TBS『バトルトーク』「個性」
「日本の社会は、
まだまだ個性を発揮しにくい社会だと思いますか?」
(「>>テーマ詳細」を参照して下さい)
ところで前回の回答に「佐高信さん流に言えば」と、佐高さんを引き合いに出しましたが、いま、たまたま読んでいた彼の本に「社畜」という言葉を作った人の名前が出てきました。インターネット上に「社畜」は佐高信さんの造語だという誤りがあまりにも多いので、ここに引用しておきます。
「中堅スーパーのサミット会長、荒井伸也は安土敏というペンネームで小説も書いているが、“社畜”というコトバを生み出した。彼に倣って言えば、多くの日本の企業のトップは社畜のなれの果てであり、最も社畜制を持っているのである。」(『わたしを変えた百冊の本』佐高信著、2002年5月25日、実業之日本社、p.87)
もうひとつ「こういう差別意識丸出しの掲示板もありますし」のところ何故か無効リンクになってました。これは【在日コリア系著名人リスト】(
http://cheese.2ch.net/celebrity/kako/998/998367073.html
【在日コリア系著名人リスト】
)に似た掲示板だったんだけど、残念ながら消滅してしまいました(こちらにも→
)。いま、ここに挙げたのも消えてしまうかもしれません。2ちゃんねるってのは、アドレスがどんどん変わるんですか? ほとんど行かないのでわかりません。
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さて、今回、最初に挙げたものは、続編をどう書こうかと思いあぐねていたときにTBS『バトルトークラジオ アクセス』8月19日に「個性」というテーマが出されました。「>>テーマ詳細」をクリックすれば、解剖学者の養老孟司さんの興味深い指摘が読めます。いわく、
「個性を強くするには、若者を自由にしておけばいいか。おそらく違うであろう。なぜなら江戸から明治という、社会の強制力の強い時代には、むしろ個性的な人物が輩出したと思われるからである。社会に反発する力が、自分のなかで、ゆっくり吟味され、醸成されていくとき、強い個性が生じてくる」
と。
「社会に反発する力」が必要なんだそうです。「才能溢れる“反逆児”」ってのがありましたね。ところが、同じバトルトークのテーマに、
バトルトーク
「『自分はダメな人間だと思う』と答えた高校生が73%と急増
この結果は深刻な社会問題だと思いますか?
高校生はこういうものだと思いますか?」
(「>>テーマ詳細」を参照して下さい)
これですよー。自信を喪失し現状肯定してしまった人間から、豊かな才能が芽生えるでしょうか?
「反発」「反逆」が、才能を目覚めさせる重要な契機になるのも事実のようです。
そこでこれを見て下さい、
http://allabout.co.jp/career/womencareer/
[女性の転職]All About
All About Japan [女性のキャリア]
このキャリアというのは才能と一見よく似ていますね。でも違うのはキャリアはお金に結びつくこと。才能は必ずしもお金に結びつくとは限らないというところだと思います。
最初の回答のために検索をした時、意外に「笑う才能」とか「誰にでもかわいがってもらえるという才能」、「ちょっとしたことでも楽しめちゃう才能」、「すごく素敵な笑顔をする才能」、「周りの人を幸せな気分にさせちゃう才能」、「OFFのある場所を嗅ぎつけちゃう才能」、「都合の悪いことはすぐ忘れちゃう才能」な〜んてほほえましい才能がかなりたくさん出てきた(ほかに→
)のにもかかわらず、才能を活かすとなると「才能バンク」などというスケールの小さいものになってしまうのはいかがなものだろうか、と思いました。
「「教育と才能について」 / takeru」にあった、
「つまり大抵の人は才能というまだ未然の『発達する能力』を、『発達した能力』という結果によって測ってしまっている」(→前の回答の下から三番目)
という指摘は非常に重要だと思いましたし、
「ある人が、他人から見れば歌がうまいのに、自分では『音程が微妙に不安定で、表現も単調だ』などと思っているとする。その人はそれだけ音感が繊細なのだが、本人は『自分は歌はうまくないが、絵はうまい』つもりだったりする。それは『耳がよくて、視覚的センスがない』というだけのことなのかもしれない。初めから『自分のやっていることは優れている』と思えるとしたら、感覚が甘いということだから、その分野の才能は無いわけだ」(→前の回答の一番最後)
との指摘も。
「女性のキャリア」というのも実のところ、「才能」とはかけ離れたもののようです。
少し本題から外れますが、「キャリア」といえば思いだすのは官僚のキャリアです……。
官僚とは?→
キャリア外務官僚 特権意識、優越感捨てよ→
外務省改革 キャリア官僚も領事業務 田中外相が正式発表(激震・外務省)→
ここでのキャリアとは、公務員上級職ということ。田中眞紀子さんはこのキャリア制度にメスを入れようとしていたんですが、結果はご存知の通り。外務大臣の職を失い、自民党の党員資格を剥奪され、国会議員辞職に追い込まれてしまった。この田中さんはご存知田中角栄さんの娘ですが、父親との確執はすごかったようです。父親に対する反発で、米国留学。帰国後早稲田大学を卒業して結婚。一男二女を育てて主婦業をこなした。キャリアがある人ではなかった(田中眞紀子さんの略歴)→
後任の外務大臣は川口順子さん。東大卒、通産省上級職を経て、1992年に通産省の幹部、同年日本大使館公使(つまり外務省)、1994年に通産大臣官房審議官、そして環境庁長官を歴任した超エリート。エリートと言えば聞こえはいいですが、社畜の大ボスなんですね。→
キャリアと才能は一見似ているように見えて、全く別物であることがわかりました。そして、才能のある人物が社畜によって抹殺されてしまうことも。「確かに日本の教育は突出した才能の芽を摘むようにしか思えませんね」とおっしゃいましたが、教育界だけではなく、政界でも財界でも「才能の芽を摘む」どころか、抹殺してしまうんです。財界でも、作家(ペンネーム:辻井喬)でもあり西武百貨店社長でもあった堤清二さんは、西武グループの総帥・堤義明(
http://www.sanbou.net/retsuden/ta/tutumi-yosi.htm
堤義明[つつみよしあき]西武グループ
)によって抹殺されてしまったといっていいかもしれません。「おいしい生活」というキャッチフレーズで象徴される文化戦略から、西武流通グループはとっくの昔に撤退してしまっています。→
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5292/tutumi.html
堤清二・辻井喬 フィールドノート
社畜は妬み深く、他人の才能に嫉妬するらしいと思えます。
田中眞紀子さんの人気は絶大でした。多くの人は彼女に夢と希望を仮託した、というわけです。
ちょっと本題から外れましたが、以下、本題に沿ったケーススタディです。
http://www.sfwj.or.jp/library/2000/01/200001u.html
SFWJ:library-200001u
「女たちのジハード」(読者レビューあり)→
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087471489/
Amazon.co.jp: 女たちのジハード (集英社文庫): 本: 篠田 節子
直木賞を受けた作家・篠田節子さんの小説。篠田節子さんについて→
http://www.sfwj.or.jp/member/SHINODA-SETSUKO.html
SFWJ:member-SHINODA-SETSUKO
この作品と『斎藤家の核弾頭』は、篠田さんのほかの作品のオドロオドロしい、幻想的な語り口とは違って、ありふれたOLの、いわばリアルな冒険物語となっています。女の才能が認められない男社会を告発する物語。それもそのはず、篠田節子さん自身が八王子市役所を辞め、作家に転業した(社畜社会から降りた)生き方と重なっているんでしょう。この『女たちのジハード』の第一話は、単発の雑誌原稿に「何かエロティックなものを」と依頼されて書いたものだと聞いています。軽いタッチで読みやすい作品なので、これで直木賞を受賞してしまったのは、篠田さんにすれば心外かもしれませんが、とてもたくさんの女性に大きな反響を呼んだのですから仕方がありませんね。ここにも、読者の自らの夢と希望を小説の登場人物に仮託した形跡がみられます。
「才能に目覚める」「才能を自覚する」などという余裕なんてなくて、苦闘、格闘、体当たりの連続を現実感あふれる筆致で描いた篠田さんの描写は見事というほかありません。ですから、
>「最下層」の人間は一体何を拠り所にすればいいんでしょうか?
に対してお答えするとすれば、「拠り所」はありえません。絶えず苦闘、格闘、体当たりを繰り返すことなんじゃないでしょうか。
『斎藤家の核弾頭』という作品は、痛快コメディーですが、反逆精神がみなぎる作品です。
さて才能を発揮したのは女性だけではありません、
青木雄二さん。いったい人間にとって何が才能の源泉になるかわからないという見本です。苦節何十年もの間「最下層」「汚れ仕事」に従事して見聞きした社会の裏側を、苦労の経験を通して描写した『50億円の約束手形』がコミック雑誌アフタヌーンに投稿してマンガ新人賞を受賞、それに続き翌年からコミックモーニングで連載した『ナニワ金融道』が大当たり。
経歴がすごい、
「岡山県津山工業高校土木科卒業後、神戸に本社のある鉄道会社に就職。退社後に岡山県の市役所に勤めるが、数ヶ月で退職、大阪に単身乗り込む。以来キャバレー、パチンコ屋の店員、寿司屋の見習い等、主に水商売を中心にして約30種類の職業を経験する。その後子供の頃から好きだった絵を活かしてデザイン会社を設立。約8年間デザインの仕事に従事」
よく読めば、この人も社畜社会からおさらばした経験があるようです。死に物狂いの生活が続いたと思います。
そういえば佐高信さんも山形県立高校教師から経済紙の編集者、経済小説の書評家を経て、超辛口の評論家になられたの。もともとは公務員(教師)ですね。社畜社会から足を洗った経験があるようです。
そういえば『突破者』の宮崎学さん、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344400542/
Amazon.co.jp: グリコ・森永事件―最重要参考人M (幻冬舎アウトロー文庫): 本: 宮崎 学,大谷 昭宏
”キツネ目の男”に擬され、グリコ・森永事件の最重要参考人Mとして警察にマークされ、追及されたわけですが、ヤクザの組長の息子として生まれた人ですね。大学では共産党のゲバルト部隊の指揮をされていたそうで。
警察から追及されている時はさぞ辛かったと思いますが、その苦痛をバネに『突破者』を書いた、これが当たったわけです。「怒り」こそあれ、「才能」なんていうことなど考えたこともなかったんじゃないかな。→
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4877286799/
Amazon.co.jp: 突破者―戦後史の陰を駆け抜けた50年〈上〉 (幻冬舎アウトロー文庫): 本: 宮崎 学
ヤクザの息子ですから、もともと社畜社会とは縁がなかったようです。
宮崎学さんの公式サイト→
宮崎学のWebサイトにようこそ
著書を見れば、この人こそ、反逆精神のかたまりだということは一目で分ります。『突破者』『不逞者』『地獄への道はアホな正義で埋まっとる』『敗者復活』『血族』『「幇」という生き方』『グリコ・森永事件―最重要参考人』『海賊』『中坊公平的正義とは』『「正義」を叫ぶ者こそ疑え』。グリコ・森永事件の容疑者扱いをされたことを逆手に取って、見事に才能を開花させたわけです。
才能の極めつけ、レーニ・リーフェンシュタール、
伝説のドイツ女流映画監督、半世紀ぶりに新作公開(読売新聞)
独女性映画監督、48年ぶりの新作映画完成(産經新聞)
http://www.yuriseco.com/esmap.html#Anchor-11820
航海日誌 写真家 西森有里の海と遊ぶエコツアー
99歳の女性水中写真家 レニ・リーフェンシュタール(2002/01/26)
レーニ・リーフェンシュタールの人生も最初は順風満帆のように見えますが、後半は苦闘の連続だったんです。
といいますか、最初のダンサーにデビューする時も、父親に対する反発、反逆があったようです。
略歴
1902年8月22日生まれ
1923年、ミュンヘンでダンサーとしてデビュー。大成功をおさめ、ドイツの各都市から出演依頼が舞い込み、公演旅行を開始。フランクフルト、ライプツィッヒ、デュッセルドルフ、ケルン、ドレスデン、キール、シュテティン、チューリヒ、インスブルックなど外国の舞台にも立つ。
1924年、・プラハ公演。舞台は成功したが、このとき膝の靱帯裂傷。約6ヶ月でダンサーのキャリアを終える。
1926年、山岳映画『聖山』主演で女優デビュー
1932年、『青の光』主演・監督。監督デビュー。(ヴェネツィア映画祭銀賞受賞)
1934年、記録映画『意志の勝利』監督(ヴェネツィア映画賞グランプリ)
1938年、記録映画『オリンピア』監督(ヴェネツィア映画祭グランプリ)
1945年、アメリカ軍に逮捕される。収容所での尋問。・フランス軍に逮捕され、インスブルック女性収容所へ、釈放。
その後、戦犯容疑などで50件にものぼる裁判を受け、そのすべてに勝訴するも、ナチ疑惑で仕事を干される。
1973年、写真集『ヌバ』出版。大反響を呼ぶ。年齢を51歳と偽ってダイバー資格試験を受験。ダイバー資格を取得(71歳)。
1978年、写真集『サンゴの庭』出版。
1987年、自伝『回想』出版。
1991年、写真集『水中の驚異』
2002年、100歳。新作映画『水中の印象』で映画監督にカムバック。
現役の写真家・スキューバダイバー・映画監督。→
彼女の人生も苦闘、格闘の連続のようです。記録映画『オリンピア』の発表後、戦中・戦後に『低地』という映画の製作に苦闘するのですが、その努力はついに報いられなかった。「ヒトラーの愛人」「ナチの協力者」というレッテルは戦後長い間、そして今もなお彼女を苦しめています。
以上、いろいろ見てきましたが、やはり本人が「才能に目覚める」ことはないんじゃないでしょうか。反発、反逆の精神で苦闘、格闘、体当たりをしてこそ、才能を発揮できるのではないかという気がしてきました。
やはり「『自分のやっていることは優れている』と思えるとしたら、感覚が甘いということだから、その分野の才能は無いわけだ」(→前の回答の一番最後)との指摘は至極真っ当に思えます。
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以上で2回目の回答を終わりにしますが、検索していて気づいたのは「自分探し」という、少し前に流行った言葉です。「自分探し」を検索してみたら、案の定似たようなものが多数見つかります。「才能に目覚めたい」願望なのでしょうか? 「自分探し」の社会的基盤→
また、スズキ・メソードというのがありました。才能教育研究会というのが正式名称で、バイオリンの教育機関ですが、ここはめざましい実績を上げ、多数のバイオリニストを輩出しています。ここを巣立ったバイオリニストのほとんどは海外のオーケストラに所属し、いまや世界中のオーケストラで日本人がいないところの方が珍しいという事態になっています。才能教育研究会→
http://www.suzukimethod.or.jp/
音楽教室スズキ・メソード (社)才能教育研究会
スズキ・メソードの創始者、故・鈴木鎮一さんの言葉を最後に引用します。→
「生まれつきの才能などありません、人の能力は環境が育てるのです」
蛇足→
「養老孟司」だとか「永井明」なんかは以前よく読みました。ちょっと懐かしいです。
ながーいコメントありがとうございました。
今回の質問もきっかけは何気ないものだったんですが本当に考えさせられるものになりました。
最後の「蛇足」楽しく読ませてもらったとともになんか謎かけのようだなあとも。
>反発、反逆の精神で苦闘、格闘、体当たりをしてこそ、才能を発揮できるのではないかという気がしてきました。
っていうのはなんとなく理解は出来ます。
ただ、雪の核のようなきっかけに巡りあうとか探すって言うのもまあ多少意味のあることになればということで。ところでコメントの途中でオン寝してしまいました(w