人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

あなたは、人には自由意志があると思いますか?
また、自由意志が存在するとはどういうことで、存在しないとはどういうことだと考えますか?
(意識などの)精神の働きは(完全に)物質と結びついていると考えますか?

的確であれば良いのであって長さは問題ではない。という意見もあるかとは思いますが、
ここでは、最低でも400字以上書いてください。
また、必ず自分の考えを書いてください。
条件を満たさない場合には、ポイントは差し上げません。また、ポイントは重点配分したいと思います。

認知科学関連のおすすめのページがあれば、その紹介もしていただけるとありがたいです。

●質問者: last_wednesday
●カテゴリ:科学・統計資料 生活
✍キーワード:あなた おすすめ ポイント 存在 差し
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 16/16件

▽最新の回答へ

1 ● 1500曲を突破♪
●50ポイント

http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/jiyuuishi.htm

宇宙における自由意志-スティーブ・ホーキング

こうしてここに回答を寄せるという意味では、明らかに私の自由意志(もしくは意思と綴るべきか)はあると人は言うでしょう。しかし、この「自由」意志はあくまでもあなたの質問に喚起されたものであり、その意味では拘束され、また限定されたもので自由ではありません。しかし、意志という点からは自発的ではなくとも、それは自由であるとは言えるでしょう。自由とは自然状態ではないという留保が見えてきます。ネットワークとかシナジーという発想、観点が前提とされる所以です。したがって、この問題は純粋な思考や(嗜好や)哲学の問題というよりも現代物理学の域に移行することとなるでしょう。ここから先は、上記URLの先生にバトンタッチするかたちで、わたくしの論を終わらせていただきます。こんなんでよろひーですか?

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

ここでいう自由意志とは、意志の想起それ自体も含めた選択能力のようなものを意図しています。しかし、それもまた求めている回答の一部なのですが。

回答は、できるだけ回答文中で完結させていただきたいと思います。

引き続き、よろしくお願いします。


2 ● bragelone
●70ポイント

http://d.hatena.ne.jp/bragelone/20040914

[愛]世界は愛に包まれているか(理論編) - caguirofie

残念ながら認知科学からの回答ではないことをお断りして 設問に対して次のように考えます。

人間にとって自由意志は 自分が他人の意思表示やそれに基づく行動(消極のものを含めよ)を認め 道を譲ったときに あぁ存在するのだなぁと思います。特にそのときの 他人の意思や行動の内容に自分が反対の意見を持っている場合が 当てはまります。

この時の精神の働きは 必ずしも物質と言いますか 身体の欲するところとは 違って来ていると考えます。いえ 働きは 決断する段階までは 精神も〔その側面では 心理の動きとして〕 身体の欲求と同じような内容と過程をたどるのだろうと思いますが 最終の判断は その動きに逆らう場合があろうかと思うのです。

ですから もし自由意志が存在しないとはどういうことかと問うならば 次のいづれかの事態だと考えられます。

(1)他人の意見や行動に対して なんらの違和感をも持ったことがない事態。

(2)上に言う違和感を持つという場合において その自分の違和感に逆らって自分が行動を起こしたことが一切ないという事態。

(3)言い換えになりますが 身体の欲するところに おおよそ連動すると思われる人間の心理のほかに もはや精神などという人間の判断力を示すはたらきは ないと思っている事態。

以上のようです。

なお この自由意志ですが それによって他人や果ては世の中やに対して 反抗することは出来るとは言うものの 身体や果ては社会共同の心理となった慣習のちからを征服することは無理なようです。これは当然といえば当然のことですが それにもかかわらず 精神は この無理をーー極めて長期的な観点からはーー欲しているとも考えられます。その無理の実現をです。意志の自由な選択と言われる所以だと考えます。幸福は人は 不可能なことは望みませんから。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

曖昧な言い方ですが、人は欲求や感情のバランスによって意志決定を行っているように感じます。

また、その上で、立場や形式による影響を強く受けているようにも感じます。

人は、自分が自分と思っている自分のイメージによって決定される、選択の余地のない意志を見ているだけではないのかと思ったりもします。

人は、本当に自分の行うことを自分で決定しているのでしょうか?

もし、決定しているとするなら、それはどういうことなのでしょうか?

自由意志とは、でたらめな予測できないものを持ち込むことであるとも思えるのですが、どう思われますか?

この時、予測できないはずの自己、つまり、今からは次が見えない自己とは一体何なのでしょうか?

私は自然科学的なアプローチの正しさを信じているのですが、端的に言えば、自然科学は観測内容を記述するものであると思います。

しかし、観測事実から推論を重ねることで簡潔な記述形式を導く時には、(矛盾に満ちている気もしますが)自由な試行を繰り返すようにも感じます。

(観測も十分ではないし、論理的でもないかもしれませんが)その可能性として、様々な考えを聞いてみたいと思い、質問しました。


3 ● hira3
●70ポイント

http://d.hatena.ne.jp/hira333/

hira333の日記

人は元来、自由意志により存在するものです。自由意志とは、この宇宙に存在するもののすべてが指向する摂理とでもいえましょうか。

しかしながら、人間の場合は、社会生活をする上で、諸々の規範を定め、自由意志に制限を加えることとなりました。

自由意志が存在するとは、人が一つの社会なり制度の中で、法律とか目に見えない倫理や習慣などから解き放たれて、自分自身が時の為政者や制度から全ったき自由であると実感する心の在り方のことです。

自由意志が存在しないとは、自分の心が自分を取り囲む諸々の慣習や制度に支配されて、金縛りになった状態の人のことです。

意識や精神など、人の心は物質や文明などに支配されてはならない自由な存在なのです。

人は集団生活の中で、それぞれの自由意志を人間の基本的人権としながらも、文明・文化の発展とともに、自らの作ったそれらの規範によって、最も大切な自由意志を奪われてしまうと言う、矛盾した存在でもあります。

単純明快に云えば、人は自由だと思えば自由なのです。自由だと思えない人は、窮屈な人生を送ることとなります。

自らの心の中を自在に飛翔できない人は、人としての自由意志の醍醐味を味わえない人と云えましょう。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

ここで意図している自由意志の存在とは、自然法則の中に規定されているような、絶対的と思われるものです。

その存在を仮定した上での社会的なものではありません。

しかし、興味深く読ませていただきました。


4 ● MERCY
●50ポイント

http://www.google.com/

Google

URLはダミーです。

私は人には自由意志があると思います。理由としては無いと寂しすぎると考えるから。

精神活動が完全に物質によってのみ行われていると仮定すると、有る瞬間の全ての物の位置を完全に観測出来たとするなら、以降全て以前全ての事象が完全に計算出来ると言うことにつながります。

と言うことは、全ての物事はあらかじめ定まっていると言うことになり、そこに不確定な物は存在できなくなるはずです。

つまり、何をやっても、何を考えても、自殺してすらそれは予め決まっていたことである訳で、そう言う世界に自分が居ると考えた場合その世界で自分の存在を継続させる意味という物が無くなると考えます。

まぁ、不確定性原理によって完全な精度での観測は行えない筈ではありますが、観測を行えないと言うことが決まっていないという事にはつながりませんので私はこの考え方が否定されるまでは人には自由意志があるため意志によって変革を行うことが出来る存在出ると思うことにしています。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

私も自由意志がなければ寂しいと思いますし、普段は、あるものと仮定して生きています。

しかし、自分というものの範囲が、実は自由意志まで及んでいないのではないかなどと空想したりもします。

精神は物質とは結びついておらず、意識は(それ以外の)観測の内にある世界とは別のものに属しており、精神の働きのみがその窓である。などといった仮説はどうなのでしょうか?

どうやっても触れることの出来ないものの存在を問うように、実証できそうにない気もしますが。


5 ● くいっぱ
●70ポイント

http://www.tmin.ac.jp/medical/06/immune1.html

最低でも原稿用紙1枚分とは長いですな…。

閑話休題

私は人には自由意志があると考える。

人間の自由意志とは、その人が受け取れる環境情報を元に、その人が頭で考えて自立的に考えを出すことだ。

結果、対外的に口で表明された意思や、実を伴う行動が、最初に導き出された意思と異なる場合があるが、

これは環境による制約や、現実的、物理的束縛による自由意志の変更である。

人が空を飛びたいという思考を抱いた時、それは純粋なる思考である。

では、「実際に飛んでみようか?」となった場合、それは意思となる。

自らの意思とは裏腹に現実的にもたらされる結果が期待とはそぐわない場合があるが、

実行後にしろ、実行前に断念したにしろ意思を抱いた以上、最初は束縛をうけない自由な意志だ。

さまざまな物質が非常に複雑な系をつくりあげる。

それを人は環境として把握し意思を抱く。

思考は単なる化学物質の拡散にすぎない。物質による影響をうけた上で成り立つものでもある。

もっとも単純な生物ともいえないものですら自己を認識する構造を持っている。

その上で、自分と環境、非自己を区別し反応をする。

物質のもつ指向性。それは、完全なる自由意志とも取れるものである。

指向性は物質の構成を変えてしまうなど、なんらかの阻害することによって奪うこともできる。

脳に薬物などによって影響を与えれば思考は奪われる。

生体の活動を止めることによって、働きそのものを奪ってしまえば指向性も存在しなくなる。

故に人という固体としては自由意志が失われることになるだろう。

掲題URLは抗体の仕組みっ

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

>人間の自由意志とは、その人が受け取れる環境情報を元に、その人が頭で考えて自立的に考えを出すことだ。

>実行後にしろ、実行前に断念したにしろ意思を抱いた以上、最初は束縛をうけない自由な意志だ。

次の状態での意志決定の、現在の環境情報と自己の状態に対する依存はどの程度なのでしょうか?

完全な依存関係にあるならばそれは、コンピュータのプログラムと同じようなものであり、自由意志は存在しないように思います。

もし、自由意志が存在するなら、それは、それらに対して非依存に行われる処理の中にあるように思います。

>もっとも単純な生物ともいえないものですら自己を認識する構造を持っている。

>その上で、自分と環境、非自己を区別し反応をする。

>物質のもつ指向性。それは、完全なる自由意志とも取れるものである。

もし、物質の指向性に全てが支配されているとするならば、自由意志は存在し得ないように思います。

私の読み間違いかもしれません。

自己なくしては成り立たないけれど、自己によって制約されれば消えてしまうもの。

なんだかわからなくなってきました。

自己とはなんなのでしょうか?


1-5件表示/16件
4.前の5件|次5件6.
関連質問


●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ