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裁判員制度に関係のある質問です。
日本の裁判では、被害者の被害の程度により加害者の罰則が決まるのではなく、加害者の犯行時の意識や、責任の有無により罰則が決まりますが、何故そのような法律の体系になったのでしょうか?

被害者の立場にたてば自分の身内が死亡した場合、傷害致死であろうが、飲酒運転での事故であろうが、殺人であろうが同じことだと思います。

なぜ罰則の法体系が加害者の立場で組み立てられている
のでしょうか? 裁判所・法務省に問い合わせてもまともな回答はありませんでした。
教えてください。

●質問者: taketaketp
●カテゴリ:ビジネス・経営 政治・社会
✍キーワード:事故 傷害致死 加害者 意識 殺人
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 10/10件

▽最新の回答へ

1 ● altezza2006
●16ポイント

http://www.moj.go.jp/SAIBANIN/

なぜ加害者の立場で罰則が決まるかというと、罰を受けるのが加害者であるからということです。

たとえば、人が亡くなった場合、被害者としてはどういう理由でも

なくなったことは変わりません。

問題は加害者の方が故意でしたのかやむ終えない(例、殺すつもりではなかったが亡くなってしまった)場合だったのかです。

世間の大半の方は殺人には代わりがないとお思いのはずです。

裁判員制度が導入され、もっと被害者よりの判決が決まることだと私は思います。


2 ● shivashanti
●16ポイント

「被害者の立場にたてば同じ」という考えは一般的ではないように思います。 交通事故も強盗殺人も一緒に感じる人は稀でしょう。

うっかり(過失)も故意も同じであれば、誰も車など運転しなくなってしまいます。

http://www.pref.kagawa.jp/police/suishinkaigi/kyouiku/shiryou/ji...

責任や意識をして「加害者の立場」という日本語はややおかしいように思いますが、強盗殺人のようなあきらかに利己的な行為は別として、「カッとなって刺した」などのような事件に対して殺意が有ったの無かったの言うことについては、確かにバカバカしいと思いますね。

◎質問者からの返答

回答ありがとうございます。

被害者を2種類に分けて考えてみる必要があると思います。

一つは、被害者に被害者になる理由がある場合です。不注意の飛び出しや、加害者への虐待がある場合などです。この場合は被害者の関わりにより刑の量刑が左右することは国民の納得があると思います。

もう一つは、被害者と加害者に何ら関係が無く偶然おきた事件などです。この場合が、被害者の被害の大きさで量刑が決められるべきかと思います。

責任能力がなかったなど不運を被害者にかぶせるのではなく、加害者に被せるべきかと思います。

お考えをお教えください。

よろしくお願いします。


3 ● aoun
●16ポイント

人力検索はてな - 責任能力って何ですか?責任能力がないとなぜ無罪になるんですか?


上記URLでも、少し似た趣旨の質問がありました。


拉致も無い欲望が動機で、理由も無く誘拐され、もてあそばれ、くびり殺されて、ドブ川に捨てられていた、犯人はそれを楽しんでいた、というような残虐な行為を受けた場合がありましたが、


それと、


非常に善良な人が、あろうことかたまたま、1杯のビールを飲んだだけの直後気をつけて運転していたら、避けるに避けられない飛び出し方をしてきた歩行者がいて、車は飛び出してきた者を避けて路肩の住居に突撃、しかし、避けきれず歩行者とオフセット接触、歩行者が転んだときに頭部を打って、頭部打撲が原因で死亡、というような場合もあります。


前者と後者とでは、遺族の方の怒りの度合いは、明らかに異なるでしょうし、傍から見ても、前者加害者と後者加害者を同じに扱いたいとは思いませんよね?。


例えば、江戸時代にこんなお白州裁判がありました。とても仲の良い叔母と姪が暮らしていました。叔母は20代、姪は10代です。当時は、夜テレビもラジオもインターネットもありませんでしたので、夏の夜には、叔母や姪達は、毎夜仲良く楽しく怪談話に花を咲かせて楽しんでいました。そんな日々、姪があんまり幽霊を怖がるので、叔母は一計を廻らしました。姪が寝てる部屋の縁側先の庭に、白い着物を着て、ぼさぼさの長い髪を振り乱し、幽霊の化粧をして、立って姪を驚かして幽霊の種あかしをして、姪と楽しもうとしたのです。

さて、叔母がそれを実行したとき、姪は怖さのあまり包丁を枕に忍ばせて寝ていました。叔母とは知らず、幽霊に驚いた純朴な姪は、包丁を持って幽霊に突撃し、「幽霊」の腹部を包丁で刺しました。

幽霊が叔母だったことを知った姪は、この上もなく悲しみ悲観にくれました。

この例ですが結果、時の町奉行が無罪に処しました。


上記は江戸時代の例ですが、つい最近でも、こういう例があります。


母親が死に、娘と父親だけの家庭がありました。娘が13歳になると父親は毎日のように近親相姦を無理強いしました。どこかへ逃げれば殺すというのです。言うことを聞けと。娘は18歳になるまでに2回妊娠・中絶させられました。父親は、次には近親相姦の歴史をバラされたくなければ、と娘を脅迫し、関係を迫っていましたが、娘が26歳になった時、父親は娘が結婚しようと交際しているのを知り、過去の歴史を相手方の男に暴露されたくなければ、自分との関係を続けろと脅迫しました。娘はこの時父親を包丁で刺し殺しました。娘は自首しました。

昭和の判例ですが、この時、裁判では、事実殺害が行われていたにもかかわらず、あらゆる法理を駆使し、結局無罪と同様の結果をたたき出したはずです。一度あなたもこの件を調べてみられてはどうでしょうか?。


このような理由で、罰則の体系が加害者の行為事実の内容によって変化する仕組みになっていると理解するとよろしいかと思います。


それを全体の体系とし、微細且つ具体的な部分において、まさに例のURLのように、その仕組みを逆利用して量刑を免れようとすることについての是非の話が存在するのです。

◎質問者からの返答

貴重な情報ありがとうございます。

被害者を2種類に分けて考えてみる必要があると思います。

一つは、ご指摘のように被害者に被害者になる理由がある場合です。不注意の飛び出しや、加害者への虐待がある場合などです。この場合は被害者の関わりにより刑の量刑が左右することは国民の納得があると思います。

もう一つは、被害者と加害者に何ら関係が無く偶然おきた事件などです。この場合が、被害者の被害の大きさで量刑が決められるべきかと思います。

責任能力がなかったなど不運を被害者にかぶせるのではなく、加害者に被せるべきかと思います。

お考えをお教えください。

よろしくお願いします。


4 ● itarumurayama
●16ポイント

http://itaru-m.hp.infoseek.co.jp/law/top.htm

URLダミー。

短レスです。

3番目の回答で「少女は無罪になった」とありますが、これは間違い。

正しくは「尊属殺人の適用を免れ、通常の殺人として裁かれた」です。

当時は子が実親を殺害したときには「尊属殺人罪」として罪が

通常殺人より重かったのです。

これは儒教的な刑罰観の表れだったのですが、

これが「法の下の平等を定めた憲法違反ではないか?」ということで

結果として「憲法違反」と認定され、その後尊属殺人罪は削除されました。

実務的には、殺人罪だと情状酌量で執行猶予が付けられるが、

尊属殺人だとどうしても量刑的に情状酌量が付けられなかったので、

「どうしてもその少女に情状酌量を付けさせたくて」尊属殺人罪を

違憲としたようです。

本筋の裁判員関係の質問の件では、言いたいことが山ほどありますが、

また改めて投稿します。


5 ● itashin
●15ポイント

http://ja.wikipedia.org/wiki/刑罰

URLはあまり関係ありません。


まず、「罰則」と「量刑」が異なるということを理解して下さい。

「量刑」に関しては、被害者側の被害程度なども考慮に入っています。同じ傷害罪でも、コブができる程度の場合と指を失うのとでは当然量刑はかわってきます。

その上で、質問は「何故加害者を基準にして適用する罰則を決めるのか」に絞らせていただきます。


端的に言ってしまうと、「刑罰は被害者のために科されるわけではないから」です。刑法というのは国家による社会秩序維持のために存在するものであって、被害者側の被害感情を和らげるために存在するわけではないのです。

普段はあまり意識しないかもしれませんが、「刑罰」というのは国家による暴力、基本的人権の侵害と言うべきものであって、犯罪者処罰の社会的必要性から正当化されているにすぎません。従ってその行使は必要最低限にとどめなくてはならないのです。刑罰が重かろうと軽かろうと、失われた利益は変わりません(被害は元に戻らない)。もちろん、重い処罰によって被害者の気持ちは多少和らぐかもしれませんが、それを基準にして刑罰を決定したのでは、無限に重くなっていくことは容易に想像がつくでしょう。

では、刑罰を与えることの社会的必要性は何か、と言えば、「悪いことをした者には罰を与えるべき」という応報刑論と、「罰を示すことで事前に犯罪を抑止する」「犯罪者を隔離・更生して社会的悪影響・再犯を防ぐ」という目的刑論があります。

応報刑論を突き詰めれば「被害結果のみを基準に処罰する」という考えにも至りそうですが、現在では完全に応報刑論のみを採用する見解は皆無と言えます。犯罪抑止に必要な範囲を超えた刑罰はもはや正当化され得ないと考えられます。また、仮に純粋な応報刑論を採ったとしても、どのくらい「悪いこと」なのかを判断するのに加害者側の事情を一切考慮しないのは常識的でないと言えます。


刑法では、故意は「どうなるか分かっててやった」ということで、過失は「ちょっと考えればどうなるか分かったのに考えずにやった」ということです。応報、予防、どちらの観点からも、前者より後者を軽くすべきだと思いませんか?「どっちにしろ被害者の気持ちは同じだ」と考えるのも分かりますが、上述したようにそれでは無限に重くなったり、逆に被害者側が許せば凶悪犯でも無罪になってしまいます。刑法の根本目的である犯罪の抑止に全く無関係となってしまうのです。

責任能力が無い場合も、同じです。刑法の目的を果たせず、被害が回復するわけでもないのに、被害者の感情を和らげるためだけに重い刑罰を科すというのでは、それこそ全く利益がありません。極端に言えば「ムカつくから殺せ」と言うのと同じです。




ちなみに、質問者の方は被害者側の事情を2種類に分類していますが、その分類は結局、加害者側の事情の判断において反映されています。そして、「加害者側の事情を考慮せずに被害者側の事情だけで刑罰を決めろ」というのであれば、それが妥当でないことは、上述した通りです。


最初に述べたように、被害の程度・被害者感情はちゃんと量刑(上述の基準によって決まった枠の中で動かしうる刑罰の重さ)として考慮されますし、あとは民事で金の問題にするしかない、ということです。


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