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映画『ハウルの動く城』のあなたなりの解釈を教えてください。

【注意】映画の感想ではありません。

伏線や意味ありげな台詞。
謎の多い映画「ハウルの動く城」を観終わったあとに、なぜ?なに?どうして??と疑問を感じる人も少なくありません。
すっきりしないながらも、映画のシーンを思い出して「あれはこんな意味だったのでは…?」
と、独自の解釈をしている人もいると思います。そんなあなたなりの解釈をぜひ聞かせてください。

※これから映画を見る方へ 多少のネタバレがあると予想されますので、読まれる場合は、ご了承の上ご覧ください。
※映画「ハウル」への解釈です。原作と織り交ぜての解釈でも結構ですが映画をご覧になってない方の投稿はご遠慮ください。あくまで映画の解釈がメインです。
※ジブリ論ではありません。

●質問者: vanda
●カテゴリ:趣味・スポーツ 芸術・文化・歴史
✍キーワード:あなた ジブリ ネタバレ ハウル ハウルの動く城
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 8/8件

▽最新の回答へ

1 ● なぽりん
●10ポイント

http://yahoo.co.jp/

Yahoo! JAPAN

いきなり原作からネタばれですが、ソフィー自身も魔女です。原作では帽子つくりの技能にも発揮したし、案山子をつれてくるときのはげましにも、赤い髪の毛を黒く(ちょっとましに)するときにも、カルシファーをはげますときにもつかわれたとほのめかされていたと記憶しています。たぶん映画の最後のキス乱発シーンにも、その「魔女としての力(言霊)」がはたらいていると思います。

私としてはその辺の内面的な筋立てがちゃんとでないと、最後の方で年齢がどんどんかわるあたりなどはわかりづらいと思ったのですが、原作でもはっきりといわないが年齢(行動力)が替わっているのがわかりづらく示されているんで、しかたないですね。

◎質問者からの返答

ソフィー自身も魔女だから。……。

原作に基づいて解釈しようとされたのですね。

--

私なりの解釈も織り交ぜていこうと思います。

☆<「ハウルの動く城」の3人の老婆>

老いを受け入れず、若さと美しい男を貪欲に求める老婆。<荒野の魔女>

貞淑にみえつつも、若者(息子)を束縛し、思いのままにしようとする老婆<サリマン>

夢や希望をあきらめ、なげやりな心を持ち、本来の若さとは裏腹に心の「老い」が

姿に現れてしまった少女の老婆。<ゾフィー>

上記のようにキャラクターを考えたとき、映画の中の多くの謎がすんなりと受け入れられるようになりました。

どうして<荒野の魔女>は執拗にハウルを追い回すのか?

貞淑に見えるサリマンの「やり方」に、なぜ不快感を感じるのか?

ゾフィーが頻繁に(後半になるほど)少女と老婆を行き来するのはなぜか?

老婆を拒んでいたハウルの城が、なぜゾフィーだけを受け入れたのか?

それぞれの「呪い」とそれを解く「鍵」の意味するものとは?…


2 ● yoyan
●10ポイント

http://u-maker.com/78849.html

ハウルの動く城占い

URLはダミーです

ソフィーは結婚適齢期にさしかかり、自分に自信がないのでその事実から逃避しようとしている。

だから老婆になってもかえってせいせいしている部分がありますね。

ハウルは心を持たない。

そして「義務」から逃れ日々遊んで暮らしている。

私はこれを現代の「おたく」少年少女にあてはめて見ていました。

恋愛→結婚を自分の事としてとらえることを拒否し、美しく着飾ることも忘れた女の子。

夜な夜なゲーム(ネトゲ?)に興じて、正業に就くことさえしない引きこもり青年。

彼らが出会い、恋愛という魔法にかかり、そして人と繋がることによっての幸せを見つけて欲しい。

そういう願いが隠されているような気がしました。

まあそれはある程度年令が行った「家庭人」であり「社会人」である人の説教に過ぎないかも知れませんけど。

◎質問者からの返答

恋愛という魔法にかかり、そして人と繋がることによっての幸せを見つけて欲しい。

そういう願いが隠されているような気がしました。

確かに現代の少年少女に当てはまる部分が感じられますね。現代の少年少女に対する願いとメッセージ。

--

☆<荒野の魔女>

荒野の魔女の描かれ方は非常に興味深い。物語の最初に登場するこの老女は

まさに最初に現れるべくして現れた感じがします。

強大な力を持ち、若い男を引き寄せる魅力を持っているが、

同時に飲み込んでしまうほどの強い欲望を持ち合わせている。

強い独占欲。常に若さと美を追い求め、自分を拒むものは許さず

自分に従わせ、自分のものにすることを望む。

一番愛しているのは自分である。しかし自分の本来の姿はみとめない。

荒野の魔女は、まさに(女の)欲望の原型といえるかもしれない。


3 ● なぽりん
●10ポイント

http://azby.fmworld.net/

$B%^%$%Z!<%8(B - AzbyClub : $BIY;NDL(B

<荒野の魔女>は本当によくある「経験をつんだ女」ですね。一番わかりやすい「若い男(のしんぞう)はイイ!」それだけ。

<サリマン>は、心理学でいうゴッドマザー。実力とそれにともなう権力を持ち、自分なりの「こうあるべきだ」という論理に他人(王も、弟子も、世界をも)をどんどん巻き込み、王をそそのかして魔力戦争を始めた(たぶん、いんちき魔法使いを篩い落とし、ハウルを再び手元に置きたかったのでしょう)が引き際も心得ている。力とはそのようにしかるべく行使されるものです。

<ソフィー>はごく普通の女性だと思います。原作著者ダイアナウィンジョーンズは実際に外見が年老いる病気にかかったそうで、それが投影されています。最初は「似合う帽子」つくりが好きな以外は自分がやりたいことはわかっていません。自分の外見(自分で不細工だと思っている)と親の世話には多少うんざりしているがモテモテ妹も別にうらやむほどイイとも思えなく、実は原作でもうひとりいる妹(魔女の修行中。そこでソフィーの魔女資質が示唆されます)にも距離をおいています。なげやりとまでいかないように思います。地味な性格で自分が魔女の力を持つとは夢にもおもいませんので、荒地の魔女に呪いを受けたときにもなにがなんだか・・。開き直りが早く、親の援助を見切って、悪いうわさのある城にむりやり乗り込みます。

「城の入り口」は悪意を持つ特定の存在以外に向けては開放されているようです。(食っていくため、偽名魔法使い業にも依頼者が必要ですよね。その依頼者のなかに自覚のない魔力資質を持つものがいても、いちいち断るわけにはいきませんね)サリマンも荒地の魔女も網を張っていますが、偽名とハウルを結びつけるに至っていなかったわけです。

ファンタジーでは、魔法について一貫した論理が定義されているものとそうでないものがあります。これは定義が弱い作品の方なので、この作品でいう呪いは、たいてい「自分では呪いの内容を他人に言ったり知らせたりすることはできない」という条件がくっついてくるが、他人(特に、魔法使い)がなんとなく気づいてくれれば、かなりあいまいな形で解けてくるもののようです。カルシファー+ハウル相互の呪いのひみつは偶然カルシファーがハウルにつかまり心臓を与えられて実体化?した事件で、この関係をうすうす知ったソフィーの呪いは最初の契約どおりカルシファー(+ソフィー自身)の魔力の及ぶ範囲で解けかけていたようです。

以上、原作のあいまいな記憶+個人的解釈でした。2回答えてしまったので、この続きがあればいわしにて希望します。解釈の押し付けになっていなければ良いのですが、楽しくて語り足りない感じもあるので・・。

◎質問者からの返答

解釈ありがとうございます。楽しく拝見しました。

>楽しくて語り足りない感じもあるので・・。

宜しければまたいわしでお聞かせください。^^

--

☆<サリマン>

貞淑で理知的、絶対的母親の権力を持っている。

(子供にとって「母親」は世界であり法律です)

一方で、若者(息子)を束縛する傲慢さ、独立を許さない独占欲、

型にはまった美意識の持ち主でもある。

凝り固まった権威の中で、他者の意見を聞き入れる柔軟さを欠く。また、

自分の価値観を押し付ける傾向も見える。

節操のあるサリマンは、荒野の魔女とは対極にあるように思える。

しかし、底には、「独占欲」という共通の部分を持っている。

荒野の魔女は、欲望(あるいは肉欲)をもってハウルに近づくが

サリマンには、母親の、やや行き過ぎた愛情の押し付けを感じさせられる。

また興味深いのは、映画の中で唯一「隙のない」登場人物であること。

荒野の魔女は、まるで子供がおもちゃを欲しがるような無邪気さがあり、

(性質が悪いとしても)どこか憎めないところがある。

それに比べサリマンは隙を見せない。完璧な存在であるように振舞う。

これは、いわゆる「大人」を象徴しているように思える。

あるいは、完璧であるために、心の支えとなるハウルを手元に置いておきたいと願っているのかもしれない。

不自由な自分の身体の周りに小姓(しかも同じ容姿の少年ばかり)を何人も置いているのは

同じ理由からなのかもしれない。完璧であろうとするサリマンもまた孤独なのだ。

しかし、サリマンは大人として思慮と分別ももっている。

終にはハウルの成長(独立)を受け入れ、手放すことを決意する。

サリマンは多くの大人(特に母親)の理想と傲慢、孤独の象徴のように思える。


4 ● allows
●10ポイント

http://www.howl-movie.com/

なにも恋愛をしていない女性の願望の夢物語なのでは、ないでしょうか?基本的にはカルシファーの思いや周りの人物の対応は、ソフィーが望んでいるんだと思います。

最初のカルシファーとの出会いから現実逃避してますし、ふせんとして、動く城の話や心を奪われた少女の話がでてきますから。

ラピュタとくらべると、片思いの恋愛の夢物語に思えました。

◎質問者からの返答

なにも恋愛をしていない女性の願望の夢物語

ふむふむ。


5 ● hensyuushi
●30ポイント

http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=99568&pg=20041125

エンピツ

自分の映画評のうち解釈メインの話題の部分のURLです。「前半部では,帽子屋」云々のあたりから最後までの部分で映画の解釈を書いています。年齢で分かりやすさはずいぶん違うのかもしれませんね。

以下おまけで感想:

http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=99568&pg=20041104

エンピツ

更におまけでジブリ論と過去の作品との類似性:

http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=99568&pg=20041126

エンピツ

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

どのURLのページも素晴らしく痛快で面白く読ませて頂きました。論理的に上手に文章を書かれる方ですね。なんだかすっきりしました。


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