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武士の装束(武装)は、平安時代後記の八幡太郎義家などの黎明期には、大鎧などのかたちで完成していたように思います。
単純な武装から徐々に進化して言ったのならばともかく、かなり複雑なものがいきなり進化したのは解せません。
地方の荘園保護という、警察力程度の武装から進化したのならなおさらです。
坂上田村麻呂のころから進化したのかもしれませんが、あまり一貫性がないようですし、中央の軍事技術がどういう形で地方で武士の武装となったのかもはっきりしません。
この疑問に対する、意見や学説などを紹介しているページはないでしょうか。

●質問者: takeuchi_k
●カテゴリ:学習・教育 政治・社会
✍キーワード:きりしま 一貫性 保護 八幡太郎 地方
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 4/4件

▽最新の回答へ

1 ● hamao
●30ポイント

http://www.kobe-service.net/~kabuto/about/history.htm

兜の歴史と流れ

兜とに関してですが

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

株とはそれなりに順当に進化しているのですね。


2 ● tenida
●30ポイント

http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-46.html

武士の発生

ここに武士の発生に関説したサイトがあります。中央から地方と考えるのではなく、逆に地方から中央と考えてはどうでしょうか。

武装の発達は、当然、戦争に伴います。

弥生時代の全国的な戦争は、大和地方ではやがて収束し、中央政府が出来る。権力は武器を独占し、統制するから、その進化は相対的に遅れる。

一方、地方には、中央から遠いほど統制は及ばず、小規模な戦争も続く。従って、戦争技術も・武装も進化する。

つまり、武装の進化は、統一が早く進んだ中央より地方で進んだ。

http://www26.tok2.com/home/sasatuushin/kodainosoushingu/kodainos...

ここにあるように、弥生時代にはかなりの武装があります。この技術は帰化人に由来するかもしれません。

中央で、戦争が減り、武具に対する需要が減れば、その技術者は、需要のあるところ・戦争が日常的に繰り返されていた地方に行きます。当然、軍事技術も武装も地方で発達する。

平安時代後期に武士が、中央に登場したお陰で、いきなり進化したように見えるが、実は地方で千年以上かけて進化してきた、と考えたは如何。

◎質問者からの返答

この説明は非常によく分かります。

道徳もしくは身分としての武士が夷および殺生をわざとする職能民というのはそのとおりと思いますが、武具(道具)の進化には、断絶があるような気がします。

もっとも、源義家などの絵をイメージしていっているので、一般兵卒レベルでは、弥生から戦国まで大きな変化はなかったのかもしれませんが。


3 ● vegah
●30ポイント

http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/news/news7-4.html

横浜市歴史博物館 博物館NEWS

大鎧は古墳時代の挂甲が基礎になっていることがしるされています。

http://www.katchu.com/html/2201.html#a1

甲冑 [甲冑の歴史とその変遷 上古]

甲冑の変遷を古代から近代まで書いています。

http://www.toride.com/~sansui/materials/date/yogo001.html

武士考

簡単ですが、貴族社会とのかかわりから、高価な大鎧を揃えるに至ったと記しています。

◎質問者からの返答

なるほど。古墳時代の挂甲ですか。

納得しました。

朝鮮や中国、とくに満州らへんでは、4世紀当時同じような武装(挂甲)であったとして、その後日本独自の進化を遂げたといえるのかなと思います。

だとすると、朝鮮や中国ではどのように進化して言ったものなのかが気になりました。


4 ● CaT
●0ポイント

http://www.sia.go.jp/

社会保険庁

◎質問者からの返答

いたずらにしても、なぜ・・・?

好意的に、誤爆とします。

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