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「死んだら終わり」ということを、容赦ない感じで説明してください。
参考リンク : http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20051026#1130337796
「死んだら終わり」ではない、という方の回答はご遠慮ください。

●質問者: michiaki
●カテゴリ:学習・教育 生活
✍キーワード:リンク
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 42/42件

▽最新の回答へ

1 ● mikiryu
●40ポイント

http://www.npa.go.jp/toukei/chiiki4/jisatu.pdf

姉は自ら死んでしまいました。

遺書にはいろいろな希望が書いてありましたが、母はいい加減な人で、遺書通りにしてあげたことは一つもありません。頑張って闘病していたのに、もう治りかけていたのに、死んだら終わりだと・・・姉の遺体に着替えをさせてあげながら何度も話し掛けましたが、返事はありませんでした。

◎質問者からの返答

「死んだら終わり」ということがほんとうにちゃんと解っている人は、遺書は書かないですね。

そして、たしかに、死んだら終わりであるようです。


2 ● tousenkyo
●11ポイント

http://www.hatena.ne.jp/1130340247#

人力検索はてな - 「死んだら終わり」ということを、容赦ない感じで説明してください。 参考リンク : http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20051026#1130337796 「死んだら終わり」ではない、と..

urlはダミーです。


そもそも、自分以外のものは本当に存在しているのだろうか?


人間は五感で物の存在を認識する。

認識しているのは脳である。

そして人間の脳は、電気信号で動く。

とすれば、電気信号次第で、脳は、あらゆる錯覚を起こす。


例えば、何かが身体に当たる。

「痛い」というメッセージは、神経から脳に伝わる。

伝えるのは、電気信号の役割である。

とすれば、実際に何も当たっていなくても、電気信号さえ脳に送られれば、痛いと感じる。

その電気信号が間違えて送られていない保障はない。


例えば、夢の中では確かに歩いている感覚はある。

でも、その感覚は電気信号によって作られている。

つまり、あくまで脳が錯覚を起こしているだけ。

実際に歩いているわけではない。


だったら、我々が見ている全てのものは、実は存在しなくて、

単に脳に電気信号だけが送られた結果生じている錯覚かもしれない。

自分以外の物自体が存在しないかもわからない。


で、死ぬってことは、つまり、電気信号が送られなくなるってこと。

電気信号だけが物を存在させていたのに、その電気信号が途絶えるってことは、

全てが終わるってことになる。


よって、死んだら全てが終わり。


ここまで考えると、疑問になるのが、そもそも自分さえ存在するのかってこと。

自分の存在は、考えたり、自分に触ったりして確かめられるけど、

それだって、電気信号なのだから。

◎質問者からの返答

「全部電気で説明できます」説。

はやくうなじにUSBのソケットがつくといいですね。


3 ● jyouseki
●11ポイント

http://www.hatena.ne.jp/

はてな

死にかけて生き返った人はいますが、完全に死んでから帰ってきた人はいません。

つまり、死後どうなるのかは誰も知りません。どこへ行くのかわからないところへ行くのはとても恐ろしいです。

人間の記憶は脳の中にあり、死ねば焼かれてしまうのですから、物理的には完全に無になります。

それでも終わりでないことを説明するために宗教では霊魂という言葉を使うことが多いのですが、現代科学ではあると証明されていません。

霊魂は死への恐怖心をごまかすために、人間が作り出した妄想の可能性があります。

死は本当に怖いです。

◎質問者からの返答

「死んだら終わり」という立場からの回答でお願いします。

「終わりではない」でも「終わりかどうかはわからない」でもなく。

そういう設問です。


4 ● komiyatakun
●11ポイント

http://keiba.yahoo.co.jp/scores/2005/09/03/04/11/ninki_tfw.html

Yahoo!??????? ???? - 2005?3??????4????11R ??????

ダミーです。死んだら終わりです。

その人とかかわった人は終わらないでしょうが。

死んだ本人は終わりです。もしもあっても

誰?あなたです。

逆に言えば苦しいことも終わりです。どんなに惨めな人生でも、1億の借金が

あっても終わりです。払う必要がありません。

関係者は終わりませんが(苦しみも)本人は終わりであり、終わらせることが可能です。

楽しいことも、思い出も終わりであり、

苦しみも終わりなのです。本人は・・・

◎質問者からの返答

淡々とした、というか普通の「終わり」ですね。突き付けられるような感じはしない。

「かかわった人」「関係者」は終わらない、とこの短い文章で2度も出てくるあたり、

なにかあるのでしょうか。


5 ● mikarin
●20ポイント

http://www.google.co.jp/

Google

URLはダミーです。


私は、自分が生まれる前にどうしていたのか思い出せません。

自分が生まれる前は「自分は存在しなかった」のなら、それは正しいでしょう。


では逆に、「私が死んだ後にどうなるか」についての、たしかな知識も持っていません。

現在生きている人で、死んだ後に自分がどうなるかを知っている人などいないでしょう。


要するに、現在生きている自分と、生まれる前や死んだ後の自分のつながりはないのです。

「この世とあの世」という考え方や、ましてや「生まれ変わり」なんて、生きている者が苦し紛れに考え出した、「こうだったらいいな」という希望でしかないのです。


それはつまり、「今ここにいる私」は、「死んだら終わり」ということだと思います。

◎質問者からの返答

理詰め。説得されなくはないですが。

もっとこう、積み重ねではなく、読んで腑に落ちる感じの回答を期待です。


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