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それでは聞きます。「 藝 術 」って一体何だとお思いになられますか?未だかつて無い斬り口で、他の誰の名言も一切用いず、究極のオリジナル、究極の独断と偏見で、しかしわたしに伝わるようにあなたの藝術観で説明してみてください。徹底した信賞必罰方式完全実力制でポイントを差し上げます。挑戦待ってます(笑)!

●質問者: arukusainou
●カテゴリ:趣味・スポーツ 芸術・文化・歴史
✍キーワード:あなた しわ オリジナル ポイント 偏見
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 20/20件

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1 ● よたか
●1ポイント

かなり非効率に生産され、他人の感情、思考に影響を与えることが出来るものの総称。

多くの場合、理解されずに、「ステータス」として利用されることが往々にしてあります。

◎質問者からの返答

藝術を「ステータス」ととらえた視点は軽やか。しかし、わたしのこころにあなたが突き刺さることなかった。かんしゃ。


2 ● bluebeetle
●1ポイント

人の心の闇を現実世界に出力する、その方法。

基本的に、普通は見えない人間の闇の部分を形にしたものなので、大抵は理解されないが、『心の闇』を共有したとき、人は感銘を受けることになる。

◎質問者からの返答

確かに「こころの闇の共有」は重要な要素ではあるが、いまいちこの回答には若さ新鮮さ斬新さが感じられない。かんしゃ。


3 ● HON2
●90ポイント

「 藝 術 」の定義だって?

オレ、定義に納まっちまうことに興味無いんだなっ。

定義された藝術なんて、やってらんないね。

◎質問者からの返答

あなたは元々肩透かし的発想の持ち主なんですね。あなたの回答に触れると風が吹く・・それが素敵だと思います。しかし、もうひとつ、同じ人間に同じ方法で臨む時にはひねり込んでこれなければそれは怠惰に過ぎないとわたしは思ってます。かんしゃ。


4 ● TomCat
●30ポイント

まず芸術の源泉ですが、私はこれを「事象」と考えます。

水が流れる。雷が鳴る。誰かがコケる。ケンカが始まる。

そうした様々な事象の全てに、芸術の源泉は存在します。

しかしそれはそのままでは芸術たり得ない。

それをいったん作り手の心の中に取り込み、

何らかの手段をもって吐き出した時、

それが「作品」となるわけです。

しかし、この段階でもまだ、作品は芸術たり得ません。

その作品が誰かの目に触れる、耳に届く、心に響く。

ここにおいて、大元の事象が作り手の感覚を通して作品にエンコードされ、

それが再び鑑賞者の感覚の中にデコードされる、

という作業が完結します。

しかし、異なる感性をもって変換された結果には、

必ずギャップが生じます。

ここにおいて発生するギャップがすなわち、

創作活動によって生み出された価値=芸術であると、

私はそう考えます。

たとえば、ただ美しいものを見るだけなら、自然を見ればよい。

そこに風景画の価値があるとすれば、それはすなわち、

この作り手→エンコード→作品→デコード→受け手、

という経路を経て附加されてきた価値、ということですね。

ちなみに、この価値をいかに効果的に演出していくかというのが

アーティストのテクニックになってくるわけですが、

それのみに長けてくると、作り手が受け手を誘導するようになり、

エキサイティングなギャップが生じにくくなります。

つまり、芸術性が褪せてくるわけです。

アーティストはここに注意が必要であると考えます。

◎質問者からの返答

そのシィルクのようなあなたの麗しい視点は心地よいですね。けどあなたのこのスタイルは、もう少し短くないとあなたを知らない人からは逆に見づらいです。かんしゃ。


5 ● aiaina
●1ポイント

人の心に何かしらの、好意的な変化をはたらきかけるもの

自然の模倣

本来人類が自然と融合しようとする衝動であり、欲求

人間生活の記録

◎質問者からの返答

「好意的」とは言い切れない、敢えて言うなら「 快楽的 」の方が包容力がある。残念ながらありきたりな答えです。かんしゃ。


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