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リンク先の「いわし」に佐藤春夫が昭和33年(1958)、66歳のときにに発表した『わんぱく時代』という小説の出版予告文を載せました。

リンク先→http://www.hatena.ne.jp/iwashi?mode=treedetail&thread=0000011622

質問文に引用するには長すぎるので、こうしたかたちにしましたが、ぜひリンク先の文章を読んで、佐藤春夫の小説観と対比して回答者さん自身の小説観について論じてください。URLは、回答者さんの独自の小説観を展開していただいた場合は必須ではありません。

むしろ、他の小説家や文芸評論家の小説観を引用するのではなく、回答者さん自身の小説観を展開していただけると嬉しいです。

なお、前回も同様の質問をしたときに、「いわし」へ回答を書き込んでいただいたユーザーさんがいらっしゃいましたが、今回はおやめください。あくまで、質問に対する回答の形で御願いします。

●質問者: So-Shiro
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
✍キーワード:URL いわし わんぱく ユーザー リンク
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 4/4件

▽最新の回答へ

1 ● ojizosama
●25ポイント

http://www.hatena.ne.jp/

はてな

佐藤春夫は駒を出すのにひょうたんを必要としたわけですが、別にひょうたんは小説でなくてもいい(少なくとも、この文章からは必然性が読み取れない)のではないでしょうか。ただし、佐藤春夫にとってはその仕掛けからしか駒を出すことができない、この文章はそういう弁明であると読めます。

しかしひっくり返してみると、小説というのは容易(悪く言えば安易)に駒を出すことのできる、なぜならば小説では嘘をつくことが許されているからだ、という見方も出来ます。駒=真実を表現するのに、突き詰めるのではなくそれ以外のことをつらつら書き連ねることで到達できるのだとすれば、それ以外の芸術科学の真理到達の試みに比して、小説はだいぶ楽をしているのではないでしょうか?

そんなわけで、この文章から引き出せる私の小説観は「真実を描くにたやすく、読み取るに困難なのが小説だ」というところに落ち着きます。

◎質問者からの返答

早々と回答ありがとうございます。昼休み中にオープンできるとは思っていませんでした。

>「真実を描くにたやすく、読み取るに困難なのが小説だ」

なるほど、すると、「読み取るにたやすく、真実を描くに困難なもの」ってあるんでしょうか?


2 ● ThomasFeline
●5ポイント

http://www.geocities.co.jp/Playtown/5749/haruo_now.html

asin:4653033471

定本佐藤春夫全集 (別巻1)

やはり、ご本人の全集を読むことが早道と思いますが・・・・

◎質問者からの返答

ま、そりゃそうなんですが、今回はあくまで自論を展開してもらえませんか?


3 ● sougetsu
●25ポイント

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4434009389/hatena-q-22

Amazon.co.jp: ファッキンブルーフィルム: 藤森 直子: 本

「虚構はわたくしにとっての真実を書くためのかくれ蓑である。」とありましたが、

小説(fiction)って、その逆なんだと思っていました。

荒唐無稽な話(fiction)ほど、ディテールにはリアリティが必要なんだと...

◎質問者からの返答

>ファッキンブルーフィルム

こりゃまた、コアな・・・

>荒唐無稽な話(fiction)ほど、ディテールにはリアリティが必要なんだ

そうですよねぇ。ひとつの別世界を作り上げるくらいの力量がないと、読者の心を動かす小説など書けないですよね。


4 ● lotus
●25ポイント

http://blog.b-notes.net/archives/8908792.html

山田詠美の『内面のノンフィクション』を思い出しました。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0847.html

松岡正剛の千夜千冊『鹽壷の匙』車谷長吉

車谷長吉の「私小説」の新しさについても↑以外のどこかで昔読んだような気がしますが、思い出せない。

個人的には、つまり「内面のノンフィクション」それが創作物全般なのではないかと思ったりするわけです。それはもちろん小説というある意味わかりやすい形態であっても同様で、それが私小説であってもとかなんとか言い出すと、客観と主観といったたぐいの話にまで無駄に広がりかねないので、このへんで。

◎質問者からの返答

>「内面のノンフィクション」それが創作物全般なのではないか

そうなのかもしれません。

ただ、それが他の人に共感されないことにはモノローグにすぎないわけで、つながりを求める社会的動物であるわれわれは、それを他の人々に語りたいのではないか、それが小説というジャンルの始まりなのかもしれません。史実を物語る叙事詩から一歩進んだかたちの。

小説論については、別に質問を組み立てた方がいいようなので、今回はここで締めます。

回答者のみなさま、ありがとうございました。

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