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【ご意見募集】司馬遼太郎『坂の上の雲』が、平成18年(2006)にNHKで特別企画の連続ドラマ(75分×20回)になるようです。

そこで、質問なのですが、いわゆる「司馬史観」について、皆さんはどう思われるでしょうか?

私個人は、一個人の史観が疑問もなく受け入れられることは大変危機的な状況であり、「明治時代は国全体に合理主義的精神が満ちていて国家体制も柔軟だったので日露戦争に勝てた。それに対し、硬直した官僚制と非合理な精神主義、内容の空虚な権威主義のもと、科学技術を軽視して勝つ見込みのない戦争に突入した昭和時代」という見方は、かなり一方的に思えるのです。

質問の性質上、URLダミーとなることが多いかと思いますが、それは一向にかまいません。じっくり回答を待つつもりですので、あなたの意見を展開してみてください。

司馬遼太郎擁護の書き込みは今回は御遠慮ください。「司馬史観おかしいな?」と思っている方の長文の回答を期待します。

●質問者: So-Shiro
●カテゴリ:学習・教育 政治・社会
✍キーワード:2006 NHK URL あなた ダミー
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 7/7件

▽最新の回答へ

1 ● kn1967
●14ポイント

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BE%AE%C0%E2&kind=jn

マスメディアの力は絶大なのですから「歴史」と「歴史小説」の区分をハッキリして欲しいものですね。

司馬遼太郎氏の作品は史実ではなく「史実を元に創造されたものです」といったような一筆を必ずいれるようにして欲しいと思いますね。

◎質問者からの返答

もちろん、そういうことなのですが、時代の雰囲気はかなりマスメディアに影響されます。

最近の実例だと「作られた韓流ブーム」

kn1967さんの意見は、「司馬史観」は本物の「歴史」じゃないよ、個人の解釈だよ、ということでよろしいですかね。


2 ● moonlightanthem
●14ポイント

http://www.yahoo.com/

Yahoo!

司馬史観については論議の種になることが多いみたいですね。

司馬史観の一番大きな特徴は、日露戦争から昭和初期にかけての時代だけを浮かび上がらせて、それまでの日本の歴史の流れ方とは違う異質な時代であったと強調するものだったと思うのですが、(精神的にも文化的にも、そこだけが連続性がなく断絶しているという主張)私自身が一番抵抗を感じるのは、確かにおかしい一面があった時代(それは彼自身が経験しているからでしょうけど)を取り上げて「常のものでない」として非難している所にあります。歴史はどう動こうが時間とともにあり、すべて連続しているもので、ひとつの時代だけが非連続であることはあり得ません。

司馬史観は、歴史に対する客観的な見方ではなく、彼自身の、激動の時代を見てきたためのアイデンティティ・クライシスが反映された見方でしかないと思っています。その時代を生きた人の見方を知るにはいい材料ですが「史観」と言うから語弊があるのではないでしょうか。

◎質問者からの返答

うーん、moonlightanthemさん、けっこう読み込んでますね。

>彼自身の、激動の時代を見てきたためのアイデンティティ・クライシスが反映された見方でしかない。

まさに、彼の戦争体験が小説に反映しており、その意味で激動期の歴史小説は感動を呼ぶのですが、権威になってしまってからおかしくなってしまった。それが、『坂の上の雲』『「明治」という国家』『「昭和」という国家』に展開されている独自の「史観」なのだと、私も思うのです。


3 ● DOK
●14ポイント

http://www7.plala.or.jp/machikun/essayv.htm

三つの歴史観

私も司馬史観だけを見ると、方向性の偏った意見だと感じるでしょう。

ただ、紹介したページに記載のあるものをはじめ、唯物的史観や宗教的史観など、多数の史観論を重ねて考えると、どの史観もかなり極端だというイメージです。

そんな中で司馬史観は右派左派どちらからも叩かれやすい内容だと思います。

戦争に勝利している間はこんな要因が、負けている間は悪い要因がというふうに、究極の戦勝理論ですから、軸となる信念がかけている、という風にとらわれることも多いようです。分かりやすく言うと結果論。

史観分析というより、結果論に基づいて小説を書いたらこうなったというものではないでしょうか。(司馬史観自体、後年の他人がかってにカッコでくくったものですし)

そもそも、史観リスト(というものが存在すれば、それ)に列挙されるにはあまりに無理やり載せた感があり、それ自体単なる一作家の好みの問題だと思います。

◎質問者からの返答

『「明治」という国家』『「昭和」という国家』の出版元の日本放送出版協会=NHKが『坂の上の雲』を特別企画で作ろうというところに非常に問題を感じます。

善良な視聴者は、信じ込んでしまう方もいますからねー。


4 ● bragelone
●14ポイント

http://d.hatena.ne.jp/bragelone/20041124

caguirofie

昭和初期の時代は 日本社会の伝統から見るなら ありえないことが起こったというだけではなく それは 日本人の歴史に属さない・それは例外であると言い放つ《史観》(《春灯雑記》) この一点については 根本的に間違っていると考えます。

《日露戦争の勝利に結びつく明治時代に比べて 勝つ見込みのない戦争に突入していった昭和時代》という見方の非をid:

So-Shiroさんは例に挙げておられるのですが 上の春灯雑記では その昭和初期は 日本史に属さないと言って その発言が終わってしまうところには 一体 司馬さんは どうしたのかと恐れたという体験がわたしにはあります。

もともと 理論的な歴史観であるとは捉えていなかったですが 日本人とその社会について 長短の具体的なことがらをさまざまに捉えて提言されることを 歓迎していました。小説作品を離れても 面白く有益な見解を示してくれていると 今でも思います。《絶対》をめぐる議論(D.キーン氏との対談など) あるいは 《生命とその愛》を宗教の唯一の命題とせよとの議論(同じ春灯雑記)等々 評価すべきかと考えます。

東条英機とかれが台頭してくるという事情の問題 戦争遂行にあたってのいわゆる肥大した思い込み・思い込ませとしての精神主義の問題など これらは 事実問題として そのとおりだと思うのですが 日本人にとって それらの歴史は 例外だと言ってしまえば 話にならないと考えます。それでは歴史を清算することも継承することも 難しかろうと思うことです。東条を悪者にすることによって 過去をもう問わないと判断したことになってしまう。これを例外視することによって その例外の事態をも含めた過去を 依然として引き継いでいるということになってしまう・・・。

司馬さんは 特に戦争中に よほどひどい非人間的・反人間的なことを経験されたのかも知れません。それらは 自分の熟知している日本人ではないと ほんとうに感じておられたのではあろうと推し測られるのですが・・・。

◎質問者からの返答

>昭和初期の時代は 日本社会の伝統から見るならありえないことが起こったというだけではなく,それは 日本人の歴史に属さない・それは例外である。

ここで、歴史学の基本から外れていることは明らかなのですが、歴史学者たちは何か発言をしていないのでしょうか?

黙殺、するには余りに影響力が大きくなっていると思うのです。


5 ● asamaru
●14ポイント

http://www.yahoo.co.jp/

Yahoo! JAPAN

司馬史観の内容よりもその受け取られ方に違和感を感じます。

一人の歴史小説家が小説を書く中である歴史観を組み上げた。そして、それは小説に十分反映され、その小説の面白さを出発点にして、多くの人に受け入れられた。ここまでは特に異論はありません。現に司馬遼太郎の小説は面白いと思いますし、彼の歴史観も個人の哲学としては傾聴に値するものだとは思います。

ただ、その史観が受け入れられたあとで、やや一人歩きしているように思います。出発点は「面白い小説」だったのに、いつのまにか小説に表現される「歴史観」そのものが、「事実」として扱われているように思います。多分に演出を含む「小説」に表現されている「歴史観」なるものが、より実証的な研究に裏付けられた歴史学や政治学などでの「歴史観」と同列に扱われていることが、問題なのだと思います。しかも世間一般の人だけでなく、近頃では政治家でもそういう影響を受けていると見られる人が多々見られ、そういう人の言説の中には自分を坂本竜馬と置き換えるような幼稚なヒロイズムに近いものを感じることもあります。

きちんとした「歴史観」といいえるためには、まず「歴史的事実」に基づいていること、「体系的・包括的な社会分析のための理論的枠組みを批判可能な形で提出していること」が最低限必要だと思います。「司馬史観」というのは、その結論はともかくとして、少なからぬ事実が小説の登場人物の架空の会話を通じて提供されること、そして、小説の性質上、小説の性質上出される社会観が断片的である点からして、きちんとした「歴史観」とは言いにくいと思います。

彼の「歴史観(の萌芽)」を出発点に、より体系化・理論化させ、上に言う意味での「体系的な批判が可能な歴史観として提示」されるならば結論の是非はともかく、現実の歴史観として扱われるのもよしだと思います。

おそらく彼の提出した結論が、日本人に情緒的にマッチしたのだと思います。ただ、それを政治・社会政策上の基礎認識とするのは、あまりに短絡的だと思います。司馬氏には失礼ですが、小説を漫画に置き換えればわかります。

◎質問者からの返答

示唆に富む御意見ありがとうございます。

『○ー○○○”○宣言』レベルの本が世論を動かしかねない状況はおかしいと思います。本当に。


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