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戸塚ヨットスクール

●質問者: evangel49
●カテゴリ:学習・教育 政治・社会
✍キーワード:戸塚ヨットスクール
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 34/34件

▽最新の回答へ

[1]体罰は教育 sami624

6年経っても変わらないですね。

全ての体罰が悪いとはいえないが、死ぬような体罰が良いとはいえない。相手に応じて、相手が改心する程度の体罰であれば、容認できるのではないだろうか。


[2]いかなる暴力とも相容れないのが教育という世界 TomCat

ノルウェー出身のヨハン・ガルトゥング博士は、

人間の能力の開花を妨げる要因を「暴力」と定義しています。

つまり、人間の能力を育み伸ばしていくことが目的の教育と「暴力」は、

根本的に相容れない存在なんですね。

訓練と教育とは違うんです。

どうも戸塚さんは、そこをはき違えているフシがあります。

技能を身につけさせる訓練ならスパルタ式もまた良し。

しかし、それは教育とは違います。


[3]もうやめたほうが。。 sunafukinkin

ヨットスクールの協会とかないんでしょうか?

権利を停止した方がよいのでは。。


[4]今でも送り込む親がびっくり!! donpei

今でもやっていることよりね


[5]「わたしがなおす」・・・こんな感じの本だしてたよ?な・・・ Joe_Cool

思い上がりもいいとこ!


[6]>2 なるほど otayori

小さい頃に聞いたことはありましたが、

詳しくは知りませんでした。


[7]体罰とはなんぞや natu_gakita

体罰がすべてダメだとは思わない。

痛みを感じることで、相手に与える痛みも学べるし。

あるべきだと思う。

自分が痛みを知らないから、昨今の事件が起きると思う。

他にも教育、生活的な原因はあると思うけど。

でも、戸塚の体罰は違う。

人が死ぬような体罰は教育ではない。拷問。

彼が主張している

「業務上過失なら受け止める」

この主張が許せない。

もう出てきたことが、犯罪者に勇気を与えている気がする。


[8]先ずは法のコンプライアンス taka27a

法治国家である限りは、現存の法を無視してはどんな事業もなりたちません。体罰が全て悪であるとは思いませんが、それは体罰的な行為の受け手が、将来、どの様に感じるかによる部分が大きいと思います。ただ、未だに子供を預けに来る親がいるのも現実であり、どうしても続けると言うのであれば、カウンセラー、ドクターなど、医療スタッフとの連携が不可欠であるとは思いますね。精神修養はもちろん大切ではありますが、やはり客観的、科学的な教育というものも重要です。本来、躾けは・・・やはり親が責任を持ってもらいたいものですね。


[9]>7 戸塚氏は極めて再犯の恐れの高い人物 watena

彼が主張している

「業務上過失なら受け止める」

この主張が許せない。

もう出てきたことが、犯罪者に勇気を与えている気がする。

この考えに賛成です。彼は極めて再犯の恐れの高い元受刑者です。取り返しのつかないことが再び起こらないよう十分な監視が必要だと思います。警察をはじめ、児童相談所などの公的機関の役目がとても大切です。

それから戸塚ヨットスクールは政治家が後ろ盾についた聖域になっています。権力が犯罪をもみ消す古い体質に守られています。こういう所に改革のメスを入れていくことが政府の責務だと思います。


[10] 非難よりも分析と代案が急務です。 adlib

かつて彼が《朝まで生テレビ 19900331 テレビ朝日》に出演したとき

「何ヶ月も独房で思索した者でなければ分らない」と放言し、大島 渚

(当夜の司会者)が「それじゃ議論にならん」と怒鳴っています。

わたしも、暴力と暴論を拒否する者ですが、この問題に関する世論は、

いささか論点が偏っている印象があります。

たぶん戸塚校長も、世論を掌握せず、自説が整理できていないのです。

彼の主張を(わたしなりに推測すると)こう云いたいらしいのです。

「ヨットスクールに連れてこられる少年は、大人以上の体格で、彼らの

家庭内暴力は、とても両親の手におえるようなレベルではない」

「ふだん、おとなしいときの少年を見て何だかんだ云う奴も、修羅場を

見れば納得するよ。彼らが暴れだすと、コーチ数人で取りおさえようと

して命がけの格闘になる。だから両親は、最後には和解したんだ」

ここで注目したいのは、彼は、教育的体罰というよりも、正当防衛を

主張しているらしいのです。多くの体罰は、いわば報復的懲罰ですが、

とてもそんな余裕はない、と云うのです。

少なくとも刑期を終え、社会的責任を果たしており、彼の信念までも

法は裁いていないのです。今後ふたたび同じ悪夢を再現しないために、

いまいちど彼の叫びを(論理的に)再分析すべきではないでしょうか。

裁判所は、彼の言い分を認めると、暴力全般を認めることになるので、

さりとて(体罰に代わる)教育的手法を示してもいません。

そこで支援者たちは「やっぱり体罰は必要だ」と云いたいのです。

とくに「戸塚ヨットスクールを支援する会」会長・石原 慎太郎の、

とても文学者とは思えない非科学的な論調には失望しました。

せっかく刑に服したのに、一歩も譲らない態度も、反社会的です。

http://totsuka-yacht.com/sankei.htm

── 石原 慎太郎《脳幹トレーニングをこそ

? 不登校や家庭内暴力からの脱出口 ? 19980329 産経新聞朝刊》

http://d.hatena.ne.jp/adlib/19830613

スパルタの海 ? 戸塚ヨットスクール事件 ?


[11]海陽学園 fmht7

日本初のボーディングスクールを自称し、世間から「日本のイートン校」などといわれているが、そういう進路を目指す人にはむしろこちらを勧めたいな。


#はいってみたら戸塚ヨットスクール以上のスパルタだったらどういう反応を示すんだろう、特に親達。


[12]石原慎太郎 fmht7

支援者なんだ。

ありそうだけど、どこまで了承してるのか、ちと疑問。


[13]彼は自分に体罰は行わない love-and-peace

彼は過失は認めてるんでしょ。しかも体罰は教育だという主張は撤回しない。すると、拘留は体罰じゃないから、彼はまず自分自身に「体罰」を下さないと示しがつかないんじゃないですかね。

体罰を否定する法制度のもとで「拘留されたのだから罪は贖った」と主張しても、2枚舌ですよね。


[14]「愛の鞭」は体罰や暴力とは完全別物 oo7

この区別もつかんのなら、暴力がどうの、体罰がどうの、と書くのは偽善の極みです。

念のため・・・「愛の鞭」は妖しいものじゃない・・・このくらいは分かってる?


[15]やりすぎ eiyan

何が愛のムチか?が理解されるか?の問題!


[16]>4 でも送り込まなきゃイケナイ位の momoirosango

すさんだ状態の子もいるんだよね。

このままだとヨソに危害加えてしまうとか

犯罪を犯してしまう恐れがあるとか・・・。

だからその前に更正(って言い方もアレだけど)させるって

意味では必要な施設なのかなと思いますよ。

ただ体罰は・・・どうなのかな?素手でやってお互いに痛みを

分かち合うならまだ良い気もするし・・・。

一応体罰反対派なんですけどね。


[17]>14 戸塚は偽善の極みか na_nancy_san

本人は愛の鞭と思いこんでいるが所詮偽善だから不幸な結果がおとずれたわけだ。

親にも出来ない愛の鞭を他人が出来るという思い込みがそもそもの間違いだな。


[18]>15 同意 muramatsu1988

理解できない


[19]>12 石原慎太郎 muramatsu1988

支援してるなんてアホ


[20]>4 そうですよね ogata88

今でも7人いるって言ってたけどどうしてやめないのか不思議で仕方ない


[21]今までどうりやるって言ってたけど・・・ ogata88

また行方不明者とか出るかもしれないってことじゃん。


[22]やりすぎ。 sakura19749

叱ったりすることは確かに教育だけれど、死人がでてしまうまで行うのはやりすぎだと思います。死んでしまったら教育なんて関係ないですから。。


[23]>1 同感 impetigo

体罰・・・ある有名人の子供が入学した時に、親が教師に向かって「死なない程度で宜しくお願いします」と言ったそうな・・昔の親も偉いです。


[24]4人の若者が無念の涙を飲んで死んでいる kubira711

この事実を決して軽んじてはならない。


[25]>14 ま、前半はその通りですが・・・ oo7

「親にも出来ない愛の鞭」というのは人間不信の表れですね。文体にも出てます。

信頼関係あってこその愛の鞭なのです。そうじゃなきゃ、「愛の無知」ってね。

お大事に。


[26]>25 後半もその通りだろ na_nancy_san

文体に表した「不信感」は、この発言がもしや

自分の加虐願望を戸塚に重ねてバーチャル的に満足させる

異常性を誇示したものではないかとものではないかという危惧を

表現してみたものだ。

もしそうなら痛烈な皮肉に取れるように書いたわけだな。

「親にも出来ない愛の鞭」というのは、愛の鞭を放棄した親たちへの言葉だ。

戸塚に頼った時点で親は子に対する信頼を喪失している。

この親にしてこの子ありの現実を認識せず戸塚にすがる親たちにこそ

猛省を促すべきという考え方の表明と受け止めてくれ。


[27]体罰は暴力か? Im_Me

少なくとも30代以上の人間は、学校や家庭で叱られてゴツン、が日常的にあったと思う。

で、それが更生の妨げになったか、というと殆どの場合「NO」だろう。

ガンダム世代で「甘ちゃん」と言えば「親にも殴られたことがないのに」であるように。

暴力という言葉に「不当」という定義がついてくる以上、「体罰は暴力か」そして「どこからが暴力か」(あるいはどこからが体罰でどこまでは教育か)というボーダーラインは生まれてくる。

正当な「ゴツン」は何ら教育や成長の妨げにはならないだろう。

戸塚さんは「体罰をする時には進歩、進歩と念じる」なんて言っていたが、それはちょっと違う。

それは体罰を行う方ではなく、行われる方が結果として認識してナンボ、なのだから。

むしろ、正当な「ゴツン」さえ否定した先に教育のゆがみが生まれている。なにしろ暴力は体罰だけではない。言葉や精神への暴力が、更生という目的さえ持たずに行われるのが常だからだ。力を用いなくても疎外感やネチネチとした嫌味を言えば逆効果だし、手放しで育てれば単なる我が儘のできあがりだ。

そして難しいのは、それが正当かどうか、を定めるのはあくまで暴力を行った人間以外だという事だ。

犬に例えて恐縮だが、犬への体罰は「鼻先をひっぱたけ」と言われる。何故なら犬は尻を叩いてもたいして効果がないから、弱点である剥き出しの鼻を攻撃するのだ。

これは一番効果があり、そして尤も安易な叱り方だ。

何しろ、犬にとって弱点である鼻を「叩かせる(触れさせる)」のは信頼の証でもあるからだ。

信頼しているからこそ、殴られる。その殴られた結果をまた信頼とみなすことができるかどうか。

少なくとも、暴力の先に「死」という更生とは正反対の結果が出てしまった以上、それは「正当な体罰(教育)」ではありえない。「失敗した」と認めるべきだと思う。

それも取り返しのつかない失敗だ。

戸塚さんの罪は、自分自身が「正当な体罰」を殺してしまった事にあると思う。

失敗しただけでなく、それを認めないことで、戸塚さんは教育者ではなくなった。

それは教育者と機関の多くを及び腰にさせてしまった。

彼の「自論を主張するためには反省をしない」意固地さに、石原慎太郎は親近感を感じたのだろう。

結果として間違った部分は、きっぱりと反省すべきだ。あくまで体罰は教育であり、その目的は更生であるならばこそ。

被害者の死を悼んでもやり方を変えないのであれば、それは反省ではない。失敗という結果をまっすぐに見据えていないからだ。

是非、自論が正しい方向へ認識される為にも、戸塚さんの「更生」が欲しい。

(誰かゴツンとしてやってくれないのかなぁ?)


[28]>24 その通りです TomCat

これは、たとえば特殊な宗教が修行と称して

人を死なせてしまったりすることと同じなんです。

社会と隔絶された閉鎖環境の中で、

特殊な主義主張に基づく異常な訓練が行われた結果、

尊い人命が失われている。

まさに反社会的なカルト宗教と同じことが、

ヨットスクールを舞台に展開されていたわけですよね。

政治家がバックについていれば許されるのか。

教育の名を借りれば許されるのか。

社会の良識が問われるところだろうと思います。


[29]>20 本人は やめたくてしょうがなくても taknt

親がやめさせないとか・・・。


[30]>23 暴力を制御するには y-mat2006

死んじゃってますよね。

戸塚氏のところでは。

安易な手段に見えるけど、暴力を制御するには、とんでもない技量が必要なのではないかと…

戸塚氏とか石原知事とかは、(もしかすると)ひとかどの人物かも知れませんが、彼らの手足となって体罰する側が、実際に、どれくらいの「人物」かわからないワケで。

体育会系によくある、上の立場にはへつらい、下には厳しくあたるような「空気」がある場合、手足となる側が、ついつい過剰に暴力を行使しちゃうってことあるんじゃないんでしょうか。


[31]教育とは imagaichiban

なんぞや、という話しのつづきがないだろうか。

教育というものが、明確に定義づけられない状態で、討論されているような気がする。

教育とは、(高い)ところから<低い>ところへと水が流れるように、動くことなのか。

価値が、高いところから、価値の低いところへと・・。


[32]>13 体罰は教育だと言うなら cdragons

戸塚さんに体罰が必要だということになりますよね。

人には体罰をして、自分にはしないというのは矛盾していますね。


[33]一種の宗教でしょうね。 noboru

この前のTVでの戸塚氏へのインタビューでそのことがよく分かりました。彼は「体罰は教育」だと信じているわけです。信じるに値するだけのそれ相応の体験(実際に体罰で更生した生徒がいたとか)はあるんだろうとは思いますが、それだけのように見えます。だからTVのインタビューでも自分の信じることをひたすら述べるだけで反論に答えることはできていません。「定説」であると言ってるあの人と大差ないと感じました。


[34]>16 非常に気になることは noboru

「送り込まなければいけないくらいの子」であると一体だれが判断しているのか、です。まあ、親なんでしょうけどね。じゃあその親は本当にまともな人間なのか? 子は親と同じような人間に育ってしまっただけなんじゃないの? とか、思っちゃいますが、まあ実際のところは分かりません。

まあしかしあんな所に親に言われたぐらいで素直に入ってしまう子供というのはかなりまともな子供だと思いますよ。少なくとも非行に走ってるようなやつがわざわざあの場所まで出かけていって入ったまま抜け出さないなどということは私の感覚からするととても考えられません。速攻で脱出して友達を頼って家出状態になるか、あるいは更に何らかの脱法行為で(たとえば腹が減って何か盗むとかして)捕まると思います。どちらにしても不良なのにあのスクールに留まるようなことは有り得ないと思います。とするとあのスクールに留まっている人達はおそらく体罰の必要性のないまともな人ばかりです。



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