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人があの世に逝く時、いつの時期の『その人』で逝くのでしょうか。
質問の詳細については http://d.hatena.ne.jp/kishiwadungeon/20060525/p1 を参照ください。

●質問者: kishiwadungeon
●カテゴリ:人生相談
✍キーワード:あの世
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 29/29件

▽最新の回答へ

[1]私の考え方を書いてしまっていいんでしょうか? noboru

とか聞きつつ書いてしまいますが、私はあの世はないと思っています。死んだらそれまでです。

いや、実際にはあるのかも知れません。あるのかも知れませんが、そんなものはないと考えて生きているということです(実際のところ確認のしようがないのでないと考えても問題はないでしょう)。

なぜそう考えるのかというと、そうしないと頑張って生きようとする気がなくなるからです。死んだ後も意識が続くということになると背水の陣にならなくて、そこが逃げ道になり、その分だけ力が出なくなるような気がしてなりません。それだけでなく、本当に死んだらそれっ切りで何もなかった場合、生きている最中に頑張らずにいたことを後悔することになるでしょう(まあ死んでそれっ切りならそう感じることもないのかも知れませんが…)。


[2]おそらくその人の最もその人らしかった姿 TomCat

あの世があるとすれば、そこに行くのは肉体ではなく魂。

魂は、あまり肉体の変化には影響されないと思うんですよね。

おそらく生まれたばかりの赤ちゃんの時から老いて死を迎えるまで、

魂そのものはそう変化するものではないと思うんです。

老いていくのは肉体だけ。

魂に老いがあるなら、あの世も生まれ変わりも

存在しないはずですから。

というわけで、敢えて肉体の様子で考えるなら、

その人の最もその人らしかった姿が、

その人の魂のあり方を最も的確に現す姿でしょうから、

その姿であの世に行くことになると思います。

ま、成長が完了して、完成された若々しさのある20代。

そんな感じでしょうかね。

うまく成仏できないと、この世の記憶に引っ張られて

亡くなった姿そのままで化けて出るなんてこともあるかもしれませんが、

そうでなければ、きっとしわしわのおばあちゃんなんかも

ピチピチギャルになって向こうにいると思いますよ。

少なくとも魂に年齢はない。すなわち老いた姿ではない。

あの世があるとすれば、そういうことだろうと思います。


[3]100万年前と100万年後に I11

逝ったらどうなるか。

あの世には時間も空間も無いのだと思います。

時間も空間も無いので、時期もたぶん無いでしょう。

たとえば、1+1=2という式は100年前も100年後も変わりません。

1+1=2が1+1=3になったり1+1=4になったりはしません。

いつの時代にもあって、いつまでもかわらない。

時間と空間に関係なく100万円前も100万年後も1+1=2は1+1=2。

つまり、人が死ぬとはそういうような状態ではないかと。

人が死ぬと、100万年前の状態であり同時に100万年後の状態になる

ということではないかと。


[4] AGING ? 停止・順行・逆行 ? adlib

ダンテ《神曲》では、亡くなった年令で、停止しています。スィフト

《ガリヴァ旅行記》の死なない人々の国では、ますます老いています。

わたしは、いずれ逆に若返っていく設定を試みたいと考えています。

Dante Alighieri 詩人 12650518 Italy 13210617 56 ?《Divina Commedia,1304-1321》

Swift,Jonathan 作家 16671030 Dublin 17451019 77 ?《Gulliver's Travels,1726》

────────────────────────────────

夏目 漱石 小説 18670209 江戸 19161209 49 ?《夢十夜》/慶応 3.0105

内田 百? 小説/随筆 18890529 岡山 19710420 81 /《冥土》別号=百鬼園

(↓)架空対談《漱石 vs 百?》

http://d.hatena.ne.jp/adlib/19781004

── 《どっちが旨いか? 大手饅頭と吉備団子》


[5]あの世は思念の世界だから pianokko

昔、丹波哲郎が あの世では自分が思ったとおりの姿でいられるって言ってたと思います。20歳が良ければ20歳で。。。。


[6]>5 認知症患者は itarumurayama

男性は「40歳の自分」に戻り、

女性は「18歳の自分」に戻るそうです。

そのころが一番「人生の旬」だったんでしょうか?


[7]>6 治るってのはどうかな。 sisisi444

君に読む物語を観て思った。


[8]その人の思いを姿に Lease

死んで逝く時はその人の思っている気持ちが、姿になって逝くのではないでしょうか?


[9]そもそも魂に年齢はないから sulume

霊魂やあの世が実在するかどうかは別として。

そもそも魂は肉体とは異なる形の存在ということですから、何歳という概念自体存在しないのではないかと思います。ただあるべき姿である、と。現世の人がそれを見るときに、魂のままでは認識できないので、その人が生きていた頃の姿でもって見る、ということなのではないかと。

ただ日本の仏教では、子どもの魂はまだ完成されていないために、三途の川を渡ることができず、賽の河原で立ち往生してしまうとも言われたりもしますね。魂は年はとらないけど成長はする、ということでしょうか。


[10]魂は修行中 shokey

人は生まれる前に(魂の時に)今度の人生はどんな人生にするか、自分で人生設計をして生まれてくるらしいんです。だから、今、目の前にある苦悩は自分でその苦悩を乗り越えれるように設定して生まれてきているんです。人は死んだら、また魂にもどって、その時生きた人生の反省をするんです。そして、次の来世では、今世でできなかった目標をまた、来世で挑戦するように、人生設計をたてて、生まれ変わるんです。だから、いつの時期のその人か?と聞かれたら、「生まれる前のその人(魂)」と言う事になると思います。

魂は、いつも自分の向上のため、あえて、自分に高い壁のある人生設計をして、わざわざ人間として生まれ変わり、最高の自分になれた時に、「魂」としての、自由な自分を手に入れることができるんだと思います。だから、その最高の位置までいくには、何度も何度も生まれ変わって、いろんな人生を経験して修行しているので、生まれかわりもあると思っています。生まれかわったその人は、「人」としては別人だけど、「魂」としては、年齢も性別も関係なく、同一人物(同一魂)なんだと思います。


[11]>5 「思う」のは誰なのでしょう kishiwadungeon

「こういう姿でありたい」と「思う自分」が(仮にでも)規定されない限り、トートロジーになってしまうのではないでしょうか。


[12]>10 なるほど kishiwadungeon

輪廻転生を前提とすると、確かにすっきりするお話です。


[13]>9 現世での「その人」という観念自体が通用しないということでしょうか kishiwadungeon

「思考」や「アイデンティティ」といったもの自体がそもそも具体的問題である(=現世での営みでしかない)という考え方をしたことはありませんでした。なるほどなるほど。


[14]>4 若返るとすれば kishiwadungeon

若返るとするならば、それは一体どのような理由によってでしょうか。


[15]>3 具体的事象と抽象的事象 kishiwadungeon

時間も空間もないので時期もない、というのは良い着眼点だとは思いますが、「その人」「生き死に」といった具体的事象を説明するのに、いきなり抽象概念を用いて普遍を考えてしまうと、色々と重要な所を取り落とす気がします。


[16]>2 その人らしさとは何か kishiwadungeon

質問文で載せたエントリでも多少触れましたが、経験を積んだり、思考を重ねたりすることで「その人」は変わってしまうでしょうから、「最もその人らしい」と判断する基準はどこにあるのでしょうか。そもそも、「最もその人らしい」などという状態は存在するのでしょうか。


[17]>1 私も確信を持っているわけではありませんが kishiwadungeon

私が信じる信じないに関わらず、存在するものは存在しますし、存在しないものは存在しません。私の質問は「ある」という前提の下で考えてみてほしいということでして、自分がそれを踏まえてどのように生きるか、ということまで見据えたものではありません。

解かりにくかったならば、どうもすみませんでした。


[18]わたしがたまに行く拝み屋さんが云うには Straysheep

信じるかどうか、は別としまして・・・

ある程度は亡くなった時のまま、そこにいて

その後、浄化され魂という形になって

次の世界へ行く(生まれ変わる)、というような

お話をされていました。

次に行かない人もいるのですが

人によって大人だったり子供だったりするので

そういう場合は亡くなった時期のその人のまま

そこにいるみたいです。

病気や事故の場合、かわいそうなので聞いてみましたが

痛かったり事故の部分がなかったりはしないそうです。

ただ性格はそのままらしく、頑固な人は頑固でしたし

生前よく言っていた言い回しなどを使っていました。

なので「あの世」(浄化される)に行く時は

次の世界へ行く前準備として

生前の形としてでなく『魂』というような形で

(魂がどういう形かは分からないのですが)

昇っていくのでは?と思っています。

今はそれで私は納得していて心穏やかな気持ちです。


[19]>8 同じ考えです javeling

私も、「その人」が一番よかったと思える時期の姿で逝くとおもいます。


[20]その前にあの世なんて tehi

ないと思ってしまうのは僕だけでしょうか。

もしあったとしたら僕は、中学生の時の自分希望


[21]今のその人、だと思います。絶対! sukeshi

心には年齢は無く、代わりに経験・記憶があるのだと思っています。

そうすると、仮に『80歳で亡くなった人が25歳の頃の自分』であの世に行くのだとすると、それは『25歳で亡くなった人が25歳の頃の自分』であの世に行くのと何ら変わりは無いですよね。

25歳の頃の自分には、当然ながら80歳の頃の経験・記憶は無いのですから。

また、『10歳で亡くなった人が25歳の頃の自分』になる場合って…う?ん、あり得ないですよね。心は10歳で体は25歳って言ったって、体はこの世に置いてけぼりなわけだし…。


さて、認知症を患っている場合ですが、現代医学では認知症は当然脳の病気と考えられています。

心があの世に行く場合は、いずれにしろ、脳はこの世に置いていくことになります。

従って、あの世に行く時は認知症は治っていると思いますよ。良かった!

もし治らないのだとすると、それは脳の病気ではなく、心(魂?)そのものの病気であるということになっちゃいます。

そうすると、生まれつき認知症という人が生まれてくるはずですよね。でもそういう人はいないようですし。

やっぱりあの世に行く時は治ってる!!


でも、もしかしてあの世で直してるなんてことは…


[22]時期はナンセンス? mo_ko_mo_ko

私なりの解釈。ちょっとファンタジーめいてるかもしれません。

肉体はただの「この世の器」であり、人そのものは、魂そのものだと考えます。

たとえば、80歳の痴呆の人が70歳のときから3歳児のように幼児退行しているとします。70歳から幼児に帰っていったとしても、その魂は80歳なのではないかな、と思うのです。

外見上の器は器でしかなく、その内面には外からは見えない魂と言うものが宿っており、それは本人しか、もしくは本人すらも自覚していない正気の魂がいるのではないかと考えます。そして、魂は衰退することはなく、常に精進、成長を続けているのではないかと思います。

余談ですが、だから、幼児化したお年寄りに赤ちゃん言葉で接するのは、とても失礼なことのように思います。内面では、他人からは見えない「大人の魂」が宿っていて、実は屈辱感と孤独感を味わっているかもしれない、と思うからです。

話をもどすと、だから、外見上で『何歳のとき』というのは、ナンセンスだと思うです。どんなにひどい認知症だったとしても、苦しみや悲しみは心に刻んでいるとおもうのです。いい時代、悪い時代、その人のすべてを携えて、生きた時間すべてを味わいながら逝くのではないか、と考えます。


[23]年齢ではなくて、、、、 charuken

その時のその人自身が逝くのではないでしょうか?

幾つの状態という見た目じゃなくて、その時の気持ちのまま。

難しいけれど。。。


[24]あの世に逝く時の自分では? dummy2004


[25]>24 棺おけの中の白い服着た姿で dummy2004


[26]>25 いや、焼かれた後の骨の姿か? dummy2004


[27]>26 もしくは、骨壷のまま行って棚に並ぶだけとか? dummy2004


[28]>27 一番輝いていたときかな? dummy2004


[29]>14 記憶喪失を可逆性とみれば……。 adlib

100歳で亡くなった老人が、1年ごとに2年前の記憶を喪失すれば、

50年で記憶がゼロになります。生後150年目には、本人は出生時の

赤ん坊に戻るはずです。はたして彼は、何歳と呼ばれるでしょうか?



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