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翻訳小説について質問です。

私は英語がわからないので洋書については翻訳ものを読むわけですが、
それでも読んでて「同じ作品で訳者が違う場合」「同系シリーズで訳語が
異なる場合」など訳の不自然さからとおもわれるひっかかりを感じることが
あります。
皆さんはそういうことありませんか?
もしありましたら教えてください。

1.可能なかぎりISBNを明記の上
2.どういった訳が異なるのかを具体的に
3.あなたにとってどちらが、どういう理由で好みか

をお答えください。
最低条件として以下のものをあげておきます。

◎比較ですから両方読んだことがあること
(タイトルが違うだけであっても内容を読んだことがある場合に限ります)
◎双方の違いを指摘できること。
◎小説(児童文学・絵本含む)に限ります。

●質問者: libraria
●カテゴリ:書籍・音楽・映画
✍キーワード:あなた シリーズ タイトル 児童文学 小説
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 23/23件

▽最新の回答へ

1 ● so-shiro
●20ポイント

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/customer-reviews/-...

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

  • 作者: J.D.サリンジャー
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • メディア: 新書

キャッチャー・イン・ザ・ライ

キャッチャー・イン・ザ・ライ

  • 作者: J.D.サリンジャー
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • メディア: 単行本

サリンジャーの「The Catcher in the Rye」でしょう。

これは、村上春樹の新訳が出て後、Amazonの村上訳の書評のサイトで、えんえんと議論が続けれらていますが、私の印象は、まったく別の本になってしまったということ。細かいところまでいろいろ挙げるのは煩雑なので省略しますが、サリンジャーが良くも悪しくもユダヤ系の作家であることを強く意識させた野崎訳にくらべ、村上訳は「どこにでもいそうな普通の少年」になっています。それを良しとるか、作品の意図を曲げた改訳とするかで評価は違ってくように思います。

ちなみに私は「野崎派」です。

◎質問者からの返答

わかりにくい質問に的確な回答をありがとうございます!

参考URLも面白く読ませていただきました。

私は野崎氏の方をうんうん唸りながら読んだ覚えがありますが

中学時代だったんで、出会うのが早すぎたのかもしれません。

内容をすっかり忘れた今、新たな気持ちで気持ちで比較しがてら

読み直してみようかとおもいます。


2 ● chibit
●20ポイント

http://homepage1.nifty.com/hobbit/tolkien/komatta.html

ホビット―ゆきてかえりし物語 [第四版・注釈版]

ホビット―ゆきてかえりし物語 [第四版・注釈版]

  • 作者: J.R.R. トールキン
  • 出版社/メーカー: 原書房
  • メディア: 単行本

ホビットの冒険 オリジナル版

ホビットの冒険 オリジナル版

  • 作者: J. R. R. トールキン
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • メディア: 単行本

昔から瀬田訳に慣れていたので、山本訳を読んだときは心底びっくりしました。どちらが好きかといわれれば断然瀬田訳です。どこが違うのかについては参考URLをご覧下さい。なお、私自身は大好きな瀬田貞二ですが、彼が訳した『指輪物語』については賛否両論です。また、この作品は映画化されましたが、字幕がひどいということで批判が多かったと聞きます。それについての参考URLはこちらです。

http://herbs.tsukaeru.jp/index.html

なお、手元に本がなくて具体的な違いを細かく指摘できないのですが、アガサ・クリスティーのポアロシリーズはいろいろな訳者が訳しているため、巻によって、かなりポアロのキャラクターが違っている気がしました。たしか『ポアロのクリスマス』だったと思いますが(すみません、うろ覚えです)、自分のことを「俺は」というポアロがでてきて(人にむかってではなくて心の中で考えるという場面ですが)「こんなのポアロじゃない!」と思ったのを記憶しています。

◎質問者からの返答

回答ありがとうございます。

指輪!来ましたね〜。

私も瀬田訳で慣れ親しんだクチでして、山本訳はパラ見しただけです。

映画の誤訳は・・・・正直、酷かったです。

原作知らない方だったら物語を誤解すること間違いなしだとおもいました。

翻訳された方が原作(瀬田訳を含む)を読んだこともないというのが本当なら、原作が好きで映画化した監督にも失礼だなというのが正直な感想です。

ただ瀬田訳は繊細ですが古いと感じる方がいても仕方ないところはあるかなともおもいます。

そういう意味でまったく新しい訳というのも求められているのかもしれませんね。

クリスティ作品はホントにいろんな出版社から出てますよね〜。知人はタイトルが違ったためにうっかり重複して買ったりしてました。

たしかに「俺は」なんていうポワロは見たくないっ!(あ、ポアロとポワロというのも微妙な違いですね/笑)


3 ● atatamogura
●18ポイント

http://bk1.hatena.ne.jp/1096729048#

翻訳小説について質問です。 私は英語がわからないので洋書については翻訳ものを読むわけですが、 それでも読んでて「同じ作品で訳者が違う場合」「同系シリーズで訳語が .. - 人力検索はてな

カラマーゾフの兄弟 上 新潮文庫 ト 1-9

カラマーゾフの兄弟 上 新潮文庫 ト 1-9

  • 作者: ドストエフスキー
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • メディア: 文庫

カラマーゾフの兄弟〈第1巻〉 (岩波文庫)

カラマーゾフの兄弟〈第1巻〉 (岩波文庫)

  • 作者: ドストエーフスキイ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • メディア: 文庫

ドストエフスキーの訳の善し悪しについては、ネット上の掲示板でも論議されることがしばしばあるようです。「カラマーゾフ」に関しては、他にも江川卓訳があるらしいですが、それは読んだことはありません。挙げたものでは、原訳は文章のリズムがよく、やさしい言葉で書かれていて、会話(とくにアリョーシャや子供たち)も生き生きしています。

米川訳は、時代が古いということもありますが、文章がごつごつしています。たとえば6章の冒頭の一文は、原訳「不安と心の痛みを覚えながら長老の庵室に入ったとたん、アリョーシャはほとんど愕然として立ちどまった」、米川訳「アリョーシャは胸の不安と痛みを抱きつつ、長老の庵室へ入った時、驚きのためにほとんどそのまま入り口で立ち竦んだ」。適当に拾ったのでわかりにくいとは思いますが、後者の「ほとんどそのまま入り口で……」みたいな、古今絶えてやまない悪しき翻訳調が全編つづくと、きわめてかったるいです。

URLはダミーです。

◎質問者からの返答

回答ありがとうございます。

最初asinがなんなのかわからず、そしてなんなのかわかってからも利用の方法がわかりません(涙)

回答の中身が興味深いだけに、切ない・・・・。

今後回答される方でasinで紹介される方は使い方も教えてください・・・・。

訳が古くなるというのは時代の趨勢ですからどうしようもないですが、翻訳調は確かに読みづらいですね。

せっかく「ネット上の掲示板でも〜」とおっしゃるからにはダミーではなくそのひとつのURLでも付けていただけたらとても嬉しかったのですが。

ドストエフスキーはあいにくと1冊も読んだことがないです。気持ちが乗ったときにえいっとチャレンジしたいですね。やっぱりカラマーゾフあたりから?


4 ● adlib
●20ポイント

http://www.ff.iij4u.or.jp/~susumu-a/peter_camenzinto.html

── 引き出しには、私の大きな創作のはじめの部分がはいっている。

「わが生涯の作品」ということができよう。それはあまりおおげさに

聞こえるから、そうは言うまい。というのは、この作品の進行と完成は

おぼつかないことを告白しないわけにいかないからである。新しく始め、

続け、完成する時が、もう一度来るかもしれない。そうなったら、私の

青春のあこがれは正しかったわけで、私はやはり詩人だったのである。

それは私にとって村会議員や石の堤防と同じくらいの、あるいはそれ

以上の値うちがあるだろう。しかし、すらりとしたレージー・ギルタナ

ーから哀れなボピーにいたるまで、なつかしいすべての人々の姿を含め

て、私の生涯の、過ぎ去りしはしたが、消え失せることのないものを、

それはつぐなうに足りないだろう。

── 高橋 健二・訳《郷愁 19560831 新潮文庫》P185

1.ISBN 4102001077

2.過ぎ去りしはしたが、消え失せることのないもの(高橋・訳)

過去とはなったが、しかし不滅であるところのもの(芳賀・訳)

3.中学時代の芳賀訳よりも、中年を過ぎてから読んだ高橋訳のほうが

詩的に感じられました。わたしの自伝《虚々日々 20001224 》に、

対照して、引用した部分です。

── この大作はことによったら、もう一度書き直し、書きつづけ、完

成する様な時が恵まれるかも知れない。その時こそ私の青春の憧憬が充

される時なのであり、私は詩人になれた、と云うことになるであろう。

それは私にとっては村会議員や、石の堤防と同じくらい、或いはなお

それ以上の価値のあるものだったかも知れない。しかしながら、それは

あのほっそりした美しいレージ・ギルターナーから可哀想なポッピーに

至るまで、愛すべきあらゆる人々の像をひっくるめた、──あの私の生

涯の過去とはなったが、しかし不滅であるところのもの──に較べたら、

元より及ばぬものであったであろうが。

── 芳賀 檀・訳《郷愁 19521128 人文書院》現代世界文学全集??

<PRE>

Hesse,Hermann 作家 18770702 Deutch Suisse 19620809 85〜《Peter Camenzind 1904》

高橋 健二 独文学 19020918 東京 19980302 95/春子の夫/中央大学教授〜《ヘッセ全集》

芳賀 檀 独文学 19030706 東京 19910815 88/矢一の長男/京都大学教授〜《ドゥイノの悲歌》

</PRE>

◎質問者からの返答

回答ありがとうございます。

質問に沿っての対訳大量投下、どうもありがとうございました!

こうやってド〜ンと示されるとわかりやすいような気がしますね。まあ御大の訳となると多分に好みとしかいいようがないところではありますが。

ヘッセの訳で高名な高橋健二氏は、読んだ作品数の違いから私の中ではケストナーの訳者というイメージがあります。

ヘッセは「デミアン」と「車輪の下」とあと短編ぐらいしか読んだことがないのですが、いったい誰の訳だったのやら・・・。


5 ● maris3
●20ポイント

ライオンと魔女(ナルニア国ものがたり(1))

ライオンと魔女(ナルニア国ものがたり(1))

  • 作者: C.S. ルイス
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • メディア: 単行本

C.S.ルイスのナルニア国物語の「ライオンと魔女」です。もちろん、岩波書店の瀬田貞二訳です。

わたしは、30年くらい前小学校の図書室で、「魔女とライオンと子どもたち」という本を読んだ覚えがあります。出版社、訳者とも不明です。探してみましたが見つかりませんでした。ごめんなさい。

既に瀬田訳の「ライオンと魔女」を読んでいたので、「へ〜」と思って読んでみたのですが、同じ話なのに、すごく読みにくくてつまらなく感じました。アスランの口調が軽々しく、子どもたちの話し言葉も違和感がありました。瀬田訳でできあがったイメージを崩されて嫌だったのかも知れません。

「石舞台」を「ストーンテーブル」と訳してあったのを、何故かはっきり覚えています。歴史ある魔法の場所であるはずの「石舞台」が急に薄っぺらくなった気がして、翻訳って大事なんだ!と知った瞬間でした。

◎質問者からの返答

回答ありがとうございます。

子どもの頃に違和感を感じたなら間違いないですね!そして図書館で読んだ本が探そうとすると見つからない、というのはよくわかります。

回答内容がわかりづらかっただろう質問にばっちり沿ったものでしたのでOKです!

指輪だけでなくナルニアでも瀬田訳以外があったのですか。

私が知ってるのは「ライオンと魔女と衣裳だんす」http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/407ac8dbcf...

ぐらいですが、これは瀬田訳を底本にした(?)田中明子さんの訳ですし、最近のものですから違うでしょうね。

「ストーンテーブル」という訳、英語が日常に入り込んでいる今の子ども達ならばそれほど違和感を感じないんでしょうけど、「石舞台」で自分の中にしっかりとイメージが出来上がっているならば確かに薄っぺらい印象は拭えないかもしれません。

ナルニアは学生になってから読んだのですが、瀬田氏が日本になじみのないお菓子の名前だという理由で男の子の好物を「プディング」に変えたという断りが書いてあったのに違和感を覚えました。知らないお菓子でもおいしそうな記述があれば、そこからそのお菓子に興味を持つようになるだろうになあと。

原書を読めない読者にとっては訳者さんは第二の作者といってもよいくらい大切な方ですから、そのさじ加減でまったく雰囲気の違う作品を読むことになるとおもうとドキドキします。


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