些細な間違いには寛容になるべきかと思います。
ただし、「相手(聞き手・読者)に負担をかけずに正しく意図を伝える」事を目的とするなら、正しい文法を教えるべきと考えます。
例えば、日本に来ている外人が「私をサンマに食べたかった。どこで行けば食べる?」と言っても、コミュニケーションは取れますよね?
でも、聞き手としては「正確な文法で」話してくれた方が、会話しやすいです。
ありがとうございます。伝えるだけなら、文法は間違っていて通じたとしても、より正確に意図を伝えるためには文法が重要なのですね。
厳密にいえば、He play tennis.には3人称に対する命令形、
「彼をしてテニスをせしめよ」という意味もある。ま、めったにいわないが。
たいていの場合、He play tennis.は「下手な英語を話す人の英語」として、
意味をわかってもらえる。教育上は、そういう「下手な英語を話す人」という
レッテルをはられない人に育てる、というのも意味がある。
英語の諸方言を比べてみると,三単現のエスだけを用いている方言は少数派です。標準英語だけとみなしてもかまわないほどです。イギリスのイースト・アングリア方言,アメリカの黒人英語,カリブ英語等では,現在形はすべての人称で原形のままです。逆にイギリスのバークシャー方言では,すべての人称でエスがつきます。
http://www.senshu-u.ac.jp/libif/llc/column_index.html
文法にこだわりすぎて語学の習得が嫌いになるのはもったいないと思う。
でも三単現のsって文法学習の最も出だしのところじゃないか?
三単現のsは気にしない、単数複数の違いも大したことではない、冠詞の違いにも注意を払わない、、、とか拡大していくとどうだろうか?
通じるだけならジェスチャーでも足りてる場合があるしね。今はオッケーグーグルでもいいし。
ありがとうございます。英語そのものは(自分で言うのもなんですが)それなりに成績も取れているし、間違えることもあまりないのですが、なんか細かくてイライラするな、と思っていたもので。拡大していってしまうとどんどん意味が通じなくなってしまう、という事でよろしいでしょうか?
実際なくても通じるでしょう。でもそういう細かいところに注意を払うクセをきちんとつけたほうがあとあと役にたつと思います。学校英語で三単現のエスがおろそかにされることは金輪際ないでしょうから、他に優先すべきものがあるだろうとか言うだけムダというものです。
語学を勉強する(学校で習うだけ、という意味ではなく、真面目に習得しようとする、という意味です)ときにはどうしても「細かい所に注意して理解する」ことと「たくさん量をこなす」ことを両方やる必要が出てきます。
「細かいことをいちいち指摘する先生の授業」と、「細かいことを指摘しないでノビノビやる先生の授業」を、生徒が自由に選択できるようにしたらいいと思います。
学習者の性格によって「適切な指導のあり方」は、変わってくると思います。
何事も「押し付け」「画一化」は好ましい結果を生まないと思います。
ありがとうございます。生徒1人1人、あっている先生は違いますものね。
もともと学校の英語の授業は文書(技術論文等)を読む・書くための能力を身に付けることを目的としているので正確さは必須だと思います。
重箱の隅を突くような細かい文法の話になるのは仕方ありません。
もちろん、コミュニケーションを優先するなら多少不正確でも問題ないと思いますが、それは残念ながら学校の授業の目的ではないのです。
英語学習だけに限らず、外国語の学習はどれも同じだと思いますが、最初は音を覚えることが一番大事だと思っています。赤ちゃんが真似て言葉を覚える様に。文法をしっかり覚えていても、結局言葉として言い表せなければ机上の便宜でお終いですよね。聞こえてくる音を真似をして覚えているうちに、三人称単数のSだったり、いつ過去形を使ったり過去完了形を使ったりその組み合わせだったり、身に付いてきますよ。ある程度音が身に付いて何故そう言うのかを勉強した方がわかりやすいのかも知れないなと常に感じています。映画やTV番組を見ても必ずしも文法に乗っ取った言葉が話されているとは言えないじゃ無いですか。言葉は生き物ですしね。間違えて言っても重要でなければそのまま流せるし、重要であれば言い直すし。自分の意思を伝える道具は言葉だけでなく、言葉と一緒に相手に映る体現だったり表現だったりも重要じゃ無いですか。あっ、電話と文書以外でw。
ありがとうございます。文書と電話は、姿が見えないので、文法が重要になるのですね。
こんばんわ。
そりゃね、まあ三単現のSなんぞなくたって通じますよ。
文法に不慣れなうちは多少の間違いは仕方がないでしょう。
相手だって母国語じゃない言語を話す苦労はわかってくれます。
多少の文法ミスは大目に見てくれるでしょう。
でもね「He play tennis.」とゆう発言で、「何の問題もなく通じてる」と思う人がいたらただのバカですよ。
たしかにこの文を聞いても英語話者は「he」についての情報はきちんと受け取るでしょう。
でもこの発言をした人についてはどうでしょうか。「何の問題もなく」発言を受け取ってもらってると思いますか?
日本語だってそうなんですが、こうゆう細かい文法をちゃんと使えるというのは発言者の性格とか教養とか育ちの現れなんですね。
例えば「言う」を「ゆう」って書く人とか「は」や「を」を「わ」とか「お」って書かれた文章を見てどう思うかって話なんですよ。やあ、こんばんわ。
海外の日本語学校で、通じるのが一番大事とか言って、スラング交じりの日本語を教える人がいてそれが正しいと思いますか?
果たして、文法のおかしな日本語で本当に伝えたいことが過不足なく伝わっていると思いますか?
本人の意図しないことが混ざって伝わっていると思いませんか?
三単現のSの抜けた英語をしゃべる人っていうのは、英語の基本中の基本の文法すらもないがしろにして、正しさというものを気にかけることのないいい加減な人という印象を与えかねないものです。
通じればいい?本当にあなたの伝えたいことはきちんと伝わっていますか?
「学校の英語では、文法上、表現上間違えていても通じる、という事を優先すべき」というのは何を根拠にそう考えてらっしゃるのでしょうか。
学校では、少なくとも、まず文法上正しいことを教えるべきではないですか?
そのうえで、例えば英会話の授業では三単現のSが抜けていても気にせずまず話せということでしたら賛成です。
文法ミスは基本的に指摘するべきだとは思います。そうしないと気づきませんから。
ただ日本の教育現場では指摘の仕方がよくないかもしれませんね。
間違ってもいいからとにかく英語を使え、というのと正しくはこうだよというのをうまく両輪にして教えることができるといいですね。
文法を正しく教えたうえで、間違えてもいいから気にせず話せと教えるべき、という考えにはとても共感しました。文法を間違ってもいいじゃないか、という考えはよくなくても、話さなければ始まらないのが言語ですから。私の意見の乱暴な部分を補助してくださり、ありがとうございます。
すみません。コメントが付いていたのに気づいていませんでした。
また、こんな乱暴な回答をベストアンサーにしていただいてありがとうございました。
外国語を使うとき、特に会話では、間違いは恐れるなというのは全く正しいと思います。ただし、だからといって間違ったままでいいということではないということを書きました。言語というのはそれを母国語とする人たちの文化や歴史を背負ったものでもあります。それらを軽んずるような態度はいずれ見透かされます。
短文だと下記のような違いもあるかもしれないけど、前後の話があれば、たいていリアルの現場では困らない。過去形とか、過去完了とかも別に正しくなくてもだいたい大丈夫(外人が英語を使ったコミュニケーションとしては)。場所によっては外人同士で英語を使って会話することのほうが多いこともある。間違っててもしゃべるほうが、黙ってるよりずっとマシ
ありがとうございます。コミュニケーションの第1歩として、間違いを恐れずにしゃべることを意識していきたいと思います。
英語を使ってどこで何をしたいのか、によりますね。
旅先での思い出作り程度であればジェスチャーだけでもなんとかなります。
ちょっとしたニュースを読みたい程度であれば複数形も冠詞も気にしなくてもなんとかなります。
ですが、専門誌を読むとかビジネスで使う英語となるときちんとした文法を知っているかどうかはかなり重要になってきます。
相手にする階級にもよりますが、きれいな英語を話せるかどうかは信用問題にもなりますから。
ブロークンなカタコト英語でなんとか意思疎通するスキルも、きちんとした文法でコミュニケーションできるスキルも両方身につけられるのが理想かもしれませんね。
ありがとうございます。ビジネスなどでは文法をはじめとした、きれいな英語が重要になるのですね。
文法を正しく教えたうえで、間違えてもいいから気にせず話せと教えるべき、という考えにはとても共感しました。文法を間違ってもいいじゃないか、という考えはよくなくても、話さなければ始まらないのが言語ですから。私の意見の乱暴な部分を補助してくださり、ありがとうございます。
2017/03/31 10:08:21すみません。コメントが付いていたのに気づいていませんでした。
2017/04/24 16:58:05また、こんな乱暴な回答をベストアンサーにしていただいてありがとうございました。
外国語を使うとき、特に会話では、間違いは恐れるなというのは全く正しいと思います。ただし、だからといって間違ったままでいいということではないということを書きました。言語というのはそれを母国語とする人たちの文化や歴史を背負ったものでもあります。それらを軽んずるような態度はいずれ見透かされます。