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歴史上の人物の「風鈴」に関するエピソードがありましたら、教えて下さい!(武将の○○は、大の風鈴好きだった!みたいな…)

●質問者: tooh11
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
✍キーワード:武将 歴史上の人物 風鈴
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● tacn_nontan
●25ポイント

http://www.surugaya.com/kodawari/fuurin/

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中国から仏教と共に伝わったのは、「風鐸」ですが、これに「風鈴」という名前を付けたのは、念仏で有名な「浄土宗」の開祖、鎌倉時代の法然上人だそうです。

http://www.saj.gr.jp/projects/otofukei/0019.html

私の聞いた日本の音風景

明珍家は徳川譜代の大名で、

「明珍」の名前の由来は、平安の頃、近衛天皇に鐘、轡を献上したところ、「触れあう音が明るくたぐいまれな珍器である」とお気に召され、「明珍」の姓を賜ったそうです。


2 ● acoaco
●25ポイント

http://www.aft.mnet.jp/10051/ooedo/vol25/

風鈴の起源といわれている話です。


> 中国は唐の時代に岐王(ぎおう)という王様が東西南北に玉片、中央に舌(ぜつ)をつるしてその当たる方角で吉凶を占ったという占風鐸(せんふうたく)がありました。それを日本に帰る遣唐使の僧らが持ち帰り、音に注目し形を変え、「風鐸(ふうたく)」としました。

http://www.edofurin.com/edohuurinn1.htm

江戸風鈴の由来と製造工程

江戸の風鈴問屋のお話です。上総屋と加賀屋の二大勢力だったようです。


>江戸のガラス屋の問屋である、上総屋留三郎が、長崎にガラスの研究にゆきます。その留三郎が江戸に帰ってくるのが、天保5年と書いてあります。おそらく、江戸に帰った後、留三郎はガラスの原料を作って卸を始めます。その原料を仕入れ、または職人が問屋から渡されガラス製品を作る。幕末から明治にかけて「加賀屋」、「上総屋」の二大問屋が隆盛を誇るのです。



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