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激しい生き様の人を教えてください。

例えば)
有名どころで 坂本竜馬
意外なところで むつごろうさん
ネット上で
http://www9.ocn.ne.jp/~uji/
(この方の「旅行記」を見ていただけると激しさが伝わってくるかと。)

なるべくURLは付けてください。
友人や知人の生き様を紹介していただく場合、URLはダミーでも構いません。

●質問者: FC6
●カテゴリ:生活
✍キーワード:URL ダミー ネット 坂本竜馬 旅行
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 13/13件

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1 ● sottoVoce
●12ポイント

http://aozoragakuen.sakura.ne.jp/taiwaN/p-eqpol/node16.html

エバリスト・ガロア(1811〜1832)

天才的な数学者でありながら、政治の激動に翻弄されて、21歳で決闘に斃れる。

そして、こんなにも早く逝ってしまったにもかかわらず、数学史に燦然と名を残す。

まさに激しい生き様だと思います。

◎質問者からの返答

天才系ですね。天才の中でも決闘に斃れたのはこの人ぐらいかもしれません。ありがとうございました。


2 ● So-Shiro
●12ポイント

http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/sub14.htm

山川大蔵

最近、私も知ったのですが、若干23歳にして、家老職を命じられ、会津田島で土佐の谷干城と戦い、よく是を抑えた山川大蔵の生き様はすごいと思います。

会津藩の主従が青森の下北半島付近に転封(斗南藩)されたときは、幼児である藩主を補佐して、実質的に指導者となりますが、このときで25歳、しかも斗南藩は気候風土も厳しいなか、藩士を良くまとめます。

結局、斗南藩は崩壊し、山川浩(大蔵より改名)は、上京し、戊辰戦争で戦った谷干城の推挙で、陸軍に入るのですが、ここでも目覚しい活躍をします。

朝敵として蔑まれた会津人の心のささえになったことは疑いないし、最後は爵位を授けられるのですから、明治政府側も一目置いていたことは間違いありません。

坂本竜馬や高杉晋作、西郷隆盛の生き方もすごいですが、陽の当たらない敗者の方にも激しい生き様の人士は多数いたようです。

◎質問者からの返答

やはり世界を体験した人というのはすごい力を発揮しますね。熱い人物という感じがしました、ありがとうございます。


3 ● ne37564
●12ポイント

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%89%E6%99%8B%E4%...

高杉晋作 - Wikipedia

有名な所で、高杉晋作です。

◎質問者からの返答

彼の辞世の句は彼の生き様の激しさを物語ってますよね。ありがとうございました。


4 ● くいっぱ
●12ポイント

http://www.okweb.co.jp/about/index.html

FAQ/CRMソリューションのOKWave|会社概要

はてなのライバル?

オーケイウェブの兼元 謙任さん。

http://www.okweb.co.jp/about/backstory.html

FAQ/CRMソリューションのOKWave|バックストーリー

ここにはかかれていませんね…。

http://www.culturepress.jp/nifty/bizleader/backnumber/vol12.htm

公園生活をしてた時期もあったようですよ…。

近藤さんもチャリンコレーサー時代があったそうで。

なかなかにみなさん波乱万丈です。

http://nvw.nikkeibp.co.jp/nvw/nv/

ちなみに今月読んだ雑誌で、

ホームレスから年商100億へでも取り上げられていました。

年商100億は別の会社ですが、夜逃げで家族を捨てて逃げてホームレスしながら中古家電を…なんていう波乱万丈っぷりが披露されていました。

波乱万丈っぷりすぎます。

ちなみに駅前の姓名占いで、波乱万丈な人生を送る人のところに私の名前が… orz ....

◎質問者からの返答

激しい人生を送って後に成功する人っていうのは、かなりの「挫折」を味わうという共通点があるのかなと思いました。

波乱万丈は良い未来ですよ。諦めなければ。


5 ● TomCat
●12ポイント

http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/tu/masanobu.html

辻 政信

元参議院議員、辻政信氏。

1902(明治35)年10月11日生。

陸軍士官学校を首席で卒業し、

陸軍大学校でも優秀な成績を修め、

その後はほぼ一貫して参謀の任務に就き

第二次大戦末期には最前線で

ガダルカナル島の戦闘を指導。

自らも負傷し帰国、内地勤務の後、

再び南方戦線に転じビルマ防衛戦などを指導。

敗戦後も帰国せずそのままタイ、インドシナ、中国などに潜伏。

帰国後参議院議員選挙に出馬して当選、国会議員となるが、

インドシナの戦争を終わらせに行くと言い残して再び出国。

そのまま行方不明。

後にゲリラに射殺されたなどの噂が流れるが

その事実はまだ確認されていない。

1968(昭和43)年7月20日、

民法の規定により東京家庭裁判所において死亡宣告。

◎質問者からの返答

命かけてますね〜。「潜伏」のあたりにすごさを感じます。


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