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経済について、ちょっとしたことを思いつきました。
内容は拙ブログのエントリを見てください。
http://d.hatena.ne.jp/gushoukuuron/20060331
このような発想が与太話に過ぎないものかどうか、批評をお願いしたいと思います。ただし、論拠は示してください。
また、他にもどなたか似たような考えをお持ちの方の書籍・HP等ありましたら紹介してください。

●質問者: gushoukuuron
●カテゴリ:政治・社会
✍キーワード:いもの エントリ 批評 拙ブログ 書籍
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 8/8件

▽最新の回答へ

1 ● TomCat
●30ポイント ベストアンサー

大変共感できるご意見です。

この考え方が公共事業などにも適用されれば、

環境アセスメントは予算が決定する時点で

完了していることになりますから、

自然保護と開発のバランスが自動的に取れることになってきます。

また、「エン」を稼ぐことと同じように

「エコ」をより多く保有するということに

企業の目標や人の生き甲斐が設定されるようになると、

企業は自然を回復する手段として土地を求めるようになり、

環境対策のための設備投資が「エコ」で評価される資産となり、

個人の生活は省資源に努めることによって

「エン」の節約と「エコ」の取得という二重の励みになり、

「エコ」を保有しやすい農業や林業が

青年の憧れの職業になってきたりします。

これで過疎の問題も解消に向かいますし、

もとより「エン」には恵まれていなくても「エコ」には恵まれている

山間部などを多く抱えている地域が豊かになります。

ただ一つ気になったのは、「エコについてのルール」の

  1. 「エコ」は「エン」と違って稼ぐものではない。誰も無条件に同額与えられる。

という点です。

実施初期の「エコ」はそのようにあるべきでしょうが、

環境というものは努力により回復できるものですから、

その努力に応じて「稼ぐ」ことも可能とすべきであると。

つまり、企業努力によって環境回復の実績が上がれば

その環境影響評価によって相応の「エコ」が取得できる。

あるいは個人生活においても省資源率の確定申告を行うなどすれば

それに見合う「エコ」が還元される、といった仕組みが

望まれるところだろうと思います。

なんにしても、このアイデアは実際の政策にまで高めていける

現実的な展望がありそうです。

経済学者、政治学者、法学者、生物学者、林学者、農学者・・・・。

ネットには様々な叡智が集まっています。

どこかにフォーラムでも立ち上げて、

ちょっと真剣に研究してみるといいかもしれません。

うまくいくと、これは「環境資本主義」といった

新たな経済の潮流になっていける可能性があります。

大切なのは、これを単なる「制度」として考えていくのではなく、

科学的な論理性のある「経済学」として

この考えを高めていくことでしょう。

面白くなってきそうです。

◎質問者からの返答

TomCatさん、お待ちしておりました、と思う間もないほどのすばやい回答ですね。ありがとうございます。

拙ブログのコメントにも記した通り、着想をしたのはいいけれど、その着想の評価もわからず、あまつさえ着想を生かす術などまったく私にはありません。ですから、

>どこかにフォーラムでも立ち上げて、

>ちょっと真剣に研究してみるといいかもしれません。

となればいいな、とは思うものの...

着想を生かすにはどうすべきかという方法を伺いたいと思いますが、それ以上に私の着想を生かしてくださる方がいれば、と思っています。もちろん、TomCatさんご自身なら大歓迎です。


2 ● gettoblaster
●15ポイント

拝見しました、面白いですね。

エンとエコの交換市場が成立するとすると、エコも一種の通貨となり、エコをエンの裏付けなくに世界中に供給すれば、世界中の通貨供給量が増し、世界中でインフレが起こると思います。

また、発行量が決まっていると、ある種の金本位制に近い形になり通貨政策のようなものが取れないため、景気変動の調整が難しくなるかもしれません。

また、エコに課税がない場合、実効税率が下がることになるため、課税をした方がいいでしょうし、利子を付けないと貯蓄のインセンティブがなくなり、逆に限界まで資源を消費することになりそうなので、機能面ではほとんど通貨と一緒になるのではないかと思います。

発行量が固定されておりレートの調整機能を持たないのでエン交換レートはボラティリティが高そうなので、先物市場もあったほうが、エネルギー産業がヘッジしたりする上でよいのではないかと思います。

でも環境インセンティブと所得の再分配(新分配?)が同時になされるのはいいですね。通貨との交換がないと、配分されても使えない人が多そうですし、通貨と交換すると難しいことも色々出てきそうです。

金のある国から金を取って、その裏づけの上でエコを発行し、公平に分配する。ということにして、総通貨供給が増えない形がよさそうな気がします。そうすると政治的には導入がより難しそうですが。

◎質問者からの返答

回答ありがとうございます。けれど、正直言いまして、私にとってはすぐには理解できかねる内容です。勉強してみます。

もとより「政治的」なことを私は考えていません。また、着想には政府の役割りというファクターが抜けていることも自覚しています。TomCatさんの返答ででも記したとおり、これ以上は私の手に余ります。

質問をしておいて不真面目だと思われたらお詫びしますが、私の望みは、私の着想が皆さんの思索の刺激になれば、というところにあります。


3 ● seble
●30ポイント

この発想は現在のCO2取引とあまり変わる部分がないように思えます。

結局のところ、国家による総量規制を個人に広げただけであり、アメリカのようなGNPの多い国が第3世界の貧困国家から排出権を買い取るように、金持ちが貧乏人からエコを買い取り、好き勝手するだけのように思えます。

全体量を規制する考え方も同じなのですが、現在の排出量では環境的に良くない事から、削減されるだろうと思います。

となると、売ってしまった貧乏人には生活に必要なだけのエコは残らない計算になります。

つまり、冬になっても暖房を使えず、電気の使用も制限されるでしょうから、豊かな生活などほど遠いという事になってしまいます。

とにかく、問題点は、現状の化石燃料使用量があまりに多すぎる点にあります。

日本レベルの使用量は極端に多すぎるのです。

ですから、全体を減らすには、日本の水準を大幅に落とすか、他国(日本だけを基準にすれば1億3千万人分)の水準を今よりさらに落とす以外にないのです。

つまり、全体のパイ自体があまりに少なすぎるために、全世界でそれなりに平等に分配する事自体が不可能な状況にまでなっています。

総量規制などの考え方が、産業革命以前に確立していれば話は違ったかもしれません。

しかし、現在では完全に後手に回っています。

たぶん、ほとんど手遅れ状態であろうと思われます。

今後、よほどの発明でもされてエネルギー革命が起こるか、本当に石油が枯渇しない限り、CO2削減はままならず、どんどん環境破壊が進むものと考えられます。

そして、状態が破滅的になって、初めて強力な規制が可能になり、その時点から徐々に環境が回復していくように思います。

少子化も自然の摂理なのです。(日本だけのようですが)

現在の科学水準で40億からの人間が豊かに生活していく事は不可能なのです。

中国がちょっと経済成長して石油を使うようになっただけで、ずいぶん影響が出ています。

それだって、その恩恵を受けているのは数割程度でしょう。

これが中国全土に広がり、さらに他国も成長するような事になれば、国家でも個人でも総量規制など、全く不可能になります。

◎質問者からの返答

回答ありがとうございます。

>この発想は現在のCO2取引とあまり変わる部分がないように思えます。

>結局のところ、国家による総量規制を個人に広げただけ

その通りです。けれど、単に個人に広げただけではありません。TomCatさんが指摘されている通り、個人のレベルにまでもってくることで、個人個人の省エネへの動機付けがなされるのではないか、と考えたわけです。

現在、エコロジーな社会への移行が叫ばれていますが、その訴えかけは個々のモラルに対してという面が大きい。けれど、モラルへの働きかけでは不十分だということは明らかだと思います。

人は所詮は個々の欲で動く生き物です。エコロジー社会へ移行するのであれば、その欲を利用しない手はないと考えます。

>売ってしまった貧乏人には生活に必要なだけのエコは残らない計算になります。

そういう事態は想定されると思います。けれどこれは、エコとエンの交換レートによると思います。エコが希少なものになると当然円に対する交換比率は上がる。そうするとエン持ちが身勝手にエコを消費するためには多くのエンを支払う必要が出てくる。そうなれば貧しい人々は少ないエコで多くのエンを手に入れられる...。市場メカニズムとはそういうものだと、私は単純に理解していますが、この理解に誤りがあれば指摘してください。

総量規制については、その必要があるとは思うものの、それ以上のことはよく分かりません。仮に実現するにとして、非常に難しいものだということを察することができる程度です。過大な期待かもしれませんが、エン・エコの論議が総量規制へのインセンティブになってくれればと祈るばかりです。


4 ● komap2
●15ポイント

面白いですね。

現在進行されている環境税のような形とは違う新しい発想です。

実現出来れば理想通りの世界になるのではないかと。


ですが、共産主義と非常に似ており、あくまでも理想論だと思います。


>>1.「エコ」は「エン」と違って稼ぐものではない。誰も無条件に同額与えられる。

まず大前提として、算定が非常に難しいということ。

石油の量でさえ、あと20年とかあと100年とかほとんど推測出来ていない状態で、一人当たりのエコの量を決定するのはまず不可能です。


そして、エコを他の人よりもたくさん使わざるを得ない人がいます。

例えば、首都圏に住んでる人は車に乗らなくても電車や徒歩で生活をすることが出来ますが、田舎に住んでいる人は車無しでは生活が困難です。

そう言った人達がエコを出来るだけ使わないようにするには、都会へ引っ越しをするしかありません。

過疎地域は今以上に過疎地域となり、過密地域は今以上に深刻な問題になることは間違いないでしょう。


「必要エコ量」は人によって違うのです。

足の不自由な人が毎日車に乗らなければいけない状況。

医学の研究をしている人が実験で廃棄物を生み出す状況。

これらを制限していいものか、疑問です。


ですから、誰でも一定の量ではなく、場所や状況によって変動する必要があります。もちろん日本以外であってもそうです。

しかしながら、あれもしょうがない、これもしょうがないと言ってエコ量を変えていくのでは現在の状況となんら変わりはありません。


おまけに人口はどんどん増えていく(=エコの量だけ増える)わけですから、明らかに「資源」より「エコ」の量ばっかり増えていきます。

となると、常に個人のエコの量を減らしていくしかない。

『比率で減っていくのなら、先に使っておいた方が得』という論理的な考えが発生し、余計環境汚染が進むとも考えられます。


>>廃棄されることになるモノは、「エン」での価値は0になっても「エコ」価格は残存する。

物体として残るゴミならいいですが、二酸化炭素となった石油にエコ価格をつけるのは不可能です。

そして、ゴミに見合ったエコ価格にならなければリサイクルは成立しません。

だからといってエコ価格を高額にしてしまってもリサイクルとして成立しません。




と、いうように、現状ではあまりにも現実とは離れている案です。

しかし考え方としては理想的ですので、改良を重ねることで現実的な案に変えることも出来るかもしれません。

◎質問者からの返答

回答ありがとうございます。

>しかし考え方としては理想的ですので、改良を重ねることで現実的な案に変えることも出来るかもしれません。

私が回答者の皆さんに期待しているのは、まさしくこの点です。私とて、私の乱暴なアイディアがそのまま実現可能とは思っていません。改良すべきは改良する。もしくはどう改良しても使い物にならないのなら、それをはっきりさせる。その評価をお願いしています。

>「必要エコ量」は人によって違うのです。

もちろん、その通りです。ですが議論の出発点をそこにおいてしまうと、何ものも生み出せないのではないでしょうか。この点については、

>しかしながら、あれもしょうがない、これもしょうがないと言ってエコ量を変えていくのでは現在の状況となんら変わりはありません。

としっかりご指摘いただいていますが。

2点、ご回答に違和感を持ったところを指摘させていただきます。

>過疎地域は今以上に過疎地域となり、過密地域は今以上に深刻な問題になることは間違いないでしょう。

私自身過疎地域に暮らしていますが、その感触からするとこれは違うと思います。過疎地域にはエコを重視するインセンティブは存在します。ただそれは埋もれているのです。エンを重視するインセンティブの下に覆い隠されてしまっています。たとえば田んぼで自分の家族が食べるだけの米を生産するとして、それを損得勘定(エンとエコでいえばエンの尺度で)でいけば、、現下の日本の状況では

明らかに損になってしまいます。けれども、自分の食べる米を自分で作るというのは、エコロジカルな行為なのです。このようなエコロジカルな行為が損得勘定で、得になるような制度を設けたい。エンによる損得勘定に対抗できるインセンティブを与えることができなたなら、過疎地域が本来持っている地力が発揮される。私はこのように考えています。

>まず大前提として、算定が非常に難しいということ。

これはその通りです。けれど、エンエコ社会を目指すという方針がもし仮に固まれば、許容量を算定するというインセンティブは大きなものになるはずです。ここらは期待するとしか言いようがないことですが、ここに期待できないようでしたら人類の未来はないのではないでしょうか。

それに何も厳密に算定する必要はないのです。算定量は「お約束」であっても一向に差し支えありません。そのお約束の中でうまくまわればよいわけです。現在の通貨供給量にしても「お約束」ではないでしょうか。必要な通貨供給量の厳密な算定など不可能でないですか? 必要な通貨供給量を厳密に算定しなくても、経済はまわっていきます。

このように書くと、通貨量は変動するから良いのだ、という回答が帰ってきそうですが、考えてもらいたいのは、それは人間社会の勝手な都合でしかないということです。その人間の勝手な都合にもはや地球環境が耐えられなくなりつつある。ですから、固定量としてのエコの導入が必要だとの発想になるわけです。


5 ● sami624
●30ポイント

1.かなり前提条件が複雑な理想社会ですね。

2.先ずエコに違反した場合の法的措置を明確にしないと、今以上にゴミの不法投棄が増加し、環境破壊に収拾が付かなくなるでしょう。

3.そもそもの前提として性善説が根源にあるようですが、このように個人に負担がかかるような政策は、脱法行為が横行するので、厳しい処罰の法制化並びに取り締まり方法の徹底をしないと実現は困難となります。

4.エコを必要とするのは、個人よりも企業のほうが圧倒的に多いでしょう。この場合は企業が個人からエコを購入しようとする行動が発生しますが、そもそも企業が自社の労働者から強制的にエコを回収した場合や多大な従業員を雇用している企業が、従業員から強制回収したエコを不当な金額で売却することで利益を得た場合など、どのように取り締まるかと言う問題が発生するでしょう。

5.考えの前提として、個人行動を主体に考えていること、性善説を根底に考えていることから、法人の対応・違反時の罰則対応、と言ったことを整理しないと実現は困難でしょう。発想は面白いのですが、全体像を見る必要がありますね。

◎質問者からの返答

回答ありがとうございます。

私の考えの前提が個人行動であるのはご指摘の通りです。ですが、性善説が前提ではありません。

性善説に立つならば、環境問題への対応は人々のモラルに訴えればそれで済むわけです。けれど、モラルだけでは環境問題は解決し得ないのは明らかです。そこでむしろ性悪説に立ち、人間は所詮は自らの私利私欲を優先するという前提で、環境問題および富の再配分の問題を解決するためのあらたな物差しを導入しようというのが、私の発想の趣旨です。

>厳しい処罰の法制化並びに取り締まり方法の徹底をしないと実現は困難

罰則のことについて触れられていますが、どのような社会であれ、規範に逸脱した行動を取る者はいるわけで、罰則の必要としない社会は私の掲げる理想以上に理想の社会でしょう。ただ、私の掲げる理想が罰則の強化でしかもたらされないというのであれば、もうこれは私の理想ではありません。

>エコを必要とするのは、個人よりも企業のほうが圧倒的に多いでしょう。

この点は、私は違うと思います。企業の目的は消費者に消費してもらうことです。経済の流れの途中経過で企業がエコを必要とする場面はあるでしょうが、それは最終的には消費者に還元されていくものです。エンならびにエコの会計計算は企業にとっては非常に複雑なものになるでしょうが、IT技術の進展を考慮に入れるならば、複雑な計算もクリアできると期待を持ったとしても過剰な期待とはいえないのではないでしょうか。


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