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イギリスがネパールとブータンをインドと統合しなかったのはなぜですか?(参考文献必須)

●質問者: hkt_o
●カテゴリ:政治・社会
✍キーワード:イギリス インド ネパール ブータン 統合
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● TomCat
●160ポイント

http://www.lirung.com/infofile1/file009gurk/

ゴルカ(グルカ)兵の歴史

まずネパールですが、

1814年に勃発したネパール・イギリス戦争(ゴルカ戦争)

は思いの外長期戦の様相となり、

清の参戦を避ける意味もあって翌々年講和条約締結。


その後に東インド会社が雇い入れたのが

「グルカ」兵です。


その後、1857年、イギリス軍指揮下のインド軍兵士が反乱。

ここでネパール軍はイギリスを支援。

この貢献によりイギリスはネパールに対して

タライ地方の領有権を保証するに至りました。


以後、反英感情の強いインドの統治には

ネパールの支援が欠かせないものとなり、

ネパールは独立主権を確保し続けるに至ります。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~india/home60-8.htm

home60-8

ブータンについては、

1826年のイギリスのアッサム地方領有を経て

1865年にドゥアール地方をめぐってブータン戦争が勃発。

この終結に伴う「シンチュラ条約」により

ブータンは極めて弱い立場に追い込まれました。


それでも1907年にトンサの領主が王権を確立して国家を統一。

独立主権を維持していきますが、

1910年、シンチュラ条約の改訂版と言える

プナカ条約を締結させられるに至り、

外交を全面的にイギリスに委ねる半独立状態に後退させられます。


インド独立後の1949年、

プナカ条約のさらなる改訂版といえる「インド・ブータン条約」が成立。

一応独立主権を回復した形にはなっていますが、

実態はインドとの特殊な関係がそのまま継続されています。


したがって、こちらはネパールの主権維持の経過とは異なり、

完全に独立が果たされているとは

言い難いものがあると言うことが出来ます。

◎質問者からの返答

なるほど。そもそもインドは実態として小国家の集合体だったはずで、インドが国家としての一体感を醸成したのは皮肉にもイギリスの占領下で部族と土地の癒着関係が崩された結果であった、と認識しています。であれば、有力な地方政権であったとはいえネパールとブータンだけが今日に至るまでインドに組み込まれずにきた理由がいまひとつわからなかったのですけれども、おかげさまでスッキリしました。

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