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江戸時代の敵討ちのルールを教えてください。たしか、許可制だったとおもうのですが、どういう場合に敵討ちを認められて、その敵討ちの方法も厳密に決められていたのでしょうか?

●質問者: hatabou6
●カテゴリ:政治・社会 生活
✍キーワード:ルール 江戸時代
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● tkyktkyk
●50ポイント

http://hccweb1.bai.ne.jp/~hci59701/hima/katikatiyama.html

参考になりましたら。

> 時代も下り、江戸時代になると、

そのルールもかなり整備されて来ている。

まず肝心なのは、

仇討ちは、

武士だけに許された「武士の特権」だったと云う事。

それも、公儀、つまり、「幕府の許可」が必要だった。

この許可さえあれば、

仇を討っても罪に問われる事はなく、

「武士の鑑 (かがみ)」 と して誉められ、世間からも 讃 (たた ) え られる。

ですから、町人や百姓の仇討ちでは、

単なる「意趣返し」で、

情状は汲むにしても、基本的には、「私闘」として裁かれた。

又、「忠臣蔵」で有名な「赤穂事件」も、

浪士達は、確かに武士身分だけれども、

「公儀の許可」を得ていないのだから、

これも、「正式に認められた仇討ち」ではなく、犯罪として裁かれた。

基本的に、「仇討ち」は

「目下の者が目上の者の仇を討つ」モノです。

子が親の仇を、家来が主人の仇を、と云うふうに。

だから、

我が子を殺されたから、と 云って、親が仇討ちを申請は出来ない。

家来を殺されても、

その仇討ちに、

殿様が手勢を引き連れ、他家へ討ち入る、などと云う事も出来ない。

それと、大事なのは、

「重ね仇」や「又仇」と呼ばれる

「仇討ちの仇討ち」は禁止だった、と云う事。

つまり、仇討ちで親を討たれて、

その子が又、「仇討ち」しようとしても、これには許可が降りない。

こうしておく事で、「仇討ちの連鎖」を防いだ分けです。

ただ、例え、首尾よく許可は降りても

現実の仇討ちは、そう簡単では無かったようで、

一生かけて探し廻っても、仇が見つからない、と云う事も多かったらしい。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/5151/link_2113.html

自己責任と喧嘩両成敗

◎質問者からの返答

ふーむ。非常に参考になりました。


2 ● simo00
●50ポイント

http://busino-ikuji.hp.infoseek.co.jp/ada.htm

仇討ちとは

こちら参考になりますでしょうか。

◎質問者からの返答

おお、なかなか。

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