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日暮里生地問屋街の歴史・経過・現状などが載っているサイトを探しています。特に、どのようにして生地問屋街になったのか、という歴史がくわしく載っているサイトを教えてください。

●質問者: ejiodo
●カテゴリ:旅行・地域情報 生活
✍キーワード:サイト 問屋 日暮里 歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● opponent
●20ポイント

http://www3.plala.or.jp/nags/arakawa/kojien/koji-n.html

にっぽり・せんい・がい【日暮里繊維街】

「(東日)日暮里中央通り沿いに広がる生地問屋街。日暮里繊維街は東京日暮里繊維卸協同組合の加盟店舗(約80)を中心に形成されている。市域拡大や関東大震災の影響で、ハギレ屋さんやラシャ裏地の業者が浅草などから大正期に集まってきたようだが、初めは尾竹橋通りより東側に所在し、日暮里中央通りが戦時中に拡幅開通し、昭和30年頃になってから、日暮里駅により近い、この通りに集中するようになった。有名ブランドの生地も扱い、また、一般の人でも購入することができる」

http://www3.plala.or.jp/nags/arakawa/03.html#

アド街ック天国的・荒川区

繊維街

「日暮里を特色づける、駄菓子問屋街と繊維街。アド街ック天国・日暮里編でも上位にランクインしています。日暮里繊維街は東京日暮里繊維卸協同組合の加盟店舗(58店・2001.1現在)を中心に形成されています。もともとは、尾竹橋通りより東の第三日暮里小学校付近に集中していました。市域の拡大や関東大震災の影響で、ハギレ屋さんやラシャ裏地の業者が大正期に集まってきたようです。日暮里中央通りが戦時中に拡幅開通し、昭和30年頃になってから、日暮里駅により近い、この通りに集中するようになりました」

http://www.netlaputa.ne.jp/~nippori/

日暮里繊維街の公式ホームページ

東京日暮里繊維卸協同組合(生地問屋の組合)

http://www3.plala.or.jp/nags/arakawa/link/linklink12.html#

リンク(荒川区関連・・・企業・商店 他)

日暮里繊維街

日暮里繊維街関連リンク

それほど詳しい歴史ではないんですが……。

◎質問者からの返答

うーん、やはり、なかなか詳しいサイトってないんですねー。

東京日暮里繊維卸協同組合のホームページは見たんですが、

それ以外はまだ行っていないサイトなので役立ちました!

ありがとうございました。


2 ● opponent
●30ポイント

http://isweb5.infoseek.co.jp/area/noriweb/scrapbook/13-12/

「素人も歓迎」日暮里繊維問屋街(東京新聞 2001.9.5 から転載)

http://www.joho-iwate.or.jp/aki-i/0201/ryutu.html

話題を持つ商店街が集客力を発揮 - 日暮里繊維街の沿革

http://www.yakimono.net/book/1998.htm

やきものブックガイド(上から4番目)

『のぞいてみたい東京の六大問屋街―日暮里・合羽橋・馬喰町・横山町・浅草橋・蔵前・築地』(本の紹介)

Amazon.co.jp: のぞいてみたい東京の六大問屋街―日暮里・合羽橋・馬喰町・横山町・浅草橋・蔵前・築地 (あるはぶっくす): 本

『のぞいてみたい東京の六大問屋街―日暮里・合羽橋・馬喰町・横山町・浅草橋・蔵前・築地 あるはぶっくす』(1998.11.01, 婦人画報社刊, ISBN: 4573400494)

http://www.ne.jp/asahi/cyber/lab/news/0124.htm

S-Report 0124

「上野駅の近くの山の手線日暮里駅を降りるとたくさんの女性が大きな袋を持ってやってきます。年代も10代から80代と幅広いです。その方向に向かうと商店街と言うにはちょっと違う街並みがあります。この日暮里は古くからの店がたくさん残ってますが 中でも目を引くのはこの古くからの繊維問屋街です。生地だけでなくボタン、糸、ソーイング・手芸用品、布団まで何でも揃います」

「大正初期、浅草周辺で古布などを扱っていた業者が、行政指導で日暮里に集団移転したのが始まりとされる。二十年ほど前 の最盛期には九十店舗あった。不景気や裁縫人口の減少で、各地の生地問屋は減り続けたものの、日暮里だけは生き残ることができた…………」

http://www.asahi-net.or.jp/~fv3a-mkbc/69kai.html

3.清水山・柳森神社富士塚と日本橋繊維問屋街

柳原通り - 「太田道灌が江戸城の鬼門除けとして神田川下流に柳の森を作った。明暦の大火後の防火計画として、南岸に土手が築かれた。ここに8代吉宗が柳を植えた。それに沿った道は柳原通りといわれ、床店の古着市が立ち有名になった。土手は明治6年(1873)に取り壊されたが、古着屋は昭和10年代まで軒を連ねていたそうだ。「柳原物」といえば古着の代名詞で、現在このあたりに多い既製服・洋服生地問屋はその伝統を伝えたものである」

こちらには、場所は違っていますが、江戸期の古着事情が書かれています。

関連蛇足:

http://www.city.arakawa.tokyo.jp/DAI3NIPPORI-E/aisatu.htm

荒川区第三日暮里小学校(学校長あいさつ)

http://www.kosonippon.org/prj/edu/jirei/arakawa.html

構想日本

荒川区学校職人教室(人形生地)

◎質問者からの返答

生地問屋の始まりは大正時代だったんですね!

他の地域にも同じような問屋街があったというのも初耳でした。

私がざっと見たサイト以外のところのことが知れて良かったです!

ありがとうございました。

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