人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

国語の授業で、よく教科書の解説をする前に生徒に教科書を朗読させたりしますが、そのような方法は良くないのではないでしょうか?生徒たちが文学的作者の意図や感情を理解せぬままに、朗読してしまうとなると、ただ字面だけをずらずらと目で追っているのにすぎないのではないでしょうか。これについて具体的に、高いレベルまで踏み込んだご意見をお聞かせください。

●質問者: kawasakijudy
●カテゴリ:学習・教育 政治・社会
✍キーワード:レベル 国語 意図 意見 感情
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 8/8件

▽最新の回答へ

1 ● sami624
●10ポイント

http://www.visionlf.com/Ondoku.htm

404 error

音読をすることによって脳(学習活動の要となる前頭前野)が活性化するということが川島先生らの研究で明らかにされたのです。つまり、音読することで、読み上げた内容が頭に残りやすくなるだけでなく、記憶力や集中力などが高まり、学習効果がさらに高まるということなのです。

→生物学的というか医学的に音読の効果が立証されています。単に声を出しているのではなく、音読による集中力等あらゆる面の良さが医学的に立証されています。

作者の意図というのは集中力の高まりにより得られるものですから、音読による集中力の高まりから効果的に作者の意図は把握されます。

何でもそうですが、趣旨を理解しないままに行うものには、効果が現れないのです。

◎質問者からの返答

ありがとうございました。

朗読により集中力を高める効果があるということについて詳しく述べていただき、よく判りました。

教科書を解説した後に、朗読した方がいいと思うのですが、これに関しての意見もお待ちしております。国語に関与させた音読の関係も知りたいです。


2 ● TomCat
●40ポイント

http://www.nhk.or.jp/radiodir/shou/shinya/shin.html

番組紹介

先月あたりでしたか、NHKの深夜放送で、

朗読というものを通して文学を語る、

という企画がありました。


作品を改めて朗読で聞いた新鮮味を作家の家族が語ったり、

あるいは、創作にあたっては作品を必ず誰かに朗読してもらい、

読者の頭の中に響く心の声を把握しながら推敲をする、

といった作家自身の創作の裏話もあり、

大変興味深いものでした。


本来朗読というものはそういう、

演劇とは違った読書時の「心の声」を音声で表すものなんですよね。


そういう位置づけで朗読指導を行っていくならば、

読み手が素人のイモ朗読でも、

聞き手は文章を目で追いながら自分の「心の声」で聞きますから、

作品の理解や新たな発見などに大変効果的なものなんです。


問題は、ただ儀礼的に読み合わせる。

こうした朗読の画一的な用い方にあります。


朗読は、単なる読み合わせではないんです。

聞き手が自分の心の声として消化していく。

聞き手全員が語り手の意識で参加していく。

ここが大切なんです。


ご説の通り、ただの読み合わせとしての意味合いなら、

各自黙読でもさせた方が、考える時間が取れる分、

効果的な指導と言うことが出来るでしょう。


前述の深夜放送では、実際に朗読を担当したアナウンサーから、

演劇と朗読の違いについての、事細かな生の声もありました。


やはり朗読は、作家の立場からも、アナウンサーからの立場からも、

いかに聞き手の「心の声」を引き出して行くか、

聞き手が読み手の立場となって自覚的感覚で作品に引き込まれていくか、

といったことがポイントであるという結論のようでした。


朗読指導のポイントも、ここにあることは言うまでもないでしょう。

重ねますが、ただの読み合わせの位置づけしかないならば、

黙読の時間を与えた方が数段マシ、

ということになってくるかと思われます。

◎質問者からの返答

はい。私もそのように思います。何の知識もない状態で、「読め」と言われて読んだところで、何かが得られるとは到底思えないのです。心構えというか、前もって踏み込んだ知識がないと、「朗読」ということの意味は底抜けの努力にしか感じられないのです。とても良い参考になりました。


3 ● marumi
●5ポイント

http://book.asahi.com/

asahi.com:朝日新聞社の書評サイト「アサヒ・コムBOOK」

具体的に、高いレベルまで踏み込んだ意見にはならないと思いますが、生徒たちが文学的作者の意図や感情を理解せぬままに、朗読してしまうとなると、ただ字面だけをずらずらととありますが、最初はそれでいいと思います。生徒に読ませて読みながら解説を自分自身で理解していくほうが大切ではないでしょうか?

◎質問者からの返答

はい。それは大切です。でも、自分自身で理解することは、独断と偏見の領域です。その後に、先生らが教科書的な説明や解説をするわけですよね。すると、生徒は色々と納得し、学ぶことができるのだとそう思うのですが、この「無駄」な努力といいますか、この過程はたいして必要性があるものかどうか、ということなのです。つまり、結論的に、黒板に書く内容を察知した後に、朗読した方が、遥かに効率的なのではないか、とそのように考えるのです。斎藤孝氏の本の中で、「国語は体育である」といったフレーズがあり、この場合、体育で余計な運動は身体を疲れさせてしまうので、できるだけ効率的にやらせたい、とそう思うのです。身体をほぐすのとは別次元の問題だと思うのです。

また、これはmarumiさんのコメントとは関係ないのですが、予習をしていない生徒、予習をする生徒、この二方にわかれた場合、教育的な立場における視点に於て、どちらに授業を合わせるか、というと、「予習済みの生徒」であり、授業は予習を前提に行われるものであると思うのです。したがって、効率的にできるだけ生徒主体の、生徒のためになる、無駄なムーヴメントのない授業の方法論があるはずなのです。


4 ● hiroyukiarita
●10ポイント

http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html?bango=4-18-64970...

明治図書ONLINE>ブックストア>書籍>国語>授業への挑戦135 子供が創る「音読・朗読・群読」の学習 低学年編

黙読より朗読の方がいいと思います。

これで、授業が終わったとか、出てくる漢字だけ学んだという、印象を児童や学生に与えてはいけないと思います。

その後、個人でもグループでも話し合わせて、作者の書きたかったことなどを気づかさせる授業にすればいいと思います。

教科書は、文学のエッセンスでありますが、読めばいいと言うわけではないと思います。

◎質問者からの返答

教科書を読む作業は重要なことなのです。それは多くの医学的、乃至、科学的な分野に於て、既に証明済みであり、まさに1の方の意見がそれであります。朗読はもちろん黙読より何倍も効果的です。その通りだと思います。黙読でも朗読でも「読む」作業をする以上、そうなのですが、結局、一つの次元に止揚される過程に於て、無駄な動きを可能なくらい省いてやりたいのです。個人やグループで話し合うのはとても効果的なやり方です。ただ、ある知識を朗読の前に生徒の脳にインプットさせた上で、朗読をした方が、かなり効率的なのではないでしょうか?この何も持っていない状態でさせられる、意味不明な朗読の根拠がわからないのです。予習で既にわかりきっていることでありますし、国語の授業に対して真面目な姿勢で望んでいる生徒というのは、相当暇をもてあましていると思うのです。高校の授業ともなり、この程度の指導ではいけないとそう感じるのです。


5 ● シュうぇッチマン
●40ポイント

http://www.hatena.ne.jp/S

国語教師です。

経験に基づいて私見を述べます。


結論からいうと、質問者の方と同意見です。つまり、あまり意味がない。


大切なことは、「朗読」の定義です。

私の考えでは、「朗読」は内容や音声効果などを含めた高度な理解が前提となります。

落語や演劇の稽古と同じで、相当な技能が要求されます。


また朗読の聞き手は、聞くことに集中し、ひたすら耳たらんとするので、感動が生まれます。


ところが、初読段階での音読=棒読みでは、そうした効果は期待できません。

読み手も下手ですし、聞き手も聞くことに集中できないからです。

むしろ黙読、もしくは教授者が範読するのを、学習者は教科書を伏せ黙想しながら聞くというほうがはるかに効果的だと思います。


ただし、教育現場からの基本的な意見としていわせてもらえば、漢字の読みを確認させるという目的もありますし、昨今は単位数=時間が少ないので、一回の通読で間に合わせてしまう事情があるのも事実です。


ただ声に出せばいいというものではないというご指摘はとても大切なものだと思います。

◎質問者からの返答

はい、その通りです。漢字の読み方や、リズム(文節などの切れ目)を理解させたり、どの文章に重点をおくか、など音読一つで全て理解可能だと思います。漢文の授業で、50分の授業で、先生が7回ぐらい永遠と読ませられた記憶がございます。古典の授業では大事なことだと思うのですが、現代文にあたってはそれよりも、内容に踏み込んだ考え方が重要なので、朗読の必要性を感じてもらうにはどうすればいいのか、という強い考えがあります。単位数が少ないことも、確かにShouldgoさんの言うように、大きな制限としてあるのだと思います。どのような授業が効率的なのでしょうか、生徒を飽きさせないのも教師の与えられた技量にかかっていると思うので。雰囲気を変えるのも教師の力ですし。


1-5件表示/8件
4.前の5件|次5件6.
関連質問


●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ