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【マルクス主義批評】
”ヘゲモニーは、あらかじめ構成された行為者たちのあいだでの『利害』の合理主義的一致だけではなく、
社会的行為者たちのアイデンティティそのものの構築を前提するからである”

”ヘゲモニーは、敵対する勢力が交差する場において、まだ固定されていない要素を
部分的に固定した契機へと分節化することによって、
言説または言説のまとまりを社会的な指向と行動の支配的な地平にまで
拡大することであると定義することができる”

上記2つの文を
・身近な具体例を用いて
・専門用語を使わずに
噛み砕いた平易な言い方に直して教えてください。

※どちらか片方のみでもかまいません
※URLはダミーで結構です

明朝までオープンしておりますので
どうぞよろしくお願いいたします。

●質問者: euthanasia
●カテゴリ:学習・教育 政治・社会
✍キーワード:あい アイデンティティ オープン ダミー ヘゲモニー
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 5/5件

▽最新の回答へ

1 ● 1500曲を突破♪
●25ポイント

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A...

(まず、後者の文章からいきます)

(これでも、わかりにくければ、まず( )の中を無視して読んでみてください)


たとえば、ある事柄をめぐって、いくつかの勢力がその解決策や対策、処遇などで争っているとします。その場合、その「(ある)事柄」が(敵対する勢力が)「交差する場」になります。そして(その事柄をめぐって敵対的に争っているのですから)それぞれの勢力にとって、その事柄(についての解釈なり、理解なり、認識なり、とらえ方)は大きく見て、それぞれまちまちになっているわけです。それがつまり「まだ固定されていない要素」ということになります。しかし、(そうした、まちまちの見方、考え方にしろ)、ある事柄ということにおいては共通しており、互いに同じ問題をめぐって争っていることは認めているわけです。それでは、「どういうところが同じだろうか?」とその事柄を細かく見ていきます。その細かく見ていくことが「分節化」ということで、すでにどの勢力にとっても現時点でわかりきったことになっている要素(それは当然、事柄全体の一部なわけですから、それ)は「部分的に固定した」ものと考えられます。そして、その部分的に固定したことどもが(その「ある事実」を形成する働きを起こしているわけですから、それは(そうした働きを引き起こして、そうした事柄=事象=現象=問題を形成する)「契機」となっているわけです。

ここまではよろしいですか、そして(それぞれの勢力間の争いの中で、どの勢力にとっても認めざるをない共通認識に基づいて)自分たちの主張をすべての人たち、すべての勢力に向けてそれを言葉によって呈示します。それが「言説」または「言説のかたまり」です。そのようにして、いろんな勢力がいろんな主張をして今後の動向や解決を争っているときに(これまでのプロセスを経た)自分たちの主張で(その問題にかかわるすべての人たちの意見や考えや迷いや躊躇や優柔不断や反対を言い負かしたり、改めさせたりして)世の中をリードして、(どうすべきかという問題解決のための行動の指針や具体的な方針の面でも)自分たちの主張や言い分、解決のために取るべき行動方針やプログラムを広げていこうとすること。それが「社会的な指向と行動の支配的な地平にまで拡大すること」ということです。

そして、最後になってしまいましたが、ご存知のとおり「ヘゲモニー」とは通常「主導権」という言葉で言われているものです。

以上でいかがでしょうか?


ハァー、疲れたヘトヘトです。もうひとつのはまた明朝までに、あらためて。

http://www.infoseaz.com/modules/amazon/index.php/books/action=p/...

これは(ものの考え方についての考え方を記述することについて記述することについてのすばらしい記述からなる(笑い))すばらしい本です。

◎質問者からの返答

とっても丁寧に回答してくださってありがとうございます!嬉し泣きしそうです(TДT)

以下のような感じで理解してしまってよろしいでしょうか?

■高層階マンションを建設したい会社とそれに反対する地域住民

⇒敵対する2つの勢力

■高層階マンションの建設によって…

日当たりが悪くなって困る、工事がうるさい

地元の小学校の生徒数を増やすことができる、 地域に若い人を呼び込める

⇒まだ固定されていない要素

■業者と地元住民の話し合い

⇒まだ固定されていない要素の分節化

■住民側の反対署名集め・ビラ配り

業者側の地元住民向け説明会開催

⇒それぞれの主張の言説化

■建設階数の折衷をしたり、司法に介入してもらいながら

マンション建設を進めようとする

⇒社会的な指向と行動の支配的な地平にまで拡大すること

マルクス主義や現代思想にまったく予備知識のない人に対して

説明しなければならないので、なるべく身近な具体例と

結びつけた発表ができれば…と思っています。


2 ● jo_30
●25ポイント

http://www.jttk.zaq.ne.jp/babrs808/paper/2001/hirano2001.html

ヘゲモニーについて

「ヘゲモニーとは?」

『支配者が被支配者に影響を及ぼして内面的な合意を得ること』です。しばしば「権力」「覇権」などと訳されたりしますが、外在的に規定されている権利や役職などによる力は「ヘゲモニー」ではない。


たとえば「なんとなくグループの中心にいる人」「なんとなくこのグループではこうしようという暗黙の了解」はヘゲモニーですが、「部長が職権で命令する」はヘゲモニーではない。つまりヘゲモニーとは現実そのものではなく一種の神話なのです。抜け出すことがひどく難しい神話。


以上をふまえて一つ目。

http://homepage3.nifty.com/civilsocietyforum/page049.html

アルベルト・メルッチ『現代に生きる遊牧民:新しい公共空間の創出に向けて』

『ヘゲモニーは、あらかじめ構成された行為者たちのあいだでの『利害』の合理主義的一致だけではなく、社会的行為者たちのアイデンティティそのものの構築を前提するからである』


ある旗印(たとえば国旗)は、単にみんなの利害が共通しているときにだけ象徴になる(政治・経済の次元)のではなく、むしろ積極的に人々の心のよりどころになるものでもある(理念・価値観の次元)のですよ、ということ。


二つ目。

http://homepage3.nifty.com/civilsocietyforum/page048.html

シャンタル・ムフ『政治的なるものの復権』

『ヘゲモニーは、敵対する勢力が交差する場において、まだ固定されていない要素を部分的に固定した契機へと分節化することによって、言説または言説のまとまりを社会的な指向と行動の支配的な地平にまで拡大することであると定義することができる』


(中心となる)権力が生まれるとき、そこに何が起こっているのか?

敵対する勢力があって、まだどちらとも決めかねている人が多くいるとき、「○○は敵」「△△は味方」と言葉でそれを分けようとする。そのとき言葉が行動を決定するようになりそこに中心となるものが生まれてくる。


あらかじめ何か中心があって人々がそこに集まるのではない。むしろ、あいまいな人々を言葉で分けるという作業によってそれ以前はなかった「中心」が生まれてくるのである。


「中心(権力)」とはそのように、『敵か味方かを言語化することで、言葉が行動を規定した結果生まれるもの』と定義することができる、ということ。


……大体こんな感じかと思います。

より詳しい人のフォローに期待しつつ。

◎質問者からの返答

詳しい回答ありがとうございます!

?先生がのび太に対して「廊下に立っとれ!」と言う⇒ヘゲモニーではない

ジャイアンがのび太に対して「目でピーナッツを噛め」と言う⇒ヘゲモニー ?

?国旗のたとえ、とっても分かり易いです!

自衛隊のポケットの刺繍⇒政治的な象徴としての国旗

日本代表戦の応援の時に使われるフラッグ⇒集団のアイデンティティの還元先としての国旗

?ええと、申し訳ありません…いまいちよく飲み込めませんでしたorz

***

☆この質問をするに至った訳。

今まで現代思想の「げ」の字もなかったゼミに所属しているのですが、

今年に入って先生が唐突に「現代思想をかじってみよう」と

言い出し、先週から『批評理論』(丹治愛著・講談社)の分担講読がスタートしました。

私の学校には現代思想に関する科目はひとつも開設されていません。

なので、ゼミ生全員が現代思想についてほとんど何もわからない状態です。

教科書を読んでも、専門用語の意味がわからず脳幹フリーズしてしまいます。

難しい言葉を受け入れやすい言葉に言い換えたり、

概念を身近なたとえ話に置き換えたりして、

どうにかマルクス主義批評の大まかな流れを伝えたいのです。

(先ほどからコメントが変な具体例ばかりで申し訳ありません)

>回答してくださった皆様

お力添えをいただけて本当にうれしいです。

まだまだ朝までオープンしておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。


3 ● jouno
●25ポイント

http://www.fujinaga.org/r_and_b_politics/introduction.htm

?A????P???`??????

http://www7.plala.or.jp/routes/note/text1.html


ラクラウとムフは、アーティキュレーションをヘゲモニーと関連づけながら、次のように規定している。すなわち、アーティキュレーションは、ある状態において二つの異なる社会的な諸要素を区分けし、かつ結びつける言説的実践である。このような諸要素が結びついたものが言説と呼ばれる。そして、言説の中で接合されているものが「契機」と呼ばれ、言説的に接合されていないものの全てが「要素」と呼ばれる。


ヘゲモニーは、一方におけるむきだしの軍事的な非正当的支配、他方における単なる文化・経済的な非政治的支配とは異なり、説得、報酬の供与、価値の指導といった非強制的影響力によって服従者の自発的同意・同調を調達するような、正当化の政治実践を用いる。ただし正当な支配といっても、M・ウェーバーが分類した合法的支配・伝統的支配・カリスマ的支配という三つの正当的支配とは異なる。第一に、ウェーバーの「支配」は権威をもった命令権力と服従義務の関係であるが、ヘゲモニーはそのような支配を中心におきつつも、その周囲に無自覚的な影響、物質的利害関心、教育?学習関係をはりめぐらすことで、間接的だが構造的な(諸個人の動機や個々の状況によっては説明できないような)支配をする。第二に、ヘゲモニーの正当性は、支配的と呼ばれる組織体が、価値の普遍化機能と秩序の安定化作用をもつことにあり、優れているから優れているという自己準拠的な性格をもつ。この自己準拠は、従うことの正当性よりもその利便性、強制力ではなく「?したい」と思わせる力(嗜好に対する影響力)によって、通常隠蔽されている。第三に、ヘゲモニーは、例えば経済や文化の影響力の背後に政治実践(さらには軍事力)を読みとったり、政治実践の背後に倫理的指導や軍事力を読みとるなど、権力作用を領域複合的に帰属させる。これによって支配の全体性と象徴的な支配組織がイメージされる点にヘゲモニーの特徴がある。この特徴は、法・行政に限定された合法的支配とは異なり、また正当性を神聖なものへ準拠させる伝統的支配やカリスマ的支配とも異なる。


----ここからです。


ひとつめの文章『ヘゲモニーは、あらかじめ構成された行為者たちのあいだでの『利害』の合理主義的一致だけではなく、社会的行為者たちのアイデンティティそのものの構築を前提するからである』について。


私にとって何が得であるかということは、私が自分を何者であると考えているかから独立ではありません。この点で、素朴な「快・不快」とは異なります。そして、私が自分を何者であると考えるか、という理解は、社会によって与えられる枠組みによって決まります。アイデンティティの多くは、自由に選択できるような性質のものではなく、無意識のうちにすでに獲得してしまっていることがほとんどです。そのため、社会は、特定のヘゲモニーにとって有利であるような選択・欲望・決定を、自発的に抱くようなアイデンティティを、そのメンバーに供給する、ということがあるわけです。一旦形成されたアイデンティティは、自由で自発的に選択するのですが、そのような自由は、まさしく、結果としてヘゲモニー的支配を支持し維持するような行為が選択されることを、見越して、与えられているわけです。いいかえれば、このような形での、間接的な支配のことを、ヘゲモニーと呼ぶわけです。


そのため、自らが何者であるか、自らの利害とは何か、ということを、与えられたものを超えて、自らのために再定義すること、そうしたどのようなアイデンティティを引きうけるかという「アイデンティティの政治」という戦いが重要になってきます。


ふたつめの文章『ヘゲモニーは、敵対する勢力が交差する場において、まだ固定されていない要素を部分的に固定した契機へと分節化することによって、言説または言説のまとまりを社会的な指向と行動の支配的な地平にまで拡大することであると定義することができる』について。


対象をどう捉えるかという枠組み、対象を何と関係付けるかというリンケージ、そもそもこの争いの場で、いったい何が問題にすべき対象なのかということの画定、こうしたことはしばしば、議論の前段階とみなされ、暗黙のうちに想定されますが、しかし、これらの決定こそが、そのうえで行われる議論の帰趨を決定的に規制している、とみなすことができます。つまり、こうした前提の上でどのような議論が行われ、どのような結論が出ようと、まさしく、暗黙のこうした対象の位置づけと、対象の画定の操作そのものによって、あらかじめ排除されるものがあり、それこそが、ヘゲモニー的支配にとって脅威的なものである、ということです。


たとえば、ある不安定な、位置づけのわからない問題を、引きこもりと名づけ、病と呼ぶと、そのことによって、この「まだ固定されていない要素」は、ほかのさまざまな病との関係を獲得し、すでに安定し、固定した位置づけ、価値評価を持つ枠組みのなかに取り込まれます。そうすると、そこで行われる真摯な医学的分析の語りは、それがどのような語りであろうとこの枠組みの内部での語りである限りで、政治的効果としては、まさしく、ある不安定な要素を、大きなコンテキストのなかで、すでに作動している社会的で政治的な力のシステム、作用のなかに組み込むことになります。つまり、たとえば、病者の排除の大きな政治的動向の中で排除側に「動員」され、それがまたはねかえって、ひきこもりへ不利な効果をもたらす、というような。


そしてこの例で言えば、まさしく病というアイデンティティを供給された引きこもりは直ることを欲望し、合理的に自己の利益として選択するでしょうが、そのことは、この与えられたアイデンティティによってあらかじめ規定されている、ということが、第一の文章との関係では、いえます。もちろん、これは例なので、引きこもりがどうこうという特定の立場は僕はとってないですが。


http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/My%20Essay%20on%20Defini...

橋本努「定義集」

かんたんにいえばヘゲモニーという考え方は、権威を認めたり強制されたからではなく、それが、自分にとって得になるし、優れたやりかたでもあるとおもう、と、「自発的に思わせる」ことで支持されるやりかたのことです。

http://www7.plala.or.jp/routes/note/text1.html

専門用語が多いですが、問題としてはこれが一番近い気がします。

http://www.mfj.gr.jp/colloque_9910/resume/Kasuya.html

KASUYA Keisuke

そこで重要になってくるのは、ひとが物事を決めたり考えたりするとき、その結論は、物事の最初の捉え方によって、かなり限定されている、という、言語学や哲学に近い領域の問題です。

http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/02f3/report/cs-yokokawa....

2002年度秋学期小熊研究会?T最終レポート

かんたんにさらにいうと、強制されただけではどんな支配も長続きしない、しかしマルクス主義の立場から言えば明らかに被支配者は不利益をこうむっている。だから、問題は、みずからの不利益を、好んで求めるようにさせるメカニズムである、ということです。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

なんとなくつかめてきました。


4 ● YOW
●25ポイント

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/butler.htm

Butler, Judith?m?W???f?B?X?E?o?g???[]

(これは前説)

ジュディス・バトラーというフェミニズムの論客は「(イデオロギーの)“一体化の解体”という誤認」というものについて語っていました。

「イデオロギーの一体化を解体し乗り越える」というような「イデオロギーとは適当な距離を保つ立場」の主体性の維持こそ、その抗ってるイデオロギー自体のダイナミクスの所産にすぎないということを指摘しております。 (前説、以上)


http://www5d.biglobe.ne.jp/~juliet_5/a-column/column/main/200408...

【一つめについて】

(これも前説)

いかなる公の場での体面や構成員としての役目も、単なる「ふりをしてるだけ」で済むのではなくて、

象徴的秩序の中で一定の居場所を得ることであり、いかなる人間にとっても

社会的にそれが真の位置となり*、またその社会的存在となる前提に「真の主体性や個人」なるものが生来備わっている、などというものではない、社会にある以上何人もこれを逃れることはできない

というのがとりあえず現代思想の到達点である、とわたしは理解しております。

*ex. 女性として 子を持つ親として 日本人として はてなユーザーとして 引き蘢り男性として etc.

(以上が一つめ前説)


(ここから本回答。。)

わたしからは新撰組で説明しましょう。

去年の大河「新撰組!」御覧になってましたか? 御覧になってない? それでもなるべく伝わるように書きます。


新撰組においてその存続のために、何人もの構成員が切腹させられてきました。新撰組ご法度に違反したとかなんとか。

大河ドラマではいずれも、今日腹を召そうとする者は皆から惜しまれ、しかしやむにやまれず死に赴かねばならないという状景を「切なく」描きあげ、高視聴率をとりました。

仲間の皆が「あなたのような純粋な良い人が大して悪いこともしてないのに、死ななくてはならないとは」と泣いて惜しむのに、

なぜあえて次々と仲間を大義のために詰め腹を切らせるはめになったのでしょうか?

それはどこかで自分たちのアイデンティティにとって大切な「大義さまがみている」からです。

彼等の大義(武士道など)に対する確信は本当に明確だったのかどうか、かえっていぶかしいとわたしは考えさせられました。

大義のために自己犠牲することで、この大義が本当に確固としてあるもので価値あるものにするため、まさに身をもって「事実として」その証明しなければならない、

その解決策であったのではないでしょうか。

神のような「大義」という象徴的な何か、に対して自分たちの「心のこもった熱意」を形にしてデモンストレーションしなければならなかったのです。

そうしなければこの大義は「真に価値ある大切なもの」という確認が自分たちの中でもできなくなってしまうからです。

http://mmmarilynmanson.web.infoseek.co.jp/index.htm

MM Marilyn Manson

【二つめについて】

上のURLはある程度関連したことで。


探偵推理ものにおいて、(これもちょっと前説っぽく)

探偵たちは殺人現場に存在するあらゆる物や物同士の位置関係の中から「意味のある」ものとして捉えるようつとめます。

ところがその一つ一つは、もともとごく当たり前の生活品であり何の変哲も無いものでしかありません。あったその場がたまたま「殺人が行われた場」に転じたことで、何の変哲もない物どもが「意味あるもの」として固定され工作者の意図を「語らせて」しまうのです。

例えば千羽づる。鶴の折り紙自体何の変哲もない物ですが、被爆した少女が闘病の死の間際まで願を懸けて折っていたという物語が伝わり、ただの鶴の折り紙に恒久平和の象徴といった壮大な「負荷」がかけられることになりました。

あるいはナチスの鍵十字の紋章など。鍵十字自体は何の変哲もないただの模様記号ですが、ナチスにまつわるあらゆる恐怖性に固定した物として「意味を見い出され」続けます。

さらにもしくは、広く世間に潜在的な「不安」があってそのはけ口として「脅威をもたらす者」を具体的に実体化したいと皆が潜在的に求めたことによる社会現象があります。

古くは西洋の魔女狩りしかり。魔女とされた者は何の変哲もないただの体のあざでも「教会への悪意」の確証を見い出されたものでした。


必ずしも「鶴の折り紙」自体は「左翼市民運動固有のもの」ではないし、

鍵十字の形そのものはもともと必ずしも「ファシズム固有のもの」ではなかったし、

何かの体の特徴が「反キリスト教に固有の特徴」であるわけない。

これらは一種のおのれの側での「ファンタジー」の結果に過ぎず、政治的イデオロギーにおいて「○○イズム的特徴」と目される要素や言葉自体に、過度な意味の負荷を注ぎこむことに信念燃やすのは、本末転倒ナンセンスなことです。

◎質問者からの返答

ありがとうございます!

具体例を取り入れてくださって助かりました^^


5 ● 1500曲を突破♪
●25ポイント

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003412419/250-5540670-...

Amazon.co.jp: ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説: 本: カール・マルクス,城塚 登

まず、最初にちょっと長い前置きをしなくてはなりませんので、そこんとこよろしくお付き合いください。

「マルクス主義」というのは「プロレタリアの独裁」による「共産主義社会」の実現を目指すものです。そのことを頭に入れておいてください。そして(ここがいささかトリックキーなのですが)「プロレタリア」というのは、そうした(実現されるべき未来の)共産主義社会を担うことになるその「実体」、その「主体」であって、いま現実の存在としては(いま/ここ)には「プロレタリア」は存在していません。ただの貧乏でくたびれた労働者やら、肥えたお金持ちやラ、その他、さまざまな「社会的行為者」たちがいるだけです。そうした「社会的行為者」たちは「革命」を通じて自分たちのアイデンティティを確立していくことになります。ちょっと難しく言うと(弁証法的に)変化していかなくてはならないのです。マルクス主義とは(そういうふうに)つねに変化していく(動いていく)その運動であり、ムーブメント、そうした実践なしにはありえない思想なのです。

そして(それら)(この世の中のすべての)「社会的行為者」たちが確立すべきアイデンティティ(まあIDですね、身分証明ですヨ)が「プロレタリア」であるのです。そして「プロレタリア」とは(l来るべき)「共産主義社会」を構成するその実体であり、そうした「共産主義社会の実現」をになうその主体であるわけです。

そうした大きな未来への動きの中で(その動きにそって)すべてが語られていく、それがマルクス主義の大きな特徴です。

ということで、以上のことから、ご質問にあった文章の後半である「社会的行為者たちのアイデンティティそのものの構築を前提するからである」ということがご理解いただけるのではないでしょうか。つまり、「さまざまな利害の(合理的な)一致」という(いまここにある現実的で個別的な問題だけでなく)より大きな枠組みの中で将来の共産主義社会の実現に向けた視点でこれをとらえていこうという発想です。

そして質問の文章にある「あらかじめ構成された行為者たち」とは、いま/ここに(すでにある)ある社会を構成する人々ということです。そうした人々の間にあるさまざまな利害はそのままでは一致することがありません。その利害の一致は(未来において)合理的なかたちで(わざわざ)人間たちの手によって実現しなければならないのです。そして、それはただの(いま/ここにある)諸利害の一致という現実的個別的な問題の解決だけでなく、「プロレタリア」という(未来の実現されるべき社会の)実体であり、その実現をになう主体としてのアイデンティティの確立でなければならないということです。


マルクス主義思想の優れた点は、すべての動きを動きとしてとらえていこうとすること。そして、すべてのものが(つねに/すでに)何らかの関係の産物として(入り組んだものの交点として)ひとつの函数として成立し存在しているという現実をしかりと踏まえて物事を見ていこう、考えていこうというところにあると(わたしは)思います。そして、そういうところがマルクス主義が現代思想に提供した重要な地平でもあるわけです。

すべては動いている、すべては関係の産物である、そういう高等数学みたいな複雑さを記述していくとどうしても難しい文章になってしまうわけですね。ぼくの説明は、いわば高度な数学を算数的に書いたもので<2>の回答者さんの説明の方がより数学的で適切なものであると思われます。


マンションのたとえ話みたいなのはチョットご勘弁をおレゲエします♪


URLのうち「ヘーゲル法哲学批判序説」は、いちばんわかりやすく、また元気が出てくるマルクスの文章かも。若いときの文章です。

◎質問者からの返答

おはようございます〜^^

またまた回答ありがとうございます。

>「プロレタリアの独裁」による「共産主義社会」の実現を目指すものです

ここのところをすっかり見落としていました。

本のご紹介ありがとうございます。

発表が終わったらチャレンジしてみます!

***

こんな初歩的な質問にお付き合い頂きまして本当にありがとうございました!

発表のためだけでなく、自分のための勉強にもなりました。

人力検索のありがたさをひしひしと実感しています。

それでは本日5限の発表、いってまいります(`・ω・´)

本当にありがとうございました。

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