http://www.col.ne.jp/~nourin/all.html
ドメインパーキング
色々ありますね。
http://www.office-srr.com/SRR/Links.htm
エラーページ in ビジネス速読術講座
上とダブりがありますが・・・。
速聴の体験談です。
ありがとうございました。ところで「記憶術」なる通信教育(?)を購入したことがあるんですがあれってどうなんでしょうね・・・
http://www.edu.city.yokohama.jp/wondersquare/manabi/san_suu/suu_...
ワンダースクエア--学びの館 >>> 算数・数学--中学生以上--数学あれこれ
ちょっと遊んで見ませんか?
数学ですか・・・熱いと頭が鈍りますね。何はともあれありがとうございました。
速読、脳力開発の健康能率研究所
”脳力” で検索しました
ありがとうございました。試してみます。(w
人差し指のリングは才能の発見に繋がるそうです。
http://sainou.coco.co.jp/sita.html
才能市場GOLD EYES
http://www.artown.net/all_s_sainou/
Artown.net
ご自分の本来持っている才能に気がついたら、
ココに売り込んでみませんか?
リングについては興味があります。才能を開花させる方法なんで「バンク」は今のところ用事がないですね。ありがとうございました。
「ぼくは一から人を発掘し、育て、できあがった作品をふさわしい出版社に売り込む仕事がしたいのだろう。あの学生に話をするかしないかが、今後の仕事の試金石かもしれない。いままでなら、放っておいて終わりだろう。しかし、本気で才能を発掘する仕事をするつもりなら、学生に話をしてみるべきではないか」
何の才能にせよ、まず誰か(自分か他の人)が発掘しなくてはなりません。ところがこういう文章を見つけてしまいました、
隠れた才能というウソについて
この文章、正直言ってどうかと思います。芸能・芸術・スポーツ・知的能力などなどのさまざまな才能について「それぞれの子供に特別な才能がある」というのはウソだと断定するものです。そうかなぁ?
立論の出発点が誤っているんじゃないかなあ。ここで強調されるのは、学力なんですね。「企業社会の在り方が、知的能力を重視する仕組みに変わってきたからだと思いますが」というところに、この論者の致命的欠陥が見えます。たとえば次のような本をどう思います?
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4893467166/
Amazon.co.jp: ホスト王に学ぶ82の成功法―努力できるのも、才能だ。: 本: 中谷 彰宏
『ホスト王に学ぶ82の成功法―努力できるのも、才能だ。』
ホスト王になった「才能」。立派な才能ですよねえ、これも。
何かの拍子にホストになった人が、自分の中にある才能を「発掘し」「引き出し」て、その才能に「目覚め」「自覚し」たホストさんが、その才能を「磨き」「育て」「伸ばし」たという個人史がある。さらにその才能を「活用し」「発揮し」ついにはホスト王になるわけです。そしてそのホスト王としての才能を「認め」「賞賛し」、ホスト王の才能に「学ぼう」と主張する本、のようです。
才能とは知的能力に限らないわけですね。「それぞれの子供に特別な才能がある」というのはウソだとの主張の誤りは、佐高信さん流に言えば企業社会の「社畜」がもつ才能(何だこりゃ?)にしか着目していない、としか思えません。社畜の特徴を思いつくまま挙げてみると、次のようなものです。
1、従順であること、逆らわないこと、疑問を持たないこと
2、人と違った意見を言わないこと
3、人と違う行動をしないこと
4、個性を押し殺すこと
5、自己保身に汲々とすること
→
かくして、最近、特に団塊世代の子供たちが成人したあたりで。画一的・等質的な社畜が大量に出現したとみられます。
あらかじめ「社畜」の道をはばまれた人たちもいます。たとえば、いわゆる在日の人々、
「『国籍を隠して芸能活動をしている人がいるなんて、デビューするまで知りませんでした。今になって、すごいことをしたんだっていう感じ』」
「在日韓国・朝鮮人の歌手や俳優は少なくない。けれども、ほとんどがその本名も出自も隠している。日本社会に根強い偏見で人気が下がるのを恐れるからだ。韓国の映画がヒットし、日本人女性が韓国人歌手の「追っかけ」をするようになっても、なぜか変わらない」
と芸能界だけではなく、スポーツ界、作家など多様な分野でその才能を「開花させ」て活躍しています。
↑こういう差別意識丸出しの掲示板もありますし、また、「たしかに、個々の日本人にとっては、朝鮮人と普段のつきあいが直接にはない人が多いかも知れない。しかし、松坂慶子、山口百恵、和田アキ子、西城秀樹と思いつくままに名をあげた、これらの在日朝鮮人(帰化)スターたちとわれわれ日本人とは、かかわりがないなどとはたして言えるだろうか」という指摘も→
さて、知的能力偏重の「才能」つまり社畜はどんな方々かと言いますと、
「藤原:特に官僚を生む法科が悪くて、国内にしか通用しない人間しか育てない。」
「小室:東大の法学部では役人にバカにされないようにと、大学院生は大学生の定員の一五分の一しか採用しないで、偏差値秀才ばかりを集めている。助手にいたっては司法試験と国家公務員試験が一番だけでなく、学校の成績も一番の三冠王でないとだめ。しかも、二二歳で助手で二五歳で助教授になり三○歳そこそこで教授になる。だから、法学部だと二五歳までは一生懸命に勉強するが
、あとはエスカレーターに乗るので勉強しない。日本の大学や企業に共通していることだが、偏差値とは高校までの学力判断であり、大学レベルでの能力にはほとんど関係ない。だから、第一命題として日本の教育は高校までは存在するが、それより上の教育は存在していないし、初めは優秀な人材でも才能を殺している。第二命題として塾や予備校が最高であり、公的な教育機関が最低ということになる。」
よく読んで下さいね。「初めは優秀な人材でも才能を殺している」というところに注目あれ!
just さまは「景気」について「誰かが流れを止めているだけとしか思えないんですが」(
)というご質問をなさいました。そこでのわたしの回答は、「それは銀行であり、政府であり、大企業だろう」というのがとりあえずの結論でしたが、それらを牛耳っているのが組織優先で自己保身しか考えない人たち、つまり社畜です。 銀行や大企業、官僚の世界とは社畜の、いわば巣窟でしょう? 「隠れた才能というウソ」論は、社畜に才能があり、社畜こそがエリートだと言っているように見える、というのは言い過ぎでしょうか。
↑ここを見ると、才能といってもさまざまなものがあることがわかります。
http://www18.big.or.jp/~novels/works99/reviews/talent2.htm
「教育と才能について」 / takeru
「『成功なんかしなくても良い。』とは無責任過ぎて口には出来ないけれど、有ってないような才能にすがって自分の楽しくもない事を選ぶよりも、自分の好きな事を楽しんで学ぶべきだ、と教育において学ばせて欲しい」
同感です。
「彼は、時に規範からはみだしてもはばからないような人物だが、それが逆に人々を魅了する」
これにも同感です。
才能は誰にでもある
またまた同感。
おや、コメントいろいろ書いていると、本論に行く前に回答枠が尽きてしまった、どうしよう。とりあえず未完の、しかも序論で終わってしまったけれども、一回目の回答として提出します。このご質問はいろいろ考えさせていただきました。ありがとう! まだまだ考えてみたうえ検索もしてみて、締め切りになっていなければ、この続きを書きたいと思っていますが、とりあえず。
才能発掘リンク集
得意のコメントが復活ですね。いつもありがとうございます。
確かに日本の教育は突出した才能の芽を摘むようにしか思えませんね。それでいて皆よりも突出したいと言う矛盾・・・。また、下を見たらきりがない、上を見てもきりがないとはよく言うことですが「最下層」の人間は一体何を拠り所にすればいいんでしょうか?
これまた何気ない質問でしたが深く考えさせられるものになりました。