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『なぜ人は人を殺してはいけないのでしょうか?』という問いは結局何だったのでしょうか?

●質問者: こねこねこねこ
●カテゴリ:学習・教育 人生相談
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 46/46件

▽最新の回答へ

[1]死の壁? KASU44

要するに殺しても生き返らすことは出来ない、だから殺しはいかんということではないでしょうか?


[2]「女王の教室」 kyouko200

女王の教室でもありましたよね

悲しいから、周りの人が悲しむから、つらいから

と、いった感じでした。


[3]生きとし生けるものは tkyktkyk

全て平等に命を持ち、そしてその命は自然に磨り減りゆくものであるわけです。

つまり、生命が誕生した瞬間から死ぬのは決まっているので、

その命をその個以外の生命体が、死までの時間を早めてしまう「=命を奪う」権限がない、からです。


[4]?常識だから?神様が決めたから?殺すと殺し合いになるから?? mirai33312

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106100037/249-6253...

どんなに賢い人でも、突き詰めて行けば必ず限界に、壁に辿り着いてしまう。


『バカの壁』、言わずと知れた本ですが、そこにかかれてあったことを

私なりに噛み砕いて解釈してみます。

「人は人を殺してはいけない」というのは「一般常識(コモンセンス)」

であり、「あーあー、知ってる、それって常識だよね」という感じで、

普通の人は理解するでしょう。


少し考え込んでしまうと、それでは納得いかない。

そうしたら、神様や人間の良心、といった絶対的なものを用いて、

「神様が行けないと決めたから」と絶対化してみます。

しかし、これでも納得行かない人がいるでしょう。

次は科学的側面から検証してみると、「人を殺して、どんな不利益がどのくらい生じるか」

を、いろんな例を持って一生懸命説明しようとします。

それでも結局それは、不確かです。

科学の世界でさえ、絶対的なものはない。


><;;説明できなくなっていますが、本には「降水確率」を例にとって

説明されていますよ。

つまり、「人は殺しては行けないものだと思う」ととらえておけば・・・


もし本を読んだご経験がないのなら、気が向いたときに手に取ってみてください。

全てが納得いく、と言うわけではないですけれど、私はお勧めです。


[5]残酷な空想 j_m_w_t

「あらゆる残酷な空想に耐えておけ

現実は突然無慈悲になるものだからな」

冨樫義博「HUNTER×HUNTER」より



その「問い」が問題ならこんな感じですかね。

その「答え」は、それなりにそれぞれですが。


[6]私的に思うのは ToMmY

殺人と言う行為を物理的に分析すると、人間と言う生物が、同じ生物分類である人間が活動することを停止させる。ということになります。

それは人間のDNAに含まれているプログラムにより、本来不可能なこととして定義させられているわけです。しかし、人間と言う生物のDNA制御能力限界を超えた思考力によってそのリミッターを取り払ってしまう。その思考力によって殺人と言う行為にいたってしまうわけです。

よってなぜ人を殺してはいけないかと言うのは、倫理的な問題などではなく、生物の存在意義をうしなってしまうからでしょう。

もし仲間を殺すことが許されてしまったら、生物としてその種が生存することが不可能になる->存在意義がなくなる。

ということではないでしょうか。


[7]私的に思うのは ToMmY

殺人と言う行為を物理的に分析すると、人間と言う生物が、同じ生物分類である人間が活動することを停止させる。ということになります。

それは人間のDNAに含まれているプログラムにより、本来不可能なこととして定義させられているわけです。しかし、人間と言う生物のDNA制御能力限界を超えた思考力によってそのリミッターを取り払ってしまう。その思考力によって殺人と言う行為にいたってしまうわけです。

よってなぜ人を殺してはいけないかと言うのは、倫理的な問題などではなく、生物の存在意義をうしなってしまうからでしょう。

もし仲間を殺すことが許されてしまったら、生物としてその種が生存することが不可能になる->存在意義がなくなる。

ということではないでしょうか。


[8]私的に思うのは ToMmY

殺人と言う行為を物理的に分析すると、人間と言う生物が、同じ生物分類である人間が活動することを停止させる。ということになります。

それは人間のDNAに含まれているプログラムにより、本来不可能なこととして定義させられているわけです。しかし、人間と言う生物のDNA制御能力限界を超えた思考力によってそのリミッターを取り払ってしまう。その思考力によって殺人と言う行為にいたってしまうわけです。

よってなぜ人を殺してはいけないかと言うのは、倫理的な問題などではなく、生物の存在意義をうしなってしまうからでしょう。

もし仲間を殺すことが許されてしまったら、生物としてその種が生存することが不可能になる->存在意義がなくなる。

ということではないでしょうか。


[9]>2 その人の未来を奪う権利は誰にもない paffpaff

とかいう台詞だったと思います

生きている価値がないか、死んだほうがいいのかって

他人が判断できることじゃない、そんな権利は誰にもない

ってことかな?


[10]愚問だった fuk00346jp

・戦争でも人を殺すなと?

・人殺しがいけないと言いながら「死刑制度」を放つ国策は?

--------------

当方的には「自分がされて嫌な事はするな」的に考えてますが。

誰だって殺されるのは嫌でしょ?ってね。


[11]「またまたぁ、分かってるくせに」と jinny6202

言って欲しかっただけとか。そういう質問する人って必ずしも殺人衝動にかられた自分が怖くなったとかだけじゃないかもしれませんよね。学校の先生が明日の道徳の授業に備えて聞いてみたのかもしれないし。


[12]>2 それでは・・・ life_of_it

周りの人から悲しいとかつらいとか思われない人は殺してもいいのか。という疑問があがりますが、どうでしょう


[13]倫理観とは何か sami624

本質的な趣旨を考えるのであれば、倫理観とは何かというところから考えないといけないでしょう。生命尊厳とは何か、人間の自由の範囲と自由を得るための義務は何か。前回の質問ではそこまで掘り下げられていなかったのでは。


[14]前提の曖昧さ jundas

その問いのオリジナル(?)はテレビの討論番組で高校生が発したものらしいですが、

個人的にはその問い自体に誤解があるのでは、と思います。


なぜなら、「人を殺してはいけない」という前提が非常に曖昧なものだからです。

端的に言うと、「オレが誰を殺そうとオレの自由だからオレは殺すよ」とのたまうような人に対しては、

元をたどると各個人の道徳心だったり倫理観だったり教義だったりする

「人を殺してはいけない」は意味を成さないでしょう。


もちろん、上で挙げたようなクリミナルタイプな人はごく稀で、大多数の人は道徳心や倫理観や教義などの以前に、

生理的・本能的に人を殺すことに対して嫌悪感を持って(「人を殺してはいけない」と思って)いるはずです。

(その嫌悪感や嫌悪感をトレーニングによる条件付けにより克服、「戦争における人殺し」を生み出したことについて、

参考図書→http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480088598/249-0319...)


しかし、なぜ生理的・本能的に「人を殺してはいけない」と感じるのかはよくわかりません。

やっぱり種の保存とか自己投影とかでしょうか。すいません。


あと補足ですが、「オレが誰を殺そうとオレの自由だからオレは殺すよ」といった人は

普通まわりの人間に殺されたり排除されたりするでしょう(字義通りまたは社会的に)。

たいへん応報的・予防的です。無論、現代では刑法などがその役割を果たしていますけれど。



参考url:http://news.moogle.biz/archives/2006/02/152223.html

http://www.ywad.com/books/235.html


[15]おそらく・・ ZAZAE

もし「人を殺しても良い」と仮定したとしても、

他の人々の回答と同じように、他人を殺すと因果応報で

自らの身に返って来るということが、

周知の事実つまり常識として認められ行動が制限されるということ

なのではないかと思います。


[16]人を殺してはいけない nyc5jp

人を殺してはいけない

なぜならその人の未来を奪う権利は誰にも無いから


[17]「常識」に挑戦してみたかった、でも「俺が殺されたくないから」が多数派になればおしまい TomCat

誰しもが「常識」と認めることに対して理由を問い、

実はこんな常識は無根拠なんだと主張してみたかった、

ということじゃないでしょうか。

でも、常識っていうのは必ずしも真理に立脚した

普遍的な根拠を持っているわけじゃない。

一人一人の都合が大枠で合致して多数派を形成していけば、

それで常識というものは成り立っていったりするんですよね。

だから「俺が殺されたくないからだ」という人が多数派なら、

じゃ殺しちゃいけないんだ、という結論に落ち着いて、

それが常識となっていくわけです。

もちろん現実はもっと高度な倫理観によって、

「人命は尊い」という考え方に

きっと普遍的な真理が存在するはずだ、

と考える人たちが、この常識を支えているものと思います。


[18]使える質問 sukeshi

そっち側の人かこっち側の人かを区別するのには最適な問いだなぁと思いました!


[19]倫理的な問題に論理的な解答はないという見本 akagi_paon

「なぜ人を殺してはいけないのか?」

これは人の行動の善悪を問う倫理的な問題です。

この種の問題はあるイデオロギーの上に成り立っているものであり、

道徳、宗教、社会通念などの立場からならば説明可能でしょう。

しかし、これらのイデオロギーの上で、「人を殺すことは悪である」という命題は

非常に根源的な位置にあり、例えば「神がそう定められたからだ」などという解答しか

得ることはできません。

このような解答は、イデオロギーの外にいる人間(もしくはイデオロギーを

外から眺めることのできる人間)にとっては、納得のいくものではありません。

したがって、より一般的にみんなが納得できる解答を得るため

この問題をイデオロギーに関係のない純粋な論理で解こうという試みがなされるのです。

しかし、そもそもこの問題はイデオロギーの上に成り立っているのですから

そのイデオロギーを取り去ってしまうということは問題の前提条件を

壊してしまうことになります。

前提条件の崩壊した世界で問題を解決しようとする行為は

公理系の無い世界で何かを証明しようとすることと同じです。

すなわち、それは不可能なのです。

それに気づかずに何か解答を用意したとしても、

その解答には必ず論理的に不備が存在するでしょう。

ある人が解答し、その不備をある人が指摘する。

この繰り返しによってこの種の問題は解決を得られないまま

延々と議論が続けられているのです。

納得のいく解答を永遠に得られないままに。


[20]アクセスアップ手法の一つ michiaki

として有効だと思います。


[21]>10 愚問の壁 uochoco

>「自分がされて嫌な事はするな」

掲示板に何か意見を書いたら反論を受けて嫌だったので、「自分の意見に反論を受けると嫌なので、他人の意見に反論しない」ことは私にはなしえません。自殺する人がいるんだから、ころされたい人もいるかもしれません。自分がころされてもいいからその前に他人をころしたい人も。


[22]わたしはこう思う yamayan1967

この質問は『何故生きるのか?』と同じぐらい単純で複雑。

この手の質問は答えは無く人の数だけ答えがあるとおもう。


[23]昆虫や他の動物の共食いは、どうなの? muramatsu1988

追い詰められたら仕方ないじゃん。


[24]>5 なるほど。 konekonekoneko

残酷な空想と。


[25]>19 なるほど。 konekonekoneko

倫理的な問題に論理的な解答はないという見本 と。


[26]>14 なるほど。 konekonekoneko

前提の曖昧さ があると。


[27]>10 なるほど。 konekonekoneko

愚問だった と。


[28]>17 なるほど。 konekonekoneko

実はこんな常識は無根拠なんだと主張してみたかった と。


[29]>13 なるほど。 konekonekoneko

倫理観とは何かというところから考えないといけない と。


[30]>22 なるほど。 konekonekoneko

単純で複雑 答えは無く人の数だけ答えがある 問いだと。


[31]>20 なるほど。 konekonekoneko

ネット上では アクセスアップ手法の一つ と。


[32]>19 なるほど! T-pon

すばらしぃお答えですね☆

それで、イデオロギー自体の存在理由の考察へと移っていくわけですね。


[33]>13 似たようなトピックで T-pon

『なぜ自殺してはいけないか』の方では結構深い議論までなされていたと思いますょ


[34]>21 そいう事です。 fuk00346jp

自殺する人がいるんだから、ころされたい人もいる

これまた結構居まして、日本の法律ではこういう人を殺すと「自殺ほう助罪」となります。

自分がころされてもいいからその前に他人をころしたい人

居ましたねぇ、死刑執行されちゃいましたし。



それでも死刑を執行する人は仕事として殺人をしなければならない。

http://share.dip.jp/soba/soba0007.html

処刑場へ連行し、首に縄をかけ、ボタンを押し、遺体を清め、納棺する……この執行を実際に行うのは、拘置所の職員です。

生身の死刑囚ともっとも身近で接し、日常的な交流のある職員に執行もまかされているのです。

床板を開けるボタンは複数あり、一個のみが本物です。何人かが同時に押すことで、罪の意識を和らげるためだそうです。


[35]>12 放送内容の詳細 harasima

http://dramanote.seesaa.net/article/15039585.html

そして、英二の首に手を伸ばし、力を入れる。

「教えてあげる。

なんで人を殺しちゃいけないか。

死ぬ時は痛いからよ。苦しいからよ。

死にたくないって叫びたくなるからよ。

これが痛みなの。

あなたが今まで他の人に与えてきたものなの。

人は死んだら、もう家族にも会えないの・・・

友達にも会えないの・・・

その人の大切な、夢や、希望や、思い出まで、

全部消えてなくなってしまうの!

この世に生きている人の未来を奪う権利なんて、

誰にもないの!

だから!人を殺しちゃいけないのー!」

泣きながら訴える真矢。英二も泣き出す。


詳しくレビュー(?著作権がらみで何とも・・)している

所は評価できますが、ブロガー本人の意見は無視した方がいいです。(あまりにチンブ)

「女王の教室」での、詳細発言ですが、(私も実際ドラマ見ましたが、先生と生徒の殺し合いで、先生が自分の子供をなくしたのとシンクロして、いじめっ子がクラスの弱いやつに自殺を勧めて、実際に自殺してしまったことをふまえて(結局生徒は命を取り留めましたが)の上記の発言です。

もう、先生の方は、頸動脈かすれて、生徒から金属バット・木材などで殺人未遂を起こして流血の惨事です。

そういう背景を知った上で、上記の「人を殺してはいけない理由」はいかがでしょうか?


[36]>19 あたりまえとは何か ROYGB

「人を殺すことは悪である」という命題は非常に根源的な位置にあるというのは同感ですが、ではなぜ根源的なのかと考えてしまいます。

そういう根源的な物が何なのかを問うているのではないかと感じました。

例えば、もし道徳、宗教、社会通念などの立場が認めるとしたら人を殺すのか? それに対するためらいは何も無いのか。そうで無く、それでもなお人を殺すことをためらわせるものがあるのならば、道徳、宗教、社会通念以外の「何か」があるのではないかということです。

また、「人を殺すことは悪である」というのが本当に根源的なものであるならば、それを行うことを認める倫理はいかにして成立し得ているのかも考える価値があると思います。


「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いを一般化すると、当為命題の理由を問う物になると思います。それに対し、事実から当為は導けないと説明しても「なぜ」に対する答にはなりません。「当為」とされていることが当為であるのはなぜなのか、もしくは何が当為であるのか、そして何が当為で無いのかという疑問が残るからです。


[37]少し見方を変えてみては如何でしょう tiberius

なぜ人は人を殺してはいけないのか.その問いを,なぜ人は人を殺してはいけない事になったのか.そう問い直してみては如何でしょう.答えになっていないかもしれませんが.

そもそも人が社会という共同体をつくって生活するようになったのは生き残る,あるいはより豊かな生活をするためだと思われます.そのような共同体内において,個々人が自分の意見を通すために,あるいは気まぐれに相手を殺してしまうような状態は,共同体としては不利益です.構成員は減ってしまいますし,おちおち安心して寝てもいられません.

そういう事情から,「人殺しはやってはいけない事にしよう」という発想が生まれたのではないでしょうか.言わば,共同体の利益を守るためのお約束ですね.ただ,そう言ってしまうと身もふたもありませんから,倫理や道徳,宗教という衣をつけて刷り込んでいったのではないでしょうか.人殺しは理屈なしに良くないことだ,と.

ところで,人が人を殺しても仕方ないとされる例があります.代表的なところで,死刑と戦争ですね.非常に凶悪な人間がいた場合,共同体全体の利益を損ねるのは問題だから,その人には死んでもらおう,というのが死刑.自分と価値観の異なる共同体との間で,自分達の利益を守る(あるいは伸張する)ために,人を殺すのが戦争.いずれも共同体の利益が人を殺してはいけない,という倫理を超える例です.

これも,倫理ができた背景を考えてみれば理解しやすくなります.共同体全体の利益を守るために倫理を作ったわけですから,共同体の利益を著しく損ねる存在があった場合には,倫理が必ずしも優先されない.どちらがより,共同体にとって得なのか,が判断基準になるわけです.いくら倫理を声高に叫んでみても,共同体の利益を損ねてしまっては倫理が生まれた意味がありません.

こう考えてみると,人が人を殺してはいけない,というのは共同体の利益を守る実利上の要請から始まった価値観,または約束のように思われます.ただ近年は,この約束が非常に重くなってきているのも事実です.難しいですね.

人は一旦,ある事を信じて込んでしまうと,なぜそれを信じるようになったのかを考えなくなるものだ.そんな箴言を思い出しながらつらつらと書きました.


[38]恐怖 Sholmes

快楽のために人を殺してはいけない

生きるために人を殺すのはいいも悪いもない。仕方ない場合もある

となる

快楽殺人には完全にNOといえるが

それ以外は、仕方ない場合もある

としか答えようがない

無理に答えたところで

無理な質問からの答えであるのだから

まともな答えがでるわきゃないじゃないの・・・・


[39]読んで字のごとく mebi

納得できる答えが得られないからの質問でしょう。

NHKのしゃべり場で以前似たようなことがありましたね。

常識だから、法律で犯罪としているから、警察に捕まるから、

等々、殺してはいけない理由は色々あげられるけど、

決まり、常識的なもので、本当の理由には思えない、決まりごとなければ良いのか的な討論でした。

この質問も結局真の理由に辿り着けてないのでは。

ちなみに、人を人が殺してはいけないのは、皆、同じ命だから、

どんな理由があっても、奪って良い命、奪われてはいけない命の差があってはいけない。命は平等であると思うのですが。


[40]結局、よくわからん masatoshi-y

人を殺していけない理由として良く聞くことは

「自分が殺されたら嫌でしょ?」って言う人がいる・・・

しかし、「殺されてもいい人なら人を殺してもいいのでは???」

と思うわけですよ・・・

だから、結局よくわからないという結論に至るのですが・・・

どうでしょう????


[41]『人』の解釈次第ではないかな、と。 syn_cc

この設問には『人』が2回でてきます。

この設問に答える人が、この『人』を「どのように解釈するのか?」を見るための設問、という風にも考えることができますね。

インパクトのある単語で構成されていますが、いわゆる『心理テスト』といわれる設問と、あまりかわりがないのかな、とも思います。

個人的に答えるなら「人は人を殺してはいけない」という命題については「偽」と答えます。

詳しく説明するなら、

  1. 『人』は、自分を含むヒト科の霊長類の全てのことを指す。
  2. 『人』は、自己の生存を志向する。
  3. 『人』は、生存のために集団を形成する。

この3点を定義した上で、

『人』である自分は死にたくないので、自分を含めた『人』を殺すべきではない。

自分の生存が、他者に脅かされた場合、属している集団の生存を脅かさない範囲で、抵抗する。この場合、殺すこともありうる。

と答えるでしょうね。

ぶっちゃければ「ワリにあわないよ」と。


[42]要は、 janna

世の中には深く考えない方がいいこともある、という一つの例。


[43]>41 なるほど konekonekoneko

命題については「偽」であったと。

『人』が2回出てくるところにも視点を持ってきたのは回答者では始めてです。


[44]>39 なるほど konekonekoneko

納得できる答えが得られないからの質問 と。


[45]自由と権利 kasa0

基本的には人が何をやるのも自由ですが、(双方による契約がないかりぎ)他人の自由や権利を奪う権利はありません。

なので、他人(の生きる権利)を殺す(奪う権利)ことはできません。


仮に他人を自由に殺せるとしたら、人はみな殺されないようにいろいろな労力を費やす必要がありますが、そんなことに労力を費やすよりも他の事に労力を費やす方が、豊かな暮らしができるので、お互いに殺すのは止めようという事になったのだと思います。


[46]>20 なるほど kokezaru753

アップ自体にも驚きましたが、

”壁”などをはるかに飛び越えた着地で衝撃でした。

完璧ですm(__)m


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