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発生についての質問です。シュぺ-マンが予定表皮域と、予定神経域を交換した実験がフォ-クトの局所生体染色法による原基分布図の実験より前に行われたとする資料が多いのですが、だとすれば、シュペ-マンは、どのようにして神経域と、表皮域を知ることができたのでしょうか。ちなみにフォ-クトの実験が先に行われたという教科書もあります。正しい年号も含めて教えてください。

●質問者: chgr
●カテゴリ:科学・統計資料
✍キーワード:分布 実験 年号 教科書
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● mizunouenohana
●60ポイント

http://www.keirinkan.com/kori/kori_biology/kori_biology_1/conten...

http://www.musashino.ac.jp/r/2-3.htm

http://www.ex.media.osaka-cu.ac.jp/~a02s520/seibutugaku.html

ここに上げたもの以外にも色々調べてみましたが、こういうことらしいです。

1922年 フォークトが局所生体染色法を開発し研究を始める

1924年 シュペーマンが予定神経域と予定表皮域を交換した実験を行う

1929年 フォークトが局所生体染色法により原基分布図を完成させる

ということです。

つまりフォークトの業績を、局所生体染色法を開発したことと見るか、それによって原基分布図を完成させたことに見るか、の違いにより、シュペーマンとフォークトの名前の出てくる順番が変わってしまうということです。

実際にはシュペーマンの実験はフォークトの局所生体染色法の開発のあとですので、それぞれの予定域を特定することはできたでしょう。しかし原基分布図の完成には至っていなかったということです。

◎質問者からの返答

丁寧な回答有り難うございます。回答によりますと、フォ-クトが局所生体染色法を開発し、原基分布図を完成、発表する前に、シュペ-マンは、神経域と表皮域についての情報をてにいれたということになりますよね。おなじドイツ人ということもあり、頻繁に情報交換をしていたのでしょうか。

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