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2017/11/19 15:21:23

「南沙諸島は、1918年、海軍中佐小倉卯之助探検家が発見し、標柱を立て日本領となった。
その後、ラサ島燐礦会社が同島でリンを採掘した。新南群島と呼んた。」という記事見ましたが。小倉中佐の探検は、国として行われたんでしょうか。個人ででしょうか。(小倉中佐が退役後に探検したのか、わかりませんけど。)
「標柱を立てる」以外、なにもしなかったんでしょうか。日本政府も含め。

宜しくお願いします。

これによると、日清戦争で清国から獲得した訳でもなく、蘭印や、米領(フィリピン)から獲得したわけでもなく。
また、係争地であったが、日清戦争で係争が止み、日本領となったわけでも、
第一次大戦後、係争が済んで日本領となったわけでもないようですが、この理解でよいでしょうか。
つまり、まったく平和なプロセスで日本領土になったということです。この理解が正しいかも、よろしくお願いします。

南沙諸島という呼び名はどういう経緯なんでしょうか。これもよろしくお願いします。
(日本では、樺太をいまだにサハリンと呼ぶより樺太と呼ぶのが主流です。なら、南沙諸島も、新南群島がいいと思いました)

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