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「no music, no life」というコピーがあります。

・この社会には耳の不自由な方もいる
・耳が不自由でもさまざまな方法で音楽を楽しんでいる方もいる

という点を踏まえてこのコピーについて自由に議論してください。

●質問者: juniorsenior
●カテゴリ:政治・社会 医療・健康
✍キーワード:Life MUSIC コピー 社会 音楽
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 18/18件

▽最新の回答へ

[1]音楽は耳からだけ? taka27a

体で感じる振動も含めてmusicという解釈でよいのではないでしょうか?音楽を「耳で」楽しんでいる人に触れる、音に合わせてダンスしている人を見て楽しむ、共に体を動かす・・・

耳出・・・以外にも楽しめるmusicはその辺にたくさんあるとは思いますね。


[2]議論自体必要ないのでは? Jamlittle

音楽は素晴らしい。

という主観をキャッチにしているだけなのに、議論を持ち出す意図がわかりません。

「No hearing, no life」なら嫌味ですが。


[3]「MUSIC」を「音」と定義するから ushikai

そのような狭量な疑問がわくのでしょう。

音とは、空気の振動に過ぎません。

しかし、そこから人間から得られる感情は、空気とは関係なく、脳に焼きつかれた、記憶・データなのです。

きれいな景色、絵画、芳しい香水、ほっぺたが落ちそうなくらい美味しい食べ物、それらと同等のものです。

頭で感じるのです。

だから、耳が不自由な方に失礼にはならないと考えます。


[4]>3 全くですね。 taka27a

「耳が不自由でも音楽を楽しんでいる方がいる。」のであれば、なおさら、music好きな人のためのno music no lifeでよろしいです。


[5]全く問題ないと思いますが。。。 kfc00326

「この社会には○○の不自由な方もいる」ということに重きを置けば、およそ人間の行為(というか動作)を含んだコピーは不適切ということになってしまうと思います。むしろ私には、2点目をわざわざ持ち出すことの方が、ちょっと偽善の香り(失礼)がして不適切に思えます。


[6]私はこう思います Raiden

「音楽の無い生活は考えられない」と言う意味だと思いました。

出題者様の付けられている和訳と違いますが…


[7]デフはそこまで小数ではない numaaki

自分自身や家族など身内に耳の障害がを持った人がいると、深く考えてしまうかもしれない。そう考えると自分もこのコピーは悪いものに感じてしまう。デフの人が一般的に考えるとそこまで小数ではないので、やはりこのコピーは控えるべきである。


[8]>6 和訳? taka27a

私は「音楽の無い人生なんてつまんねえじゃん!」くらいに感じます。


[9]>1 大阪フィルで gustav5

大阪フィルが耳の不自由な学生をたしかゲネプロに招待していました。耳以外からも音楽は感じ取れるわけでして、別に彼らは音楽と無縁ではないわけで、上記の方と同意見です。

ベートーヴェン自体、耳が不自由でしたし。


[10]>3 確かに。。。 konoha788

景色を見て、詩を感じたりするのと一緒ですね。

(詩をやってるもので、すみません)

歌手の表情とか音楽なんだなぁ。

勉強になりました。


[11]考えさせられました gto701634

このコピーについては、よくできているな思っていましたが、たった今まで耳の不自由なひとの立場について考えてもいませんでした。不自由なひとからしてみると不愉快に感じるかもしれません。

実際この広告を最近見ませんがやはりその筋から圧力があったのでしょうか?


[12]音楽のバリアフリー化に向けた作り手側の努力 TomCat

私は音楽が好きで、それこそ音楽がなければ生きている価値がない、

くらいの生活をしています。

でも、私だって中途失聴する可能性はある。

もし自分が聴覚障害を負ったら、それで私の音楽は取り上げられてしまうのか。

そう考えると、怖くなってしまいますよね。

「no music, no life」というコピーには、

たしかにそういう怖さが隠れているのかもしれません。

しかし、それじゃ、走ることが好きな人に、

走ることは爽快だ、生きている喜びを感じる、

と言ってはいけないのか、という話にもなってきます。

人は誰でも明日には障害を負う可能性があります。

出会い頭に車にでもはねられてしまえば、

もう明日から歩けなくなるかもしれません。

しかし、障害者スポーツは盛んです。

ある程度の運動機能があれば、ただのスポーツファンとしてだけでなく、

競技者としてさえ参加していくことが可能な時代になってきています。

今はもう、誰にスポーツの素晴らしさを語っていっても、

失礼でも何でもない時代になっているわけです。

「no music, no life」というコピーを考える時、

音楽にも、そういうバリアフリー化が必要ではないか、

という気持ちが湧いてきます。

耳で楽しむだけでなく、他の感覚でも楽しめる音楽性の追求。

そうして高めていく音楽性の新しい方向性。

これの確立が、これからのミュージシャンにとって

最も熱い分野になってきてもいいんじゃないかと。

たとえば、ただ、いい詞を書こうとするんじゃなく、

音に乗せなくてもそこに音楽のある詞を書いていく

というあり方を追求していくこと。

いい詞を書きたいというミュージシャンはたくさんいます。

そこを一歩進めて、それが音楽のバリアフリーなんだ、

というスタンスで書いていくということ。

この意識を持つだけで、ずいぶん時代は動いていくんじゃないかと思うんですよね。

あるいは、メディアミックスの取り組み。

最近は多くのミュージシャンが新曲のたびにPVを発表します。

これをただの宣伝用と位置づけず、映像として音楽を表現していくという取り組み。

映像だけを見ても音楽の持つメッセージが伝わっていく作品の追求。

楽曲の付属物ではなく、それそのものが独立した作品としてリリースされていくPV。

曲を作る時からそれを意識して作っていくこと。

これで、音楽の世界が何回りも大きくなっていくことでしょう。

そうした音楽の可能性を広げていく作り手側の努力が、

「no music, no life」というコピーを、

ただのレコード屋の宣伝文句から

普遍的な文化の基礎のひとつに格上げしてくれることに

なってくるのではないかと。

そんなふうに思ったりするわけです。

私はアマチュアですが、自分で曲を作り、歌います。

その立場でこのコピーを見る時、

作り手側の意識の改革が求められていることを感じます。


[13]耳が不自由でもさまざまな方法で音楽を楽しんでいる方もいる taka27a

のであれば、「やっぱり音楽っていいよね!」というコピーが、どう議論の余地があるのでしょうか?


[14]人間は、音楽がなくても生きていける ich-izen

実際には、人間は音楽がなくても生きていけます。それを逆手にとったコピーということが理解できれば、そんなに問題とされないと思います。

また、もし、このコピーに該当しない人が、このコピーを不快に思うとすれば、それは耳が聞こえない人ばかりではなく、音楽がそんなに好きでない人や、経済的にCDを買えない人も入るかもしれません。


[15]問題なし imagaichiban

楽曲、楽器。

といって、ピアノを弾けないものが、音楽に親しんでいないといえるであろうか。

意味を理解しないものが、語るべきでないとか。

動けないものが、スポーツを批判すべきでないとか、

はないと思う。

曲を作れなくて、不幸と感じるのだろうか。


[16]>14 と、いうことですよね。 taka27a

music屋さんのコピーですから、まあ「大げさ」なのはありですね。


[17]>1 楽しみ方は様々 pinkcandy

私もそう思います。

音楽とは耳から聞こえる音だけなのか?

英語でしゃべらナイトという番組で、耳が聞こえないけれど打楽器なんかを使って振動のリズムで音を感じ、パーフォーマンスするという海外アーティストが紹介されてました。

そのような人もいるのだから音楽=耳からのみという考えはちょっと偏ってると思います!

もっと幅広いものなんじゃないかなぁ?受け止める人にもよってくるんだと思いますね!


[18]考えすぎでは? kenex

私は「音楽のない人生なんて考えられない」みたいな意味に思います。

でも現実は音楽がなくても楽しい人生は幾通りも存在するし、言ってしまえば音楽がすごい好きって表現の最上級が「no music, no life」ってことだと思います。

だから質問者のような悲観的な考えは、逆に聴覚障害の方々を偏見の目で見ていることになるのかもしれません。

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