人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

創価学会について、反感・嫌悪感その他の問題意識をお持ちの方に伺います。
勧誘・選挙運動関係以外で、創価学会の問題点を具体的に教えてください。
また、「政教分離原則違反」との回答は不要です。
よろしくお願いします。

●質問者: juniorsenior
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
✍キーワード:創価学会 問題点 嫌悪感 意識 政教分離
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 8/8件

▽最新の回答へ

1 ● nano327
●35ポイント ベストアンサー

反感や嫌悪感というほどのものではありませんが、町内会の組合の班の半分以上の世帯が会員さんらしく、会員さん同士の固まり具合にたまについていけないときがあります。

村八分にされているわけではないのですが、なんとなく疎外感を感じるし、気を遣うのでちょっと疲れます。

以前、葬祭関係の仕事をしていたのですが、そのときは犬猿の仲らしい某宗教とニアミスして、結構気を使った覚えがあります。

◎質問者からの返答

なるほど、どうもありがとうございます。

気を遣ったり、疎外感があったりするということですね。


2 ● goldwell
●35ポイント

私個人としては、創価学会は、まぁどっちかというと好きじゃないという程度なんですが。

昔、知り合いに家族で学会員という人がいましてね。

個人崇拝他宗教の排他意識に、ちょっとうんざりしたことがありました。

末端の会員がそれほど大事にしているということは、学会の大前提なんですかね。


そもそも「個人崇拝と他宗教の排他意識」って本来の日本人の意識に相容れないような気がするんですよね。

神前結婚式をやり、クリスマスを祝い、仏教で葬式をやっても平気でいられるし。

また、カリスマと言っても一時的なもので、組織運営なら集団の総意みたいなものを中心にってところがあるでしょう。


それなのにあそこまで会員数が増えるなんて、とても不思議な気がします。

個人的な感想ですいません。

◎質問者からの返答

どうもありがとうございます。

個人崇拝と他宗教の排斥にうんざり、ということですね。


3 ● sami624
●10ポイント

1.寄付金のご案内が凄いようです。何か1口10万円で正月明けとかは物凄い金額が集まるようです。

2.学会の倫理と一般人の倫理に多少ずれがあるのか、信教者の考えとは相容れない場合があります。

◎質問者からの返答

どうもありがとうございます。

寄付金と独特の倫理ということですね。

学会の倫理と一般人の倫理のずれとは、具体的にはどのようなものでしょうか。(上記の個人崇拝・宗教的不寛容のようなことでしょうか)

また、「寄付金・独特の倫理」が反感・嫌悪感につながるのはなぜでしょうか。


4 ● un-souya
●10ポイント

「嫌だな」と思って見ている訳ではないんです。(最初におことわりしておきます。)

「題目をとなえる」ことの根拠は、文底秘沈だという論拠になっているのですが、これはどうやら浄土経典に書いてあることが出拠として多く在るのではないかと感じるのです(他にも在るでしょうし、天台大師チギの教相判釈にあるかもしれません。)。それで、先ず「浄土教の教団各宗派をめの仇にしましょう」ということであって、浄土経典に親しんで学んでいくことが素直に出来るのかどうか不可解ですね。

「題目をとなえる」ことの力用を、なにを支えにして学び合うのか疑問ですよね。用(ゆう)をあまねく娑婆の衆生に至り届けさすことの出来るのは、事仏だけなのです。これは大方広仏華厳経を真如観の始まりとしている経典全部に通じることで、釈尊が事仏として語ったのは阿弥陀仏だけなんです。それと、仏の目的のみが衆生済度なんです(人が救うのでも教団が救うのでもありません。教えが実行性のある用を実践して救うのでもありません。)。これは、仏教学を学んでいったらいつか分りますので、学んだだけ「学んで失敗した」後ろめたい気持ちになりはしませんかね?自分たちの姿勢と仏教全体の折り合いがつかなくて、壁になって重くなりはしませんでしょうかね?根拠があるつもりでは支えにならない訳でして、経典に真実が書かれていることをシッカリ見ながら、学びあっていかないと弱い信仰になってしまいます。

「創価」っていう語法も、無理な印象があります。「価」は諸行の内で華厳の法界縁起にいう事法界の事法差別の分在分限から理法平等の性に後戻りできる用はないのです。つまり創価しても、執着の禍が強くなるだけな筈なんです。別に名前にイチャモンつけて腐すつもりは無いのですが、名前と悟りの境地のアサンガをどう折り合いつけたのか、教団として統一見解ってあるのでしょうかね?代表がおっしゃるので従いますいうのだったら何時までも通用しないのではありませんかね?これは、内部にも疑問に思っている方居られると思うんですが。「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。」って、知りませんでいくのでしょうかね。

どうも創価学会の人達は、唐の高僧伝は無視している様子ですよね。(知らなくても損をするような事ではありませんが。)

創価学会に喧嘩売るつもりないではありません(最初にも書きました)。創価学会と違う日蓮宗の寺の僧侶でこんな事訊いたり話したりしても大丈夫な知り合いがありますが、創価学会の信者さんがコレ見たら不快でしょうね。

「問題意識をお持ちの方」って質問にあるので、思っていること書かせて貰いました。

「『題目をとなえる』ことを入り口として、仏教に触れていこうというのは全然否定されるべきことではありません」ので、これも一言添えさせてください。

どうもすいません。


5 ● kubira711
●5ポイント

聖教新聞は弘法大師のいろはで書かれている。

これほど排他意識の強い集団で独善を押し付けるのだから

当然池田大作氏が考案した文字で書くべきである。


1-5件表示/8件
4.前の5件|次5件6.
関連質問


●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ