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自分史を書いて下さい。

●質問者: h72c
●カテゴリ:生活
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 5/5件

▽最新の回答へ

1 ● しっぽ
●25ポイント

兵庫県に尼崎市に生まれる。

大学入学を機に上京。

「尼崎市」は大変イメージが悪いので、以後は「神戸市」出身と詐称する。


大学で演劇にはまり、裏方としていろいろな公演の手伝いをするようになる。

いつの間にか授業には出席しなくなり、アルバイトでいろいろな現場に顔を出すうちに、なんとなく生活費が稼げるようになる。


大学「5」年生の時に、知り合いから「会社作るけど入らない?」との誘いを受けたので、

舞台照明の会社に入社。


0から会社を立ち上げるのは面白かったのだが、会社勤めは自分には向いてないと痛感。

幸い、会社の状態もよく経営も安定していたので、三年後、心置きなく退社。

以後、フリーとして現在にいたる。


二十代後半の頃、ふとした偶然から「セイルトレーニング」と呼ばれる帆船での体験航海についうっかり参加。

なんの気なしに参加したこの航海から帆船にハマってしまう。

本業の片手間、多いときには年間三ヶ月ほども船の上で暮らすようになる。

現在までに航海を体験した帆船は6隻。

帆船に乗るために訪れた国はアメリカ、イギリス、カナダ、オランダ、フランス、韓国。

2000年には太平洋横断帆船レースに、2002年には韓国〜日本の帆船レースにそれぞれ出場してしまう。


四十を目前に「(ほんものの)帆船を造る」という壮大かつおバカな人生目標を掲げてしまう、どうしようもない人生である。

ちなみに帆船を造るための予算は約30億円。

調達できるもくさんなし。

だれか、30億円、ください。

◎質問者からの返答

ありがとうございました。


2 ● sami624
●25ポイント

http://homepage3.nifty.com/sami624/index.html~030915

生まれてから20歳になるまでは、勉強以外のものを全て取り上げられ、無味乾燥した人生を歩む。21歳になり禁止されていたバイトをさせない場合、家をでるということで散々交渉した結果、バイトの許可が出たため、バイトをはじめ資金稼ぎを始める。それまでは、バイトを始めるたびに、バイト先の責任者に対し、未成年の法律行為は物的抗弁で取消が出来るため、直ちにバイトをやめさせろ、と電話をされことごとくバイトが出来ず、惨めな人生を過ごしていた。

家庭教師とドカタで稼いだ資金で海外旅行をする。ヒッチハイク・ドラッグなど色々な世界を知るたびに、偏差と至上主義である日本社会に疑問がわく。翌年も家庭教師を続け英国に長期滞在する。流しのギターを弾きながら生活資金を稼ぎ、ユースホステルを泊まり歩く人生に、何故か充実感があり、ミュージシャンになろうとする。帰国後散々交渉したが、ミュージシャンになるなら、過去支払った生活費を全額一括弁済しろと言い寄られ、あえなく断念。仕方なく一部上場企業に入社する。

超個性的であったため、馬鹿な上司がいると理屈で相手の不合理・非効率を立証し、どうあるべきかを懇々と説明したが、理解できる上司が少なく、システム部門の配属となる。いわゆる左遷である。左遷はされたが、こういう部署では企画立案能力がある人間がいないため、企画立案セクションに配属となり、起案書の作成方法や相手を説得する為の業務遂行方法等を学ぶ。上場企業には得てしてあるものだが、東大卒ケンブリッジMBA資格取得であっても、上司が馬鹿で有能な人材の能力を生かせず、衝突した場合は、有能な部下が左遷される。そこであった有能な東大卒の上司に起案の進め方を学び、いわゆるMBAスキームの構築方法を学ぶ。

システム関連から、事務コスト削減企画セクションに配属換えとなり、業者と折衝をしている中で、数社からテンショクの声がかかる。現行賃金・労働時間等の労働環境の詰めをしているが、労働条件のいい職場が見つかれば、転職を考えている。

◎質問者からの返答

ありがとうございました。


3 ● 潮澤 昴
●25ポイント

昭和52年

生まれる


?平成4年

イジメられまくった、今から思えばじゃれてただけだな、アレは以降イジメは入社までナッシング


平成5年4月

片想いの子おっかけて無謀に高校受験、定員割れしてて見事に受かるも、片想いは、撃沈


平成8年4月

大学3つと、会社一つに嫌われるも、なんかロクな面接もしない会社に入社、いちゃもんばかりつけられる(イジメ?)


平成15年1月

ウザィから退職


平成17年

今に至る(フリーランスアフィリエイター・「掲示板はてな?」コメンテーター)

◎質問者からの返答

ありがとうございました。


4 ● hamster009
●0ポイント

私は日本に生れました。

そして、今も日本に住んでいます。

おわり。

◎質問者からの返答

ありがとうございました。


5 ● jyouseki
●25ポイント

http://d.hatena.ne.jp/jyouseki/

私は裕福な家に生まれました。

物心ついたときには、父親に一流大学に入ることを決められていました。

友達と遊ぶこと、電話で話すこと、家族と話すことは禁止されていました。

子供時代に与えられていた食事は一食100円程度、睡眠時間は5時間くらいで、貧血で倒れたことが何度もあります。

成長期の子供がろくに食べさせても寝かせてももらえない状況で父親は毎日食べたい放題、1日5合もの日本酒を飲み、寝たいだけ寝ていました。

私が「頭が割れそうに痛い」と言っても病院に連れて行くどころか寝かせてももらえず、薬さえ飲ませてもらえず、勉強させられ続け、

「お前みたいな出来の悪い子供は死んでも構わない」とまで言われました。

中学生になって成績に順位がつくようになると、前より少しでも数字が落ちれば死んでもおかしくない程の暴行を受けていました。

高校生のとき、同級生が家に電話を掛けてきただけで父が激怒するため、私は「電話を掛けないでほしい」と頼むしかありませんでした。同級生は私に「操り人形」というあだ名をつけました。

大学生になって親元を離れれば自由になれると思っていたのですが、父が電話を掛けて来て出ないと怒り狂うために外出もできませんでした。

今から十数年前の時代に大学生が洗濯機を買うのは身分不相応という理由で手洗いを強制され、逆らえば大学を中退にさせると言われ、とうとう卒業するまで洗濯機を買うことはできませんでした。

私が就職先を決めれば、「大企業でない」という理由で父は猛反対し、そんな所に就職するなら、これまでお前を育てるのにかかった金を今すぐ支払えと言いました。

結局父が就職していいと言った企業は大きいものの自分のやりたい仕事ではなく、しかも休日も父親の言いなりになって副業や家の雑用をしなければなりませんでした。私は精神を病んで4ヶ月で職場を解雇されました。

その後ある商店で働きましたが、力仕事に体がついて行けず、3ヶ月で挫折したとき、父に真冬の外に3日間放り出され、凍死しかけました。

その次は事務職に就いたのですが、やはり休日も自由にさせてもらえず、彼女どころか男友達さえ作らせてもらえず、休日にまで働かせるので、その目的を父に聞くと

「お前のような出来の悪い子供は休ませないで働かせて早死にさせようとしている」と真顔で断言しました。

この世の中のどこに子供の死を願っている親がいるのでしょうか。

プライバシー保護の関係で詳しくは書けませんが、20代半ばに私を助けてくれる人が現れ、やっと父と決別することができました。

現在でも私は精神を病んでいて定職には就けず、闘病生活の日々です。

でも経済的な不自由はなく、毎日好きなことだけしかしていないので、今の生活にそんなに不満はありません。

過去の生き地獄のような生活に比べれば天国にいるようなものです。

◎質問者からの返答

ありがとうございました。


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