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【ジョハリの窓】を参考にして、自分のことをよく理解できていないタイプ(Bの領域が極端に広い)と、自分をあまりさらけ出さないタイプ(Cの領域が極端に広い)では、社会においてどちらが厄介な存在でしょうか。また、対人関係において両タイプが起こしがちなトラブルを具体例をあげて説明してください。宜しくお願いします。ジョハリの窓→http://www.ops.dti.ne.jp/~iwh/kokoro/jh.htm

●質問者: ayaka2002
●カテゴリ:政治・社会 生活
✍キーワード:ジョハリの窓 タイプ トラブル 存在 社会
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

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1 ● M
●20ポイント

http://www.hatena.ne.jp/1129008066#

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どちらが厄介かと言ったらやはりBでしょう。

Cを隠すのは、本人にとってストレスとなる物であるだろうから、それを開かす(Aに押し出す)事を止めているのだろうから。Cが大きい者ほど(表面は)潤滑な社会関係を構築できる。

Bは、無自覚であるから、それら社会的に不都合な事が、ボロボロ回りの迷惑顧みずに出ているという事になる。


ただ、逆に扱いやすいのはBですね。自分がどのように回りから扱われているか、踊らされているかを知らない/知ろうとしないのですから。


そして、Cであっても、極端に抑圧してしまっている場合、可能性として、組織にとって有益なアイディアを活用できていない場合も考えられる。その可能性を正確に計れるので有れば、その損失分をもってCを害だとも言えなくはない。しかし、それは周囲が知らないのであるから、害として認識されることは、まず無い。


最後に。どちらも程度の問題で、それぞれがどの程度で同等であるかの認定は不可能だから、B、Cそれぞれどちらかが広い者として認識されている個々の個人を、それぞれ比較してどちらが迷惑だと言ってしまうことには危険性もある。


C過大も、自主規制を抱えすぎAを限りなく狭めていれば、対人関係はスムーズになっても、回りの人間が、その個人をどんな人間であるかが認識できなくなる。その時C過大な人間は、回りの人間が持つ不安が投影される対象となってしまう。そうなると、誰の仕業か判らない組織の諸問題を、総じてその個人に投影してしまうようになる。それら問題が膨らみすぎると何れ大きな問題として噴出してしまう事にもなる。


赤提灯のコミュニケーションの失われた今、潜在的に社会が持っている問題は後者なのかも知れません。

◎質問者からの返答

非常にわかりやすかったです。ありがとうございます。C過大なタイプは昔と比べてかなり増えているように思います。


2 ● こうじ
●20ポイント

http://www.businessballs.com/johariwindowmodeldiagram.pdf

回答ではなく、「ジョハリの窓」の使い方を誤っている指摘をしていますので、ポイントは不要です。

「ジョハリの窓」は、どの領域が広いか、狭いかで厄介かどうかで人の厄介さを示すモデルではありません。

あくまで、「自分は知らないが周囲が知っている自分」をself awareness(自らの気付き)に導いていき、自分のことをもっと知っていこう。というモデルってだけですよね?


また、あなたのおっしゃるCの領域が極端に広い人って判断がつくのでしょうか?

Dの領域(無意識の世界だから誰も知らない)も広い人だったら相対的にCの領域は極端に広くないわけです。

仮にCの領域が大きい人、Bの領域が大きい人がいたとしても、「人が知らない自分」「自分が知らない自分」が周囲に悪影響を及ぼす要素を持っているのか否かによっても変わるので、一概に厄介な存在がどっちかとは言えません。タイプ論では表現不能だと思います。ケースバイケースです。

僕自身は、「人間ってAがほとんどなくて、ほとんどがB,C,Dで占められている」と考えています。

◎質問者からの返答

なるほど、教えていただいてありがとうございました。ジョハリの窓の引用は必要なかったみたいですね。ただこのふたつのタイプだったらどちらが迷惑こうむるかって聞きたかっただけだったんです。すみません。


3 ● M
●20ポイント

http://www.hatena.ne.jp/1129008066#1の追記:detail]

>C過大なタイプは昔と比べてかなり増えているように思います。


ただ。昨今、世紀末からの強い閉塞感から、ネガティブな観測をする事が、過剰にタブー視されている嫌いがあります。


故に、若者を中心にB過大な者が増えている傾向のある事は見過ごせません。


何故強い閉塞感が高まったかを遡って観測すると、「自己チュー」等の言葉に象徴されるように、B過大な人間をことさら吊し上げ、本人にとって「見たくない自分」を、ことさら論う価値観に満たされていたことが判る。

それは1985年頃から高まってきたように思うのですが、Aを広げようという動機から、Bの領域を精神衛生上不健康な程まで狭めてしまったことが、世紀末に高まった閉塞感を醸成したのでしょう。体臭不安症だとか消臭商品の売り上げにも、そのB領域の存在を隠滅しなければならない強迫観念や、未知の自分そのものに対する恐怖の高まりを見ることが出来る。


そこで非Aの領域を保護しようとした個々人の自衛的な動機によって…当然それは自覚的に行われたので…BではなくCの領域が肥大化して行くことになった。結果、外見を社会的に無難で好意的な姿で取り繕い、Aの領域は狭められていった。


それは、「何故あの人が?!」「あんな事件を起こすなんて…」といった言葉でよく耳にするように、C領域を押し隠すことに達者な人間が増えている背景要因でもあるのでしょう。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。A領域を広げることは今の時代難しいことなのでしょうか。

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