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ヘルマン・ヘッセはフランツ・カフカの作品をどのように批評していたのでしょうか?

●質問者: last_wednesday
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
✍キーワード:フランツ・カフカ ヘルマン・ヘッセ 批評
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

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1 ● 1500曲を突破♪
●25ポイント

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4620310867.html

ヘッセからの手紙: 紀伊國屋書店BookWeb

とても面白い質問ですね。I appreciate it.ぼくもいろいろ探してみましたが見つかりませんでした。どなたかが貴重な情報を寄せられることを期待します。しかし、ご質問のようなことを直接訪ねられたりしたら、ぼくならこう答えます。

「カフカの生前にはまず読んでいないでしょう。たぶん、ジュネーブ時代には読んではいるでしょうね。でも理解しようとはしなかったのではないでしょうか。つまり好きにはならなかった、むしろ嫌ったと思いますね。晩年の彼の書簡集あたりに(もしあれば)カフカへの言及があるかもしれません。カフカを読んだヘッセは、おそらくジュネーヴ・コネクションということでユングあたりを応用した知的に歪曲した読み方をしたのではないかとかと邪推します。ヘッセの文学は書けば書けてしまう、書くこと(書くという行為)よりも、むしろ生きること、よく生きること、豊かに多く生きることに関心が向いています。一方のカフカは書くことの困難を早くも意識したすぐれて現代的、すぐれて20世紀的な文学の先駆となった文学者です。ヘッセごときにカフカがわかってたまるかい、というのがわたしの回答になります。

(カフカの「日記」いいですよ。新旧の全集に入っています。どちらも絶版のようですが古書店や図書館でどうぞ)

http://www.rikkyo.ac.jp/grp/jyoseika/ken/rin_nen/chino_k.html

◎質問者からの返答

回答ありがとうございます。

>ヘッセの文学は書けば書けてしまう、書くこと(書くという行為)よりも、むしろ生きること、よく生きること、豊かに多く生きることに関心が向いています。一方のカフカは書くことの困難を早くも意識したすぐれて現代的、すぐれて20世紀的な文学の先駆となった文学者です。

ヘッセは神学校を逃げ出したっていいますが、どこか神父のようですね。それに、流れ去っていく自然をその一部としてただ見つめ愛するといったような日本人に近いような自然観を感じます。好きになりそうです。

カフカの小説は、不安感と不条理と、認識の不安定さが感じられ、さらに、強い寓意が感じられ気になってしまいます。しかし、何かの比喩のようであるのに、何かを主張しているようであるのに、私にはそれが何だかよくわからないことが多いです。いろいろあてはめることは出来ても、それが正しいのかどうなのか。

最近、別々にこの2人の作品を読み始めたのですが、ヘッセが好きになりかけ、カフカがなんだか気になってきたところで、ヘッセがカフカの作品を批評していたというようなことを知りました。そして、随分違った印象を受けるこの2人が、同じ時代に生き、同じドイツ語で作品を書いていたということが少し面白く感じられたこともあり、ヘッセがカフカをどう思っていたのか知りたくなりました。ヘッセの考えを聞いてみたいとも思ったのかもしれません。ヘッセにはよくわからなかったのですかね。

以降、無理があるかもしれませんが、この2人についての印象や批評も書いてくれると嬉しいです。


2 ● hensyuushi
●25ポイント

http://www.gss.ucsb.edu/projects/hesse/works/kafka.html

これのことではないでしょうか。英訳されていますが。もともとは「城」や「審判」などに対する感想を読者から求められ、それに対する回答という形で書いたもののようです(Recently a young man...)。

肝心な部分は、” I have been one of Kafka’s readers since his earliest works ”以降です。

私の下手な訳で読むよりは直接読まれた方がいいでしょう(但しこのURLも英訳なのですが)。

参考になりましたでしょうか。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

参考になりました。

ヘッセはカフカのことを優れた小説家として好意的にとらえていたようですね。

”最も早い時期からの彼の読者だった。”

”彼の素晴らしい作品”

要約すると、読者からのカフカの作品についての疑問について、こんな感じに答えているんでしょうか。

”カフカは神学者でも哲学者でもなく、意味や解釈を求めるのは無意味である。

小説家は光景や夢を与えるものであり、それが全てであり、その解釈を試みるのは本質に近づくことはできないゲームに過ぎない。”

小説家は言葉の中に光景や夢を映し、それを読者に与えてくれるもの。

解釈は言葉の意味までで、作品自体の解釈などはできない。

作品が抽象的な構造を映しているのなら、その具象を求めるのは無意味であり、また、それら全てでもある。

小説家の生涯を研究し、その解釈を求めたとしても、それは作品に映されたものの一例に過ぎないのかもしれない。

作品はただそれだけのものとして、ありのままに求められなければならない。

そんなことを思いました。



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