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「客観的にものを考えること」は可能ですか?

●質問者: rg7-421
●カテゴリ:学習・教育 生活
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 13/13件

▽最新の回答へ

1 ● jyouseki
●3ポイント

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B5%D2%B4%D1%C5%AA&...

国語辞典 英和辞典 和英辞典 - goo 辞書

ほんの一部の人を除いて不可能と考えられます。

現代では様々な考え方の人がいて、価値観の相違が認められる傾向にあります。

少し汚い言葉でいうなら、「法に触れないことなら、多少の非常識はいい」ということになります。

その中でも更に「多少」に含まれる範囲に対する考えが様々あり、今の世の中は混迷しています。

結論的に「生き神様」といえるまでに心が寛大な人以外、「客観的にものを考えること」はできないでしょう。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

「価値観の相違」と「法に触れないことなら、多少の非常識はいい」のつながりと、それらの事柄と「客観的にものを考えること」との関係をもう少し詳しく教えて頂けないでしょうか。ポイントはまとめてつけさせて頂きますが、再回答お待ちしております。


2 ● schwalbe
●8ポイント

http://search.yahoo.co.jp/bin/search?p=%B5%D2%B4%D1%C5%AA+%A4%C8...

Yahoo!検索 - 客観的 とは

[形動]

1 主観または主体を離れて独立に存在するさま。

2 特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま。「―な意見」「―に描写する」

http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%bc%e7%b4%d1&dtype=0&am...

Yahoo!辞書 - すべての辞書 - 主観

対義語は主観ですね。つまり主観から離れて、物事を考えられるかという問題に帰着できます。

客観的に物事を見るということは、自分を無くす行為です。

なにに基準を置くかというと周囲の環境、

つまり道徳や常識、社会の習慣・性質というフィルターを通して物事を考えるということです。

それは、多くにおいて可能ですが、限定的ではす。

客観的ではありますが、厳密にいうと属している環境に依存するからです。

しかし、そこを論点とするのはあまり効率的ではありません。

それは、言語の問題からはずれるからです。


言語として、

「客観的にものを考えること」は可能かと聞かれれば、その答えはYesです。

常識などのフィルターを通して物事を考えるということで可能です。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

「常識などのフィルターを通して物事を考える」というのが「客観的にものを考える」ということですね。

違う「常識」をもつ集団に出会った時にはどうなるのでしょうか。


3 ● Broadway
●10ポイント

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/4688/sub2.html

はじめに

ちょっと失礼します。


思考、と云える程度の情報処理を行える能力を持っている生命体は、全て自分の感覚器を通じて受け取った外界からの情報を自分の内部で処理して、外界へフィードバックします。この点に於いては、思考は全て「主観」であると言えましょう。思考が高度になると、所謂「シミュレーション」する事が出来る様になります。自分の主観を意識して、思考の対象から外して、第三者の立場からシミュレーションして思考することを、世間一般には「客観的にものを考えること」と呼びます。

これには時々、と云うか、よく誤解が起こります。客観的思考の定義が先に有り、完全な第三者となって思考する事を意味する、と考えてしまうのですね。思うに、「『客観的にものを考えること』は可能か」と云う質問は、ここら辺が引っ掛かって居る場合が多いかと思います。

確かにこれだと、客観的にものを考えることは不可能になってしまいます。先に述べた様に、思考は全て主観のもとに行われますから。

主観が有る事を自覚できた上に客観は有るのです。自分が御膳に向かっている事を理解できて初めて、「御膳を向け変える」(違う視点に立って思考する)と云う発想が出て来るのですね。

だから、主観をもとに「客観的にものを考えること」をシミュレートすることを、「客観的にものを考えること」と呼ぶ訳です。大体、それ以外に客観的思考等、出来る訳が無いので。

大まかには、こんな処と考えて差し支え無いでしょう。


まずは御話まで。御役に立てれば幸いです。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

その通りだと思います。「客観的にものを考えること」の前提として、「考える」主体が「自分」であるということですね。

確かにその通りなんですが、もう一歩進めて本当に「客観的にものを考えること」は可能かどうかを考えてみたいです。


4 ● schwalbe
●8ポイント

http://google.co.jp/

Google

url=dummy、再回答です。


>「常識などのフィルターを通して物事を考える」というのが「客観的にものを考える」ということですね。

>違う「常識」をもつ集団に出会った時にはどうなるのでしょうか。

違う「常識」をもつ集団に出会った時というのは、もちろん価値観のずれが生じます。

しかし、言語学的に「客観的にものを考えること」は可能かと聞かれれば、

その価値観のずれは無視されます。

各々が「客観的にものを考えた」結果に差異が出るのは当然の事です。


それは客観的といっても、結局は自分の持っているフィルターを通した考えだからです。

このフィルターは厳密にいえば、個々がそれぞれ別の物を持っている。

しかし、そのフィルターが多くの考えを理解していれば、グローバルな視点から物事を見れます。

客観性の強弱はどれだけ多くの知識(=フィルター)を持っているかに左右されます。


話が長くなってしまったのでまとめます。

言語学的に言えば「客観的にものを考えること」は可能です。

しかし、それが全ての人において共通であるかという点においては差異がでます。

それは、個々のフィルターが違うことから帰着します。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

「言語学的に」というのがよくわかりませんが、「客観的にものを考え」た結果には各々に差異があるということですね。ということは結局違う「常識」をもつ集団に出会った時には共通の理解が得られないということでしょうか。

1番の方、再回答分は別々にポイントをつけますので再回答お待ちしております。


5 ● kskg
●7ポイント

http://www.bbc.co.uk/radio4/index.shtml?logo

BBC - Radio 4 - Home

urlはダミーです。

「考える」のは主体である自分ですから、そこから抜け出すことは難しいと思います。

なので、「出来るだけ客観的に」ものを考えることなら可能だと思います。

そもそも主観あっての客観ですし、今まさに、この問いを「客観的に」考えようとしているのでは?

◎質問者からの返答

ありがとうございます。


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