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戦前のわが国の教師が教材開発における自立性を奏していく原因について何かヒントになるページを探しています。
明治30年代の生徒の増加→教師の大量生産→国で同じ授業→誰でも出来る決められた授業・・・と言うのがヒントらしいです

●質問者: Zommerz
●カテゴリ:学習・教育 政治・社会
✍キーワード:大量生産 年代 戦前 明治
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● YOU3554
●40ポイント

http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rm19-14.htm

中野文庫 - 第一次小学校令

「明治30年代の」というのは

小学校令(明治19年勅令第14号)

1900 明治33 小学校令改正

1903 明治36 小学校教科書の国定化

あたりの改正を言うのでしょうか?

http://s-opac.sap.hokkyodai.ac.jp/library/shiryou/kokutei/shiryo...

教科書の歴史(北海道教育大学附属図書館)

1903(明治36) 年4月、小学校令の改正により、「小学校ノ教科用図書

ハ文部省二於テ著作権ヲ有スルモノタルべシ」(第24条) と定められ、翌年

4月から教科書の国定制度がスタートした。

というところあたりが、均質な授業=

同じ教科書、ということにより達成されたのですから。

その法律改正時の議論について知りたければ

国会図書館などで、国会議事録や委員会議事録を

読めばわかると思います。もっとも

http://www.nishi.or.jp/~kyodo/news/1-ueda.htm

1-ueda

出版は東京に集中し、金港堂・文学社・普及舎・集英堂の4社が他を圧倒した。

販売競争が激化し、明治35年の教科書汚職は

教科書国定化への直接の原因となった。

とあるので、「直接の原因」は、別に

「均質な授業を与える」というのでは

ないようですがね。

「日本教育史」の教科書などを読めば

きれいごとの理由も書いてるでしょうが。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

1つ目と2つ目が大変参考になりました

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