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ジョー・ミークがトーネードズ以外にプロデュースで関わっているCDがあったら教えてください(もちろんミーク自身のソロ以外)。

●質問者: gotanda6
●カテゴリ:書籍・音楽・映画
✍キーワード:CD ジョー・ミーク ソロ トーネード プロデュース
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 6/6件

▽最新の回答へ

1 ● Junco_junko
●19ポイント

http://kobe.cool.ne.jp/topgear/analogue/honey.htm

女性ドラマーが在籍したことで人気を博した、奇才ジョー・ミーク・プロデュースのハニーカムズのHave I The Right

だそうです。

(2番目のURLのvol1より抜粋)

http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/brit5.html

The British Invation

◎質問者からの返答

ありがとうございます。これは廃盤なのかな? それとも未CD化?


2 ● Penny
●19ポイント

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005YUGB/hatena-q-22

Amazon.co.jp: Have I the Right: The Very Best of the Honeycombs: The Honeycombs: 音楽

TSUTAYAで見つからなかったので、AMAZONで探しました。

The Honeycombs -ジョー・ミークがプロデュースしたバンドです。

◎質問者からの返答

あ、ありましたね。ありごとうございました。


3 ● shizukka
●18ポイント

http://www.tsimon.com/meek.htm

Joe Meek Page

Joe Meekがプロデュースした人たちです。

Lonnie Donegan

The Outlaws

Buddy Holly

The Honeycombs

TSUTAYAで見つけられませんでした。(^-^;

◎質問者からの返答

バディ・ホリーは直接てがけたわけではないですよねえ。


4 ● 1500曲を突破♪
●18ポイント

http://www.45-rpm.org.uk/dirh/honeycombs.htm

Honeycombs

(以下の文中の曲はいずれもTSUTAYAには登録されていませんでした)

ブリティッシュ最初のインディペンド・プロデューサー、本名ロバート・ジョージ・ミークは、50年代にロンドンに2つあったインディペンデント¥スタジオのひとつIBCでエンジニアとして業界スタート。

そこでフランキー・ヴォーンの「グリーン・ドア」を皮切りに、シャーリー・バッシー(後にビッグスター)、デニス・ローティス、リタ・ローザアン・シェルトン、ハリー・セイコム、ペトゥラ・ウラーク(のちにスター)らのシングルを制作。1956年以降はランズダウン・スタジオに移り、ロニー・ドネガンの初期のヒット「カムバーランド・ギャップ」や[鈍チュー・ロック・ミー・ダディ・オー」など数曲のほか、イギリス・ジャズ界の人気楽団、クリス・バーバーやハンフリー・ライエットン楽団をプロデュース。同時に作詞作曲もはじめ、当時のトップスター、トミー・スティールの「プット・ア・リング・オン・ハー・フィンガー」を書き、1960年に自分のスタジオを設立。北ロンドンのホロウェーに当時の金で3000ポンド分の中古機材を配備したトライデント・スタジオだ。当時のイギリスのポップス界はEMIとデッカとパイの3大メジャーの完全支配下にあった。ミークの作品は初年度はわずかにアメリカのヒット曲をカバーしたマイケル・コックスの「アンジェラ・ジョーンズ」が6月にようやくトップ10入りしただけだったが、翌年、ジョン・レイトンの「ジョニー・リメンバー・ミー」が大ヒット、この曲は日本でも「霧の中のジョニー」の題名でヒット、日本語のカバーも出たほどだという。レイトンは他に「ワイルド・マインド」がヒット、マイク・ベリーの「トリビュート・トゥ・バディ・ホリー」もヒットしたが、このベリーのバックバンド、アウトローズにいたのが、のちのディープ・パープルのギタリスト、リッチー・ブラックモアでありました。アウトローズはミークのプロダクションで多くのアーチストのスタジオ・ミュージシャンを務めている。

そうしたミークのセッション・ミュージシャンで作ったインストルメンタル・ナンバー「テルスター」がトウネードーズの名前で発表され、大ヒット、イギリス、アメリカでチャートのナンバーワンとなる。トーネードーズはほかに「ロボット」「グロバートロッター」「アイスクリームマン」もヒットしたが、時代はやがてビートルズなどマージー・ビートの時代になり、ミークは1963年にマイク・ベリーの「ドンチュー・シンク・イッツ・タイム」をヒット、さらに1965年には女性ドラマで話題になったハニーカムズの「ハヴ・アイ・ザ・ライト」「ザッツ・ザ・ウェー」「アイ・キャント・ストップ」などを手がけヒットさせている。このハニーカムズは来日もしている。以後、1966年はミークの作品はまるでヒットがなく、1967年2月3日に私生活上の悩みから猟銃で自殺。生きてたら、ことし90歳です。

2月3日にはわたしの個人ページで追悼特集をしましょう。

http://www.bbc.co.uk/music/profiles/meekjoe.shtml

BBC - Music - Artists

http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/

komasafarina’s ☆ Somethin’ Celebration Is Goin’ On

◎質問者からの返答

これはとても助かります。


5 ● 1500曲を突破♪
●18ポイント

ジョー・ミークがダメになった最初の兆候はゴードン・ミルズが発見して連れてきたあるロックンロール・シンガーを却下してしまったあたりからでしょうか。その年、このミークに却下されたシンガーはデッカから「イッツ・ノット・アンユージュアル」の大ヒットで華々しくデビュー、その後も大西洋の両岸で大ヒットを連発し、トム・ジョーンズとして広く世界に知られるようになりました。(それからこれはイギリスで言われていることでぼく自身はまだ未確認なのですが、さっき紹介したURL先のBBCのページにもあったので書いておきますが、スクリーミング・ロード・サッチの最初のバンド、サヴェージェズの1961年発表の最初のシングル「ティル・ザ・フォロイング・ナイトc/wグッド・ゴーリー・ミスモーリー」をプロデュースしたのがジョー・ミークだということです。

ミークが活躍した時代は、まだシングル盤文化の時代でしたので、なかなかCDアルバムとしてはコンピレーションに頼む以外は難しいですね。マージー・ビート時代のハニーカムズの2枚のアルバムはかつて日本盤もでているのですが、このあたりがいちばん入手しやすいかもしれません。また、サウンド的にも、いちばんもろミークという音にできあがっています。

Honeycombs 「Honeycomb」と「All Systems Go」の2枚。

ミークの死については、たしかに自殺ではあるのですが、実は殺人の後の自殺なんですね。借りていたフラットの大家の女性を射殺して後の自殺なのでした。

ほかにトーネードーズやアウトローズのベースだったハインツのソロ・シンガーとしてのデビュー曲「ドリームズ・ドゥー・カメ・トゥルー」

トーネードスがバックをつとめたビリー・デービスの「メリー・ゴー・ラウンド」

また、ジョー・ミークのエピソードとしてよく知られているのは、デーヴ・クラーク・ファイヴのサウンドを特徴づけているあのバスドラの使用法がミークのアドバイスによるものだったということです。

以上、こんなにまとめてジョー・ミークのことが書いてあるのは、あなたの質問に答えて書いたわたしのこの回答が(いまのところは)世界でいちばん詳しいネット上のジョー・ミークについてのものでしょう!!! 日本語がわからない人たちはかわいそうですね(笑い)

◎質問者からの返答

いや、ホントそう思います。ありがとうございます。


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