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【カステラ】ふと寄ったとある博物館で明治頃の格好をした女学生の人形が
「お父様、お母様(中略)今日は学生皆と、かすていらとお紅茶を頂きました。」
と喋ったのです。
ハテ?
カステラって日本で、何時ぐらいから、庶民でも食べられるようなものになったのでしょう?
今はまぁ普通に食べられるようなお菓子だと思うのですが…
時代劇の見すぎなのか「南蛮渡来の珍しいお菓子。お殿様しか食べられない。」
イメージがあるのです。
カステラマニアな方、お手すきの人がいらっしゃいましたら、お調べ頂けるとありがたいです。
よろしくお願い致します。

●質問者: qwer2k4
●カテゴリ:生活
✍キーワード:お菓子 とある イメージ カステラ マニア
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 8/8件

▽最新の回答へ

1 ● upwood
●100ポイント

http://www.lastminute.co.jp/info/gift/castella.html

ページを開いています。しばらくお待ちください

http://www.tokyo-bunmeido.co.jp/meuseum/rekisi.htm

明治時代なら庶民の食べ物だったようです。

◎質問者からの返答

早速ありがとうございます。

既に庶民のオヤツだったのか…


2 ● omega2000
●100ポイント

http://www.reversible.co.jp/back1/236TB/236T014B.html

カステラ作り大好きです!!

家庭で作った物は市販の物よりしっとりしている感じがします。

中国、オランダからの貴重な輸入品であった砂糖は、この頃から奄美諸島や琉球でも製造されるようになり、享保一一年(一七二六)には、八代将軍・徳川吉宗が、砂糖キビの苗を九州、四国、和歌山の諸藩に配布し、栽培を奨励している。

http://www.d-b.ne.jp/heiwa/karekisi.htm

ファイルがありません

こちらにも少し・・・

◎質問者からの返答

!家庭でも作れるのか!スゴイっす!

1726年に砂糖を作るのを奨励ってことは

もっと前にも有ったのかな?

ありがとうございます。


3 ● sami624
●100ポイント

http://www2.teruway.coco.jp/products/kyushu_omiyage/kasutera.htm...

長崎異人堂カステラ

長崎カステラは、今から約400年前ポルトガル人によって伝えられました。長崎では、南蛮菓子として売り出され、南蛮文化の興隆と共に、本場長崎のカステラは、その風味と独特の持味より全国の菓子界を風靡し、今日の名声を得るに至りました。

カステラとは、ポルトガル語(Castilla)で、16世紀頃のスペインの中にあった、カスティリア王国のお菓子が語源とされています。

→既に400年前に伝承されています。

◎質問者からの返答

400年かぁ

その間に庶民にも広まったんだろうなぁ。

ありがとうございます。


4 ● osashimi
●100ポイント

http://www.oya-bunko.or.jp/saksyou.htm

???????

「カステラの黄なるやはらみ新しき 味ひもよし春の暮れゆく」と北原白秋が詠んだが、庶民には縁遠い高価な菓子で、大正期は初任給の3分の1くらいの値段だったそうだ。戦後、1950(昭和25)年に製造を再開したカステラは目の飛び出るほどの値段で、なんと一斤400円!当時、東京近郊の土地一坪が買える値段だった。近代化によって鶏卵の値段なども下がり、誰でも口にできるお菓子となった。

http://www.eolas.co.jp/hokkaido/keizai/article-2004/2004-11-15-o...

高橋製菓は大正6年にカステラメーカーとして高橋樫夫氏(故人)が創業した。樫夫氏はカステラの老舗、福砂屋や長崎屋で12歳のころから腕を磨いた人物。北海道に渡ったあと、旭川で高級カステラを生産するかたわら、大正10年ごろに手軽な「カステーラ」を発売した。当時の価格は「10銭か20銭だったはず」と、樫夫氏の息子で現取締役社長の高橋治夫氏は語る。それまで病人しか食べられないような高級品だったカステラが、庶民に一歩近づいた。

http://gourmet.kansai.com/G0000708

eoグルメ | 大極殿

明治18年の創業後間もなくして、「春庭良(かすていら)」として売り出した。当時は、京都でもカステラを扱う店は2軒ほどしかなく大変貴重なお菓子だったという。


そんなカステラを庶民でも気軽に買えるようにしたのも、こちら。昭和3年に日本で初めて電気釜を導入して、大量に焼き上げることに成功。


庶民がカステラを食べれるようになったのは元禄のころからのようですが

明治・大正の時代も食べられるのは一部の裕福な階層の人達で

本当の意味で庶民の味になったのは戦後のようですね。

◎質問者からの返答

1番目の「大正期は初任給の3分の1くらいの値段」ってのは一般にいう「大卒でいーとこに勤めて」かな。今で2〜30万円とざっくり仮定して…6〜10万円のお菓子?げげ、庶民食べられないよう。

2番目のは手軽なカステーラのいい話。いいですね。こういうの。大正時代の10銭って…今でナンボ?

3番目、戦後辺りかぁ…

ありがとうございました。


5 ● love_chocolate
●100ポイント

http://mcyy-2.hp.infoseek.co.jp/colum/nanban.html

infoseek isweb

安土・桃山時代から、日本に一番定着した南蛮菓子と言えば、やはりこのカステラでしょう。語源はスペインの古地方名であるCastillaのポルトガル読みから来ているとされています。Castilla製の菓子、という意味です。


発祥はスペインのカスティーリャ王国と言われており、カステラという名前はポルトガル語「pao de Castelra」(パン・デ・カスティーリャ、カスティーリャ地方のパンの意)が由来とされるそうです。安土・桃山時代、ポルトガルの宣教師によって長崎に伝えられたといわれています。また、長崎にあるカステラの老舗は、江戸時代初期にポルトガル人からカステラの製法を伝授されたといわれています。


カステラは、ポルトガルのパン・デ・ローとスペインのビスコッチョというお菓子がそのルーツのようです。それらは、基本材料が小麦粉と砂糖と卵だけというのは同じなのですが、元々のお菓子は、見た目や味は現在のカステラとは全く異なるお菓子だったようです。現在のようなカステラが出来るようになったのは、明治以降で、釜が発達し、味や食感も日本人の口に合うように改良されて、全国に広まっていったそうです。

◎質問者からの返答

安土・桃山時代から…1563年位から1600年位。信長さんが南蛮文化にハマっていた時に既にあったのか。

パン・デ・ローとかビスコッチョというのをどこをどう間違えればカステラになるのか…謎は深まるばかり。

ありがとうございます。


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