http://www.daiwahouse.co.jp/business/silver/hotnews/0505_06.html
医療・介護事業|大和ハウス|シルバーエイジ研究所
入院期間の短縮により、医療費を抑えるという考え方があります。
http://www.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/nakagawa.htm
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短いレポートですが、オランダでの安楽死の考え方について興味ある視座を示していると思います。
http://www.ed.niigata-u.ac.jp/~shigeo/Dutch_Eutha.html
オランダの安楽死問題-要請なしの生命終焉行為
導入後の諸問題について、詳細なレポートをされています。
安楽死以前のところで、癌よりも心臓病の方がいいとか、そういった研究がないかな、と思ったんですが……。
病気の苦しみを緩和するための疼痛管理、緩和医療などについてはこちらのページに詳述されています。
例えば、このページには次のように書かれています。
(7)「最期は軽度の脱水状態に導く」
最期の数日間の食物や水分摂取の減少は、おそらく死に対する正常な生理的メカニズムである。空腹や口渇はこの期間ではまれである。患者がもはや確実に嚥下できない場合、腸管栄養を中止すべきである。理想的には輸液を投与してはならない。患者を軽度の脱水に導くことは、最期の数時間に苦痛をもたらす多くの問題を軽減する。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/07/s0723-8.html
終末期医療に関する調査等検討会報告書
また、こちらは終末医療についての厚生労働省の研究会の報告書です。
ただ、「持続的植物状態の患者に対する医療の在り方」など、死に方に対する意識調査はありますが、社会的負担というところまではさすがに踏み込んでいませんね。
私が考えているのは、例えば脳卒中は寝たきり老人を生む病気で、長期の社会負担に関して最悪の部類だと思っているのです。手の施しようのない末期癌で3ヶ月で死んでしまうのは、ある意味、悪くない方なんじゃなかろうか。心臓病で即死するのは、本人の苦痛も社会負担も最小なので、脳卒中を絶対回避、癌も回避すべきで、心臓病へ導くことが望ましい、といった研究がないものか、と思っているのですね。
安楽死や緩和医療については、そこに至るまでの経緯が議論されていないと思うのです。心臓病でバッタリと死んでしまえば、どちらも不要なわけでしょう。素人考えですが。
http://www.asahi-net.or.jp/~FL5K-OOT/anraku1.htm
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オランダではちょっと高齢な人が長引く病気と判明すると否応無しに「安楽死」させられるとも聞いています。本当は良いことかも知れません?
約10年前の時点で年間数千人ということは、それほど安楽死を選ぶ人が多くないという事実を示しているように思いますが……。結局、病気の種類を選ぶという方向性はまだ検討段階にはなくて、安楽死という、ある意味、万能の方策を用意しておくということなんでしょうかね。
題意はわかりますが、後半はまずいですね。上でもコメントされているとおり「より望ましい死因」を病気から選ぶのは無理でしょう。
脳卒中も癌も要因が重複しています(高齢化、酸素ラジカルや紫外線による血管やDNAの損傷。要するに人体の経年劣化)
http://www.9393.co.jp/naorugan/index.html
気がつけば、あなたもガン-ガン闘病・マクロビオティック・スローヘルス-関根 進
たとえば血栓が出来て脳につまれば脳卒中、心臓につまれば心筋梗塞、ねとねと血液で小さい血栓がたくさんできていても偶然まずいところにはひっかからず普通に生きている人も大勢いるわけです。健康な人と難しい症状の人の差は紙一重以下だし、どっちにころぶかわからないのに、強迫的に「癌だけをまずよけろ」なんて順位づけするのは合理的でないですよね。
コロリ地蔵への信仰や高瀬舟がある日本で、安楽死(自殺含む)への回答がでるのも無理がないように思われます。
上は脳卒中の応急処置。小技ですが知っておくとよさそうです。長生きすれば癌になるかもしれなくても、脳卒中の被害はできるだけ縮小したいものです。
下のリンクは癌を治すことに専念したお医者さんが若くしてくも膜下出血でなくなった報告。これはおっしゃるとおりの「誘導」ケースになるのか?
「より望ましい死因」・・・?
なるほど。脳卒中と心臓病は原因が同じなので、選択できないわけですね。
私の祖父は亡くなる前夜に脳卒中を起こした(日記の字が突然ひどく乱れ判読できないものとなったことから推察される)ものの、周囲にそれと気づかせずに駐車場の集金に出かけ(持っていった鞄などから周囲がそう判断した)、階段で転倒して最後を迎えました。足元がふらふらだったようで、いわば自殺行為によって人生に幕を引いたのでした。曾祖母が長く患って幾人もの子や孫が介護に苦労したことを気にかけ、ピンピンコロリをずっと目指していたことが、その決断の理由かと思われました。それも既に10数年前の話なのですが、次第に高齢化が進展し社会保障費用が国家予算を逼迫させている状況がある中で、がむしゃらに「死なないこと」を目指す時代は終わり、いかに死ぬかを考える時代になりつつあるだろうと思うわけです。
たとえば65歳を超えたらがん検診をやめてしまい、「がん発見→既に手遅れ→苦痛を和らげる治療のみ行う→医療費削減+平均寿命の短縮+看病負担の軽減」という流れを作る道も、一応、ありえます。
いろいろ考えられる中で、社会負担の大きな死因に対する予防策に注力し、社会負担の小さな死因については予防を放棄するという選択肢について、研究がないかと思いました。現在、保健所に行くと、癌を避けよう、脳卒中を避けよう、肝臓病を避けよう、といった具合にすべての死因に対して予防策を打ち出している。その結果、最も予防し難い疾病が社会的に最大の死因となってくるわけですが、その最大割合の死因が、社会に最大の負担をもたらすものだとすると、保険制度が破綻します。
今回、5つ回答をいただきましたけれども、結局、闘病するのは高負担なのであって、自殺が一番安いという話なんでしょうね。最大の死因が薬物や治療拒否による安楽死になるのが高効率、と。