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元気で人生を全うし、長寿を得た後、自然死にて大往生する事が最も好ましいことは当然であります。しかし、現代においてその様に事が運ぶことは極めてまれです。高齢になればなるほど、疾患(癌・心臓病・各種臓器障害等)が増えます。ある年令以上の方については、これらを疾病ととらえず、、老化現象ととらえる必要があるのではないかと考えます。本人の積極的な同意のもと、これまでの医療体系とは違った別の方法で対応していくべきであると考えております。一歩間違えると、老人斬り捨てとなりかねない考え方です。皆さんの批判を頂きたいと思います。

●質問者: masakkunn
●カテゴリ:医療・健康 生活
✍キーワード:人生 医療 大往生 対応 心臓
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 5/5件

▽最新の回答へ

1 ● TomCat
●16ポイント

http://www.hatena.ne.jp/1

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たしかに加齢に伴う特有の疾患というものは多々あります。

しかし、それは「死に向かう人に特有のもの」ではないはずなんですね。

この点で「加齢」という現象を誤解してはならないと思うのです。


このことは、人間より寿命の短い動物で考えるとよく分かります。

たとえば猫は原尿の圧縮率が高いため、

本質的にかなり腎臓を酷使する構造にできていますから、

加齢に伴って慢性腎不全の状態となるケースが非常に多く見られます。


しかし、これは加齢に起因するものとはいえ、

だからもう体がダメになってきているんだ、

もう死に向かうステージに入っているんだ、

ということでは全くないんです。


猫の加齢による腎不全は8歳くらいから発生しやすくなってきますが、

初期の内に適切な治療を施し、その後の維持が図られれば、

それからさらに8年くらいは平気で生きていけるんですね。

生まれてから老齢性の疾患が発生するまでの時間と、

同じだけの長い未来がまだあるわけなんです。


このことは人間だってほぼ同じでしょう。

これから先、人の平均寿命はどんどん延びていきます。

60歳で老齢性特有の疾患を得てしまっても、

120歳まで生きていける時代がすぐそこです。


たしかに、老齢性の疾患に対しては、

これまでの医療体系とは違った

別の方法での対応が重要でしょう。


しかしそれは、加齢によって発生する疾患だからこそ、

若く自然治癒力に優れた人達に増して、

高度で先進的な医療が保証されるべきだ、

という方向性でなければなりません。


加齢による疾患の後に、まだまだ長い人生があるんです。


年寄り特有の病気になった。

もうターミナルケアだ。

安楽に死なせてやれ。


これは、非常に低い医学のレベルでの話です。

年寄りは病気なんかじゃ死なないよ。

今の医学のレベルは、そう普通に語れる所にまで達しつつあるんです。


ただ、コストや施設や人員の都合で、その成果が発揮できないだけ。

私は、そう思います。


現実に猫などには惜しげもなく治療費をかける人が

少なくありませんから、多くの加齢性の腎不全猫が、

そこからさらに長い寿命を保っています。


人間にも、惜しみない社会努力が注がれれば、

たいていの高齢者の病気は、天寿としての死とは

切り離して考えていけるようになるものと思います。

◎質問者からの返答

超高齢になっても、疾患自体がそれより若い人と異なっているとは考えておりません。また、超高齢の方にとっても、基本的には従来の治療法が効果的であることは承知しております。120歳まで寿命が延びるとの事ですが、その場合に想定する(ある年令以上)と言うのは120才以上になってからの事です。その時、それがその方の本来の寿命であろうと判断できれば(誰がどのようにして判断するかは別として)、やはり違った対応を考慮するべきなのではないかと考えます。


2 ● MEI-ZA-YU
●16ポイント

http://www.hatena.ne.jp/長生き:detail]

URLはダミーです。


あなたの考えを要約すると

ある年齢以上の老人は病気になっても老化現象ということにして今の医療行為をしない

ということですね。


私の意見は、やはりそれが自分の親であったりパートナーのような大事なひとだったら

1日でも長生きしてもらいたくて出来る限りの治療を望みます。

(ただ、高齢で回復の見込みが無く意識がない状態が続くようならば考えますが・・・)

◎質問者からの返答

医療行為をしないと言うわけではありません。見捨てる訳でもありません。しかし、従来の患者を診ず、疾患を診る医療では、特に超高齢の方にとっては良くないと考えております。その方がおくって来られた人生の道のりまで考慮し、どのような治療を望んでおられるかを良く理解した上での、治療の選択が必要ではないかと考えております。その選択された治療法は、従来の教科書にのっている治療法とは全く違う物になることもありうると考えます。


3 ● clockwork_mikan
●16ポイント

http://www.yahoo.co.jp/

Yahoo! JAPAN

私的には、人様に下の世話をしてもらうようになった時が潮時かな・・・とは思っています。

勿論、それでも何かしらの社会貢献が出来ているのであれば話は別ですけどね。


確かに、老齢での疾患を老化現象の一部として捉えるのは自然の摂理に沿っていると思いますし、

ご本人の同意の上で、幾許かの寿命を延ばす操作を放棄、或いは延命より安楽を選ぶことは、

あっても良いのではないかと考えます。


過日、某病院へ老齢の方のお見舞いに伺いましたが、

そこは病院とは名ばかりの”姥捨て山”の様な所でしたね。

身寄りが来ることは稀なようで、テレビもなく、会話もなく、ただただ虚ろな老人を、

看護士が機械的に世話をしている、という風情でした。

また、私の目前で、平然と見知らぬ老婆の下の世話を看護士が行っていたりと、

そこまでして”生きる、生かす”とする必然性があるのだろうか?

などと少しばかり考えさせられました。


臓器移植や安楽死も含め、いわゆる(医療・生命)倫理の壁と言うやつがあるようですが、

基、死生観は個々人の主体的な意思の上にあるもので、それを無視し、

世俗的な通念を一方的に押し付けるのも如何なものかと感じます。

従って、『これまでの医療体系とは違った別の方法で対応していくべきであると考えております。』

という考え方に大同においては賛同します。

◎質問者からの返答

ありがとう御座います。1日命が延びたとしても、その期間、病院に儲けをもたらすモノとして扱われるのでは酷すぎます。人間らしくその人の人生を終わらせる、別の対応があるべきであると考えます。


4 ● KIKOlove
●16ポイント

http://www.hatena.ne.jp/1137679483

人力検索はてな - 元気で人生を全うし、長寿を得た後、自然死にて大往生する事が最も好ましいことは当然であります。しかし、現代においてその様に事が運ぶことは極めてまれです。高齢になれ..

根本から考え方が異なります。

大往生が好ましいと押しつけられること自体が不愉快ですね。

私は60歳代で死ぬつもりで生きています。


という個人的考え方は別にして、


老人医療はそれとして現在の日本ではなされていますから、御質問の意図が不明。

◎質問者からの返答

60才代で死ぬときめても、自殺をする以外には死の時期をコントロールする方法がありません。死ぬつもりであるとはそう言う事でしょうか?それはそれで1つのありうる意見と考えます。

質問の意図が不明瞭であれば、申し訳ありませんでした。


5 ● maria33
●16ポイント

http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31386266

セブンアンドワイ - 本 - シルバー・バーチの霊訓 1

人は、死ぬ時がくれば、医者がどんなに手を尽くしても死にます。

長寿にはなりましたが、永遠に生きられる人は誰もいません。永遠に生き続ける方法が見つかってから切り捨てる事を考えればいいのではないでしょうか。

楽しい事から学ぶ事もあれば、その時は苦しんだり悩まなければわからなかった事が、後からわかったという事が、あなたの人生にもあると思います。

ガンになった人は、ガンの苦しみがわかる人になります。

切り捨てるのではなく、そのせっかく解った痛みや苦しみを、後続の他者と生かしあい助け合えるような医療を望みます。

どう死ぬかではなく、どう生きるかです。

苦しい、死ぬでは、つまんない、やめるという子供と同じです。

後で、あの時、もうちょっとがんばってやっておけば良かったと思っても、今の人生は二度とやり直せないのです。

病気になると、誰もが気弱になりますし、実際、末期ガンは診てる側も相当苦しいでしょう。でも、楽なことが良い事なのか幸せかどうか、過去を振り返ってよく考えて下さい。

私には、今、苦しいこと・楽しいことの未来の結果を見通すような力はありません。後から、理解する事はできます。

私は、それを、他人に決められたいとは全然思いません。

◎質問者からの返答

老人を斬り捨てると言う考えを私は示しているわけではありません。(これまでの私のレスをお読み下さい)

人はもちろんいずれ死ぬことは動かし難い事実であります。どんな名医であってもその現実は動かせません。しかし、どのように人生の最後を迎えたいかと言う本人の希望と、1日でも延命を計ろうとする医療は相いれないものである場合があります。その場合、誰がどのような選択を行うかについては、本人の意思をこれまで以上に尊重する事が重要ではないかと考えているのです。そしてその本人の考えに対しては、こちらからその考えは浅いとかまちがっているとか極力言うべきでは無いのだろうと考えます。

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