お子さんがいる方に質問です。

私の父は癌で3年間寝込みました。
私はおかゆを1口づつ丁寧に食べさせたり、薬を飲ませたり、汚れた入れ歯を綺麗にしたりと、懸命の看病をしました。
看病を始めて2年半後のとき、父が「お前は精神病患者だから、早死にしろ。健康な人は長生きしていい」と言いました。
この質問の主旨は、もし子供が精神病になったら、愛情は無くなるものであるかということです。

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  • 終了:2018/05/08 12:06:52
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ベストアンサー

id:grankoyan2 No.1

回答回数121ベストアンサー獲得回数34

ポイント90pt

>もし子供が精神病になったら、愛情は無くなるものであるか
という質問に対しては、NOだと思います。

愛情が無ければ、どんな人生を送ろうが、過ごそうが、どこで野垂れ死にしようが構わないものだと思います。

勝手な推測ですが、お父様は、自身が介護される身になって、介護の辛さ(する側だけでなく、される辛さも)を感じたのではないでしょうか?

子供に早死にしろと願う気持ちですが、私からは以下の二通りが考えられます。
1)生きながらえることによって、被害を被る人間を減らそうという気持ち
2)生きながらえた人間が、周囲が苦労している様を見て(感じて)苦悩することを避ける意味合い

2)に関しては実体験から、まさに子供に不幸を味あわせたくないという想いでしょうし、
1)に関しても、子供に愛情があるからこそ、そこに関わる苦悩を誰にも味あわせたくないと思ったのではないでしょうか?

わたしも祖父の介護を手伝った経験はありますが、やはり、負担が大きく、他の誰にも味あわせたくないと思いました。(自身が介護されるに見合うだけ周囲から愛されている、必要とされていると自信があれば別でしょうけれど、介護されるだけの身になれば、それは難しいことでしょう)
介護される身としても、祖父自身も元気な頃は、弱る、寝たきりになる前にぽっくりと死にたいと漏らしていたこともあり、様々なことを考えると、介護による負担を減らすために、早死になどという言葉が出てしまったんだと思います。

私自身は、結構ドライな考え方をする人間ですので、我が子が人様に迷惑(というのは言い過ぎとしても、一定以上の負担)をかけるぐらいなら(まっとうな人生を送って、寿命に近い年月を生きたのであれば)家族や病院などの医療関係者の区別なく、周囲に負担をかけずに、ぽっくり死ぬ方が幸せだと考えています。精神病であるかどうかについては関係がありませんが、精神病=周囲に負担を掛ける可能性が高まるとお考えであれば、私の考え方に近いと思いました。

id:Gleam

回答ありがとうございます。

>愛情が無ければ、どんな人生を送ろうが、過ごそうが、どこで野垂れ死にしようが構わないものだと思います。

この言葉は私の頭の外にあったので、こんな考えもあるもんだなと衝撃を受けました。
ただし、父の場合は子供の前では暴君のように振る舞い、看護師や親戚がいるときはあからさまに優しくなっていたし、子供を育てる金が惜しいと常に言っていたから当てはまらないと思います。
自分の意思で子供を作りながら、育てることは当たり前と思わず、看病してもらうのは当たり前に思っていたと断言できます。3年も看病すればわかります。
また、精神病患者になったからといって回復するとか、施設で働くなどで、社会貢献している人は大勢います。
子供の寿命を親が決めたら、回復の可能性を見捨てることになり、許されるものではないと私は思います。

2018/04/25 17:56:40

その他の回答1件)

id:grankoyan2 No.1

回答回数121ベストアンサー獲得回数34ここでベストアンサー

ポイント90pt

>もし子供が精神病になったら、愛情は無くなるものであるか
という質問に対しては、NOだと思います。

愛情が無ければ、どんな人生を送ろうが、過ごそうが、どこで野垂れ死にしようが構わないものだと思います。

勝手な推測ですが、お父様は、自身が介護される身になって、介護の辛さ(する側だけでなく、される辛さも)を感じたのではないでしょうか?

子供に早死にしろと願う気持ちですが、私からは以下の二通りが考えられます。
1)生きながらえることによって、被害を被る人間を減らそうという気持ち
2)生きながらえた人間が、周囲が苦労している様を見て(感じて)苦悩することを避ける意味合い

2)に関しては実体験から、まさに子供に不幸を味あわせたくないという想いでしょうし、
1)に関しても、子供に愛情があるからこそ、そこに関わる苦悩を誰にも味あわせたくないと思ったのではないでしょうか?

わたしも祖父の介護を手伝った経験はありますが、やはり、負担が大きく、他の誰にも味あわせたくないと思いました。(自身が介護されるに見合うだけ周囲から愛されている、必要とされていると自信があれば別でしょうけれど、介護されるだけの身になれば、それは難しいことでしょう)
介護される身としても、祖父自身も元気な頃は、弱る、寝たきりになる前にぽっくりと死にたいと漏らしていたこともあり、様々なことを考えると、介護による負担を減らすために、早死になどという言葉が出てしまったんだと思います。

私自身は、結構ドライな考え方をする人間ですので、我が子が人様に迷惑(というのは言い過ぎとしても、一定以上の負担)をかけるぐらいなら(まっとうな人生を送って、寿命に近い年月を生きたのであれば)家族や病院などの医療関係者の区別なく、周囲に負担をかけずに、ぽっくり死ぬ方が幸せだと考えています。精神病であるかどうかについては関係がありませんが、精神病=周囲に負担を掛ける可能性が高まるとお考えであれば、私の考え方に近いと思いました。

id:Gleam

回答ありがとうございます。

>愛情が無ければ、どんな人生を送ろうが、過ごそうが、どこで野垂れ死にしようが構わないものだと思います。

この言葉は私の頭の外にあったので、こんな考えもあるもんだなと衝撃を受けました。
ただし、父の場合は子供の前では暴君のように振る舞い、看護師や親戚がいるときはあからさまに優しくなっていたし、子供を育てる金が惜しいと常に言っていたから当てはまらないと思います。
自分の意思で子供を作りながら、育てることは当たり前と思わず、看病してもらうのは当たり前に思っていたと断言できます。3年も看病すればわかります。
また、精神病患者になったからといって回復するとか、施設で働くなどで、社会貢献している人は大勢います。
子供の寿命を親が決めたら、回復の可能性を見捨てることになり、許されるものではないと私は思います。

2018/04/25 17:56:40
id:deep_one No.2

回答回数153ベストアンサー獲得回数15

ポイント15pt

おそらくは「自分が死んだあとこの子はどうなるのだろう」というパターンだと思われる。親子無理心中によく見られる思考パターンである。

その場合、愛情は存在しているがその発露が誤っている。

id:Gleam

回答ありがとうございます。
我が家には贅沢さえしなければ、私や家族の生活できる資産は充分にあったので、せっかく回答いただきましたが、外れていると思います。

2018/04/25 18:04:44
  • id:NAPORIN
    ニュアンスや状況は本人同士でしかわからないので、まさに愛情がなくなったと感じるような言いぶりだったのだろう(誤解はないものとする)としてごく一般的な回答を考えると。
    昭和初期~中期生まれの男の人は、職業(定職)と添い遂げてこそ人生と思っている人が多くいらっしゃるので、
    精神病→定職がない→余生があってもつまらない(→おそらくつきつめると「不憫だ」という意味ですが昭和の人はそこまで自分の感情を言語化しません)とでもぼんやり思ってそういったのでしょう。
    実際はもちろんそんなことはありません。
    昭和生まれの自由業が今大量廃業で、町の小食堂などが減って危機だという話もあるのです。
  • id:NAPORIN
    上の文中で「昭和の人は」と主語が大きくかいてしまいましたが、そういう定職重視タイプの昭和の人は、ということです

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