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【http://q.hatena.ne.jp/1147633414について】

私がした質問ではありませんが、上記質問についてみなさんのご意見が聞きたいです。

「ジェンダーフリー」と「性教育」とは、このように短絡的に結びつけて論じていい問題なのでしょうか。どうも『過激な性教育をさせるジェンダーフリーけしからん』などという考え方は、異なる問題をごっちゃにして考えてしまっているような気がします。


そこで、この問題に関して、「ジェンダーフリー」「ジェンダーフリー教育」「性教育」という3つの視点から、これらの話題が不可分なものか、分けて考えるべき問題なのかを明確にして論じてください。
また、URLは参考程度のもので構いませんが、ダミーはなしでお願いします。

●質問者: rg7-421
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
✍キーワード:URL けしからん ジェンダーフリー ダミー 性教育
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 10/10件

▽最新の回答へ

1 ● リョウヂ
●18ポイント

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%8...

この問題について語ることは自分自身の「性と社会の関係」に対する考え、

すなわち「自分自身」語ることに繋がるというリスクを背負っているわけですが、

そこが興味深いところでもありますので、あえて回答してみたいと思います。

まず「ジェンダーフリー」「ジェンダーフリー教育」と「性教育」は明確に分けることができると自分は考えます。

「性教育」は極論すれば「生物学」「医学」的なものを中心に据えることが、その役割だと思います。

(性感染病・妊娠・中絶のリスクなどを中学生程度から教えること、現状を考えると高校生ぐらいには避妊具の使い方まで教える必要性があるかもしれません)

「性」が持つ「哲学」的な部分は文学などが受け持つ領域でしょう。


「ジェンダーフリー」「ジェンダーフリー教育」ですがこちらは「社会学」「思想」に属する物だと自分は思います。

「ジェンダーフリー」という考え方はあって良いのですが、公立の教育機関で強制(矯正)されるのは如何かなと感じます、、、この部分(ジェンダー(性差))に関する教育は家庭で行うべきだと自分は考えています。

(もっとも個人の「思想」に関する部分の躾まで学校に頼らざるを得ないほど、家庭教育が弱体化している点がそもそもの問題なのですが…。)

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

確かに「性教育」という文脈の「性」は生物的医学的な意味を持ち、「社会的文化的性差」という文脈の「性」はそうでない、と考えられますね。

疑問なのは、上記いわし質問に限らずなぜ「性教育」という問題に「ジェンダー」の話が出てくるのかということです。

蛇足ですが、先日の岐阜県中津川市の事件の犯人である15歳の男に2歳の子どもがいる、という事例を見ると、小学生のうちから高度な性教育をすべきなのではないかと思うこともあります


2 ● yuuboku
●20ポイント

ジェンダーにまつわる問題と性教育に関する問題とは、それぞれの領域が重なる部分は大きくあるとは思います。例えば、「男だから??でなければならない」「女だから??でなければならない」という考えに対して「それはおかしいから変えて行こうよ」と思うのであれば、「じゃあそもそも『男』って何?『女』って何?」といったところから問い直す必要があるでしょう。

次の世代を生きる子どもたちが、ジェンダーに対して無自覚であるがために不幸になってしまうことのないように、ジェンダーの問題を注意深く考える立場から性教育を行っていこう、という立場は、ですから十分に成立すると思います。

しかし、「ジェンダーについての問題を解決するための性教育」以外にも、違う目的から性教育を組み立てることもできるわけです。例えば、今は若者の人工妊娠中絶や性感染症の増加という問題がありまして、このようなことで若者が不幸にならないようにという目的での性教育も行われています。あるいは宗教的教育の一部としてなされる性教育もあるでしょう。ですから、教育におけるジェンダーの問題と、性教育の問題とは、一応は分けて考えることができると思います。

参考になるかどうかわかりませんが……

“人間と性”教育研究協議会

http://www.seikyokyo.org/index.html

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

なるほど確かに重なる部分もありますね。

>「じゃあそもそも『男』って何?『女』って何?」

の部分なんですが、このときの『男』『女』を生物学的な『男』『女』のことであると考えると、その時点で「ジェンダー」が対象とする領域からはずれてしまうような気もします。

そこまで問題を細分化する必要はないんでしょうかね?分からなくなってきました。


3 ● よたか
●5ポイント

ジェンダーフリーについてはあまり関心がないのですが、なぜ性教育の話と絡めるのかいまいちよくわかりません。

私は性教育を教える前にもっと愛について語るべきだと思います。

欲望の先にセックスがあるのではなく、愛情の先にあるものだと認識した上で性教育を行うべきです。

教える内容が過激だとか、足りないとか、早すぎるとか、それは時代によって変わっていくと思いますが、性を知る前にもっと、愛について理解深めていかなければならないと思います。

愛を教えることが出来ない現在の社会環境が性教育をもゆがめているのではないでしょうか?

URLはダミーで私のブログですので、ポイントは必要ありません。

http://blog.hanamarl.com/

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

興味深いお話ですが、今回問題にしているのは「ジェンダー」という文脈に「性教育」がなぜ絡んでくるのか、ということですので少々論点がずれます。私もなぜ「性教育」の話と絡めるのかよくわかりません。

「愛」についてはまた別の機会にお聞きしたいです。


4 ● hamster009
●0ポイント

ジェンダー教育はたしかに必要ですね。男は男らしく、女は女らしく。

http://www.ahoo.co.jp/

◎質問者からの返答

質問文をよく読んでください。答えられないものに無理して答える必要はありません。URLも人を馬鹿にしているとしか思えませんね。

他にも同じことをやらかしているようですが今回で最後にしてください。

ムキー


5 ● gryphon
●13ポイント

教育は必然的にある種の価値判断を伴います。

と同時にあまり偏った教育が、とくに公教育の場でなされるのがいいか、という問題があります。

だからジェンダーフリーが、公教育以外の場で主張される時はまったく問題がないはずですが、それが公教育の場に出てくるときに、論争が出てくるのは避けられないでしょう。


性教育に関しても、たしかにジェンダーよりはより生物学的な意味での客観性はあるから判断はやや楽ですが、たとえば中絶というのは道徳的に悪なのか、それともひとつの手段としてはありえるのか、これをどちらの立場に立つかだけで大きく変わってくるでしょう。

ですから、それぞれは別物だが、「どこまでが立場によっても変わらない客観的な事実で、どこまでが『一定の立場からの価値判断』なのか」を考えるとき分離しがたい面もあるのではないでしょうか

米国の性意識、性行動及び性教育の動向と我が国の課題

http://www.shitennoji.ac.jp/ibu/toshokan/data/kiyo2004w/kiyo2004...

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

個人的には「ジェンダーフリー」自体は公教育の場に持ち込んでも全く問題はないと考えてますし、むしろ持ち込むべきであると思っています。ここでポイントとなるのが「ジェンダーフリー教育」で、これがなぜか「ジェンダーフリー」の思想を曲解した形で「性教育」と短絡的に結びつけようとしている人たちがいるのではないか?と思ったことが今回の質問のスタート地点です。

その点で、「生物学的な意味での客観性」という視点は頭にありませんでした。なるほど。


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